上栗原かみくりはら

北向庚申神社

 「北向庚申神社」は上栗原に鎮座し、上栗原の家々を中心に広い地域からの信仰を集めている神社である。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)・青面金剛(しょうめんこんごう)・帝釈天で、例祭は春の庚申日に行われている。かつて当地にあった「握財社」が栗原神社に寄せ宮されて以来、小字の氏神を持たなかった上栗原の家々によってもあつく信仰され、今日ではほとんど上栗原の鎮守に準じた存在となってあがめられている。
 神社の前身は、もともとこの地の路傍に祀られていた明和8年(1771年)建立の石造庚申塔であり、甲州からこの地に移り住んできた家々によって立てられたと伝えられる。この庚申塔は三猿像付きの青面金剛像で、銘文は右側面に「明和八□年八月吉日 ほし□や 大□」とあり、左側面には「つる□□江戸道、南ふ□沢道」とあって道標を兼ねていた。像の風化が激しいため慶応4年(1868年)には同形の青面金剛像が再建されており、こちらには「此方ほし乃や大山道、左つる間江戸道、慶応四年戊辰年」との銘文が刻まれていて、やはり道標を兼ねた石像であった。
  昭和のはじめ頃に皆原の沢田善太郎氏が野良仕事の行き帰りにこれら二体の庚申塔に眼病平癒を祈願し続けた奇跡的に快癒し、以来、多くの人々が信仰を寄せるようになり、昭和10年(1935年)に社殿が建造されるまでになり、上記二体の庚申塔はその神体として祀られ、「北向庚申神社」という新しい神社が生み出されるに至った。神社の名称は庚申塔が北向きに立っていたことに因むもので、北を向いた神仏は強い霊験を持つという。社頭には飲食店や土産物までできて大変な賑わいを見せるようになり、特に第二次正解大戦中は武運長久と無事帰還を祈願する人々が、県下はおろか京浜地域一帯から広く訪れるようになった。

北向庚申神社燈籠
石碑(北向庚申神社祠跡)石碑(北向庚申神社)
社殿
水鉢北向庚申神社と庚申信仰
北向庚申神社と星の谷道境内

囃子

 


神輿

 


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