下今泉
浅間大神
「浅間大神(あさまだいじん)」は「富士(不二)浅間社」ともいい、延暦元年(782年)6月に相模介橘永範が富士浅間神社より勧請したと伝わる。鎮座地は下今泉字宮ノ前である。別当海老名山法印慶義の願文によれば、「領主橘重信は、住屋家門の辺に道法三丁五十六間を退いて金神の方に当たって神祇を〆す」とある。「なお社地は、長さ二十六間広さ九間余、右には黄龍の渡るが如く、左は田野を構えて景趣は計るべからずものあり」と記されている。
文永8年(1271年)9月13日夜に日蓮が鎌倉から佐渡に流される際、不二浅間大明神の加護で無事に相模川を渡ることができたとの言い伝えがあり、当社には日蓮真筆の「南無浅間大菩薩」の名号が掛けられていたというが、いずれも真偽のほどは分からない。天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によれば、祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で、駿河国一ノ宮浅間明神の分神である。神体は中央に仏像が鋳出されている直径三寸(約10cm)の銅鏡である別当寺は河原口にあった古義真言周「総持院」であった。社時は『風土記稿』に富士浅間社、寺珊寺などが載る。
明治6年11月に村社に、大正9年7月16日に神饌幣帛料供進社に指定された。本殿は安政4年に前年の大風雨による大破損を再建したが、大正12年の関東大震災により全て倒壊し、大正14年に改築した。
| 浅間大神 | 鳥居 |
| 狛犬(吽) | 狛犬(阿) |
| 燈籠 | 手水舎 |
| 鐘楼 | 神楽殿 |
| 社務所 | 燈籠 |
| 狛犬(阿) | 狛犬(阿) |
| 浅間大神 略誌 | 燈籠 |
| 拝殿 | 幣殿・本殿 |
| 絵馬掛け | 石碑 |
| 石碑 | 石祠 |
| 住吉神社(境内社) | 境内 |
| 下今泉自治会館 | 下今泉あさま広場 |
境内社の「住吉神社」は天保6年(1835年)に氏子総鎮守として祀られ、以後は祭祀が続けられたが、神仏合併により明治21年に浅間大神に合祀され、宮地は売り払われた。明治33年の悪疫の流行で死者を生じた際のお告げで、塩脇氏の土地の寄贈により移転するが、昭和45年(1970年)に国道246号のバイパス用地で買収され、やむなく浅間大神の境内の一隅に神殿を遷し、さらに氏子守護の神として整え奉った。
囃子
「太鼓勧化帳」に安政2年(1855年)とあり、「笛、壱。大太鼓、壱。附太鼓、壱組。摺鉦、壱。代金参両弐朱也」とある。「附太鼓、壱組」とは二張りの意味だと思われる。戦時中は途絶えたが昭和54年(1979年)に「下今泉はやし連」が発足し、平成2年(1979年)に組織の主体を自治会に移管し、名称を「下今泉はやし保存会」と改称して現在に至る。
囃子の系統は「下町囃子系」で、曲目は「屋台」、「子守唄」、「岡崎(囃子)」、「トウヒャイ」があり、付属芸能として「おかめ」、「ひょっとこ」、「獅子舞」がある。小太鼓が奏でる“テレトロ”という軽やかなリズムが特徴である。浅間大神の例大祭、自治会の盆踊り大会、扇町まつり、市民まつりなどで活動している。中学生以上は盆太鼓や創作太鼓にも挑戦している。
神輿
祭礼の歴史
例祭は8月1日
下今泉の歴史
下今泉(しもいまいずみ/しもいめえずみ)は海老名市の北西部に位置し、相模川の古い沖積低地で、『風土記稿』に「相模川に傍い、其様帯の如し」とあるように南北に延びた地域である。東は上今泉、南は上郷、北は四ツ谷(座間市)に、西は上郷に隣接する。相模川の旧流路を示す上郷村の上河原浦・大川淵や、割り地を表す長割の小字地名がある。その旧自然堤防が東側に突き出たやや高みの地に、富士浅間神社を村の鎮守として安置し、武州八王子への道が南から通じている。北の上今泉境から堰入れた(字関下)鳩川は南下して水田を潤している。下今泉の名は『社寺考』の常泉院の項に見える、「また境内の深泉より常に霊水湧きて田野を潤す」に由来する。今日、その形状から「三日月井」とよんでいる。
永禄2年(1559年)の『所領役帳』に「東郡今泉」とあることから、中世に於いては上・下の隔てなく一村をなしていた。『風土記稿』では「政保の改には上下の区別なし、元禄に至て上下両村に分かれ、別に今泉を添う、後又今泉の地、上下二村の内に併入して、今の如く両村となれり」とその生い立ちの過程を説いている。『安永四年村差出帳』に「・・・出水の節は川次多、・・・水損勝ちの村」であり、「耕作の間、男は縄をない筵を織り、女は木綿を織、蚕少々飼申す・・・」とある。昭和40年(1965年)の八王子街道改修により工場の進出、宅地化の進行と兼業農家の増加を見る。
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