『心に響け 山王の想い』
伊勢原市立山王中学校で活動する「吹奏楽部」と「コーラス部」
ライター/コラムニスト「相模国神社祭礼 添田悟郎」
●第37回定期演奏会に密着
山王中学校では毎年、吹奏楽部とコーラス部が合同で開催する定期演奏会(以下、定演)が、伊勢原市民文化会館の大ホールで開催される。第37回目となった2026年(令和8年)3月27日(金)の定演では、平日での開催にもかかわらず昨年を上回る来場者数となり、演奏者と観客が一体となったステージが繰り広げられた。
私は普段、祭り囃子の演者としての立場で祭礼関係の取材を行っているが、祭り囃子で篠笛を始めたきっかけが同校の吹奏楽部で始めたフルートであり、吹奏楽部が私の音楽活動の原点であるといっても過言ではない。日本の伝統芸能である祭り囃子と西洋音楽のクラシックなどは分野が異なるものの、音を奏でる、リズムを取るという根本的な原理は何一つ変わるものではなく、吹奏楽部の経験者が祭り囃子の分野で活躍する例は数多く存在する。また、近年の少子化や教員の労働環境の見直しなどにより、部活動そのものの運営が難しくなっており、地域の祭り行事が直面している課題と共通する点が非常に多い。このような状況においても、同校の吹奏楽部とコーラス部は日頃の厳しい練習を乗り越え、音楽を通じて多くの人々に感動を届け続けているのである。地域の祭りの現況を知る立場として、今回は、学校の部活動に視点を置いて両部の取り組みを紹介して行きたい。
「相模国神社祭礼」は神奈川県内(旧相模国)の神社の祭礼を中心に紹介するウェブサイトで、祭りを通して地域の活性化につなげることを主な目的としている。
●定演の歴史 〜つないできた想い〜 / 第1回目の吹奏楽部顧問:萩原利絵さん
同校の定演の歴史は古く、私が中学2年生であった1989年(平成元年)9月24日(日)に第1回目が開催され、当時はコーラス部が存在せず、吹奏楽部単体でのステージであった。3年生になると私は部長として翌1990年(平成2年)に開催された第2回目の定演に出演し、卒業後の1991年(平成3年)の第3回目では、同年に誕生したコーラス部が初めて定演に参加し、コーラス部にとっては事実上、第1回目の定演となった。以来、同校の定演は吹奏楽部とコーラス部の合同開催となり、コロナの影響により体育館での開催に留まった年があったものの、現在まで途切れることなく継続されてきた。なお、私の時代は部員数が多く、大ホールで演奏できる規模の楽団員を現役生だけで構成できたが、少子化による部員数の減少により、現在は両部共に卒業生のサポートが必要不可欠になっている。また、今回の定演では吹奏楽部がコーラス部のバックで演奏するなど、よりよいステージづくりを模索している姿も同校の定演の魅力の一つとなっている。
今回の定演には私が現役生の時の顧問で、第1回目で指揮を振った萩原利絵さんと、当時の元部員の方々にも来て頂いた。吹奏楽部が定演を開催したきっかけは、文化会館を学校行事のために無料で使用できる様になったことで、萩原さんが中心となって文化会館の使用を申し出たのである。「演奏している生徒さんのエネルギー、熱い想いを指揮棒が吸い取り、私の身体全体に想いが伝わってくるときの快感!今は離れてしまったけど、よい思い出でになりました」とメッセージを頂いた萩原さんは元々クラリネット奏者で、現在は「繪利音会」という三味線の会を自ら立ち上げ、民謡の世界で音楽活動を続けている。私と同じく和と洋の垣根を超えた活動もまた、音楽の素晴らしさの一つであろう。
●吹奏楽部 〜厳しくそして楽しく〜 / 顧問:秋吉孝信先生、部長:小貫杏夏さん
私が卒業後に定演でフルートを吹くのは昨年に引き続き2回目となるが、子供が2人とも同校に通っていたことと、定演で卒業生が参加しているという情報を聞き、吹奏楽部の顧問である秋吉孝信先生に相談したところ快く了解して頂いた。秋吉先生は定演当日のロビーでサックスパートの部員たちと一緒に演奏で来場者を出迎え、また、コーラス部による第一部と吹奏楽部による第二部のステージの合間にも観客の為に演奏するなど、自身も音楽をこよなく愛するサックス奏者である。秋吉先生が大切にしていることは音楽を楽しむことと聴き手に楽しんでもらうことで、一つずつの音や表現にこだわりながら生徒たちと一緒に日々の練習を積み重ねている。また、先生と生徒という関係ではなく、指揮者と奏者として向き合うことで信頼関係を築き、練習計画や日々の運営もできるだけ生徒中心で進めている。互いに意見を出し合い、仲間と切磋琢磨しながら音楽を作り上げていくことも、吹奏楽の大切な学びの一つであるという。「歌には歌詞がありますが、楽器は音だけで情景や感情を伝えなければなりません。その難しさと面白さこそが、音楽の魅力の一つだと感じています」。音からどんな景色や感情が生まれるのかを想像しながら、今日も生徒たちと一緒に音楽づくりに取り組む。
定演の舞台でコントラバスと吹奏楽では使われないベースを弾き分ける3年生の姿があった。クラシック・ポップス・ジャズなど、様々なジャンルの音楽に挑戦しながら生徒たちと音楽の楽しさを広げたいという秋吉先生の方針である。小貫杏夏さんは秋吉先生の勧めで吹奏楽部の部長を引き受け、多くの人をまとめることに不安を感じる時期もあったが、最後まで部員たちをまとめ上げてきた。小貫さんは吹奏楽部での活動を通して努力することの大切さや協調性の大切さを学び、この経験はこれからの人生でも活かせると実感している。「後輩のみなさんには辛いことがあっても、仲間と支え合いながら吹奏楽を楽しんでほしいです。吹奏楽部で過ごした時間はきっと大切な思い出になると思います」。部長として吹奏楽部に関われたことを誇りに思う小貫さんの想いは、次の部長となる鶴岡咲希さんに引き継がれる。
●コーラス部 〜廃部の危機を乗り越え〜 / 顧問:三宅華可先生、部長:吉川心絆さん
コーラス部のステージは校歌で始まるが、昨年の歌い手は当時部長であった3年生の佐治こころさんと、1年生の吉川心絆さんのたった2人だけであった。私が同部の歌を聴いたのはこの時が初めてで、あまりの少人数に不安を覚える程であったが、マイクを通さずに私の身体に直接届くその歌声に自然と涙がこぼれていた。生身の人間の歌声がこれほど心に響くものとは全く想像をしていなく、歌うことの素晴らしさを人生で初めて体感したのと同時に、次年度の部員が吉川さんただ一人でスタートすることに同部の存続を危惧したのである。
三宅華可先生がコーラス部の顧問に就任した当時は、コロナ禍の真っただ中で合唱ができる状況ではなかった。しかも部員はわずか3人だけで、常に廃部と隣り合わせといっても過言ではない。その後も少ない部員数での苦しい活動は続き、迎えた令和8年度に奇跡が起きた。三宅先生の懸命な勧誘の努力も実り1年生が5人、しかもそのうちの2人が待望の男子である。今回の定演では1年生5人によるステージも披露され、女子と男子による厚みを増した歌声と、純粋に歌を楽しむ姿が観客を魅了した。私が中学生の時代は男子が文化部に入ること自体に少なからず偏見があり、吹奏楽部でしかもフルートを吹いていた私にとっても、その風潮を敏感に感じ取っていた記憶がある。あれから35年ほどの時が流れた今ではそのような偏見も薄れ、性別にとらわれることなく、純粋にやりたい部活に入ることが出来る時代に変わってきているのだと実感した。更に驚いた出来事がもう一つ。それは吹奏楽部2年でファゴット奏者の久手堅みゆきさんがコーラス部を掛け持ちするという、いわゆる“二刀流”であり、部員数の減少が進む部活動において大きな意味を持つことだと私は感じた。
たった1人の部員から一気に7人と息を吹き返したコーラス部であるが、声変りを迎える男子部員の発声指導は難しく、子供たちの心に響く言葉選び、一人ひとりの個性に寄り添った指導など、大きな責任を感じているという三宅先生。「しかし、その苦労を吹き飛ばしてくれる最高の瞬間があります。それは全員の心が一つになり美しいハーモニーが奏でられた時です。また、その響きに子どもたち自身が気づき、パッと満面の笑みを浮かべる瞬間はいずれにも代えがたい喜びです」。大人数での大合唱という夢に向かって、三宅先生の挑戦はこれからも続く。
2年生で部長となった吉川さんが入部の決め手になったのは、仮入部で出会った先生と先輩の温かさで、技術だけでなく一人ひとりと真摯に向き合う姿に「この人たちと一緒に最高のハーモニーを作りたい」と直感したという。3年生の佐治さんが引退し、気付けば部員は吉川さんただ1人となったが、大好きなコーラス部を守るために部長として活動を続けることを決意し、このことが同部の復活に大きく貢献したのである。バラバラだった歌声が一つに溶け合い音がピタリと決まる瞬間、ホールの残響の中に自分の声が溶け込んでいく心地よさ、曲の解釈を深めるごとに音楽の世界へより深く入り込んでいけること、この3つを追い求め、大好きな歌と向き合う中学生としての最後の1年を迎える。
●取材を終えて
私は小学1年生から続けている祭り囃子において、人の心に響く演奏が出来るようにという想いと、また、2人の子供にはそのように成長して欲しいという願いを込めて、響太郎と心太郎と名付けたが、残念ながら45年経った今でも人を感動させるような演奏が出来る境地には至っていない。しかしながら、山王中学校の吹奏楽部とコーラス部の現役生と卒業生の皆さんが、顧問・副顧問の先生方や親御さんたちのサポートによって作り上げられた定演での演奏はまさに、私が目指すべき“人の心に響く演奏”そのものである。奏者の一人として彼らと一緒に音楽を奏でる時間は学ぶことが非常に多く、また、私自身を大きく成長させてくれる原動力となっており、音楽の素晴らしさを教えてくれる後輩たちには心より感謝の念を伝えたい。
現在、部活動は大きな岐路に立たされ、特に、吹奏楽部(ブラバン)のようにある程度の部員数や高額な備品を必要とする部活は、人材と費用の双方の面において運営の難しさに直面している。我々はこの時代の流れを受け入れるしかないが、知恵と工夫を振り絞り、有効な情報を共有することこそが、部活動を有意義なものにする手段であると、今回の取材を通じて強く感じた。今後も私の母校である山王中学校だけでなく、日本全国の音楽関係の部活動の音色が後世に末永く響き渡ることを祈願するとともに、部活動そのものが良い方向に収束して行くことを心より切望いたします。
この記事を書いているさなか、3月31日(火)に教員移動の特報があり、吹奏楽部顧問の秋吉先生は同じ市内の伊勢原中学校への移動が決まった。秋吉先生をしたってきた部員たちの悲しみ、不安は言うまでもなく、特に公立学校の教員にとって当事者たちの残念な思いは計り知れない。別れを伝える、別れを惜しむ時間は全くなく、その日のうちに慣れ親しんだ学校を去っていく。多くの部活動の関係者が経験してきていることである。秋吉先生の最後の舞台で一緒に音楽を共有できたことはOBの一人として誇りに思うことであり、在校生と他のOB・OGにとっても同じ思いであろう。6年前の赴任当時はコロナ禍のなか満足な活動が出来ず、生徒たちと苦しい時期を乗り越え、コロナ前以上に同校の吹奏楽部を成長させてきた秋吉先生の最後のメッセージである。
「生徒たちには卒業してからも楽器を続け、音楽を楽しんでほしいと願っています。学校を離れても音楽を続ける人が増え、街のどこかからふと楽器の音が聞こえてくる。そんな音楽にあふれた街になることが、私のささやかな願いです。6年間ありがとうございました。またどこかで皆さんと一緒に演奏できたらと思います」。
| @吹奏楽部員と先生方 |
| Aコーラス部員(制服)とOG | B鶴岡咲希さん(左)と秋吉孝信先生(右端) |
| Cベースを弾く小貫杏夏さん | D教え子と歌う三宅華可先生(右端) |
| E吉川心絆さん(左)と久手堅みゆきさん(右) | F一緒に参加した吹奏楽部のOB・OG |
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