下今泉
浅間神社
「浅間(あさま)大神」は「富士(不二)浅間社」ともいい、鎮座地は下今泉字宮ノ前である。『風土記稿』によれば祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で、駿河国一ノ宮浅間明神の分神である。神体は中央に仏像が鋳出されている直径約10cmの銅鏡である。
文永8年(1271年)9月13日夜に日蓮が鎌倉から佐渡に流される際、不二浅間大明神の加護で無事に相模川を渡ることができたとの言い伝えがある。 別当寺は「総持院」であった。社時は『風土記稿』に富士浅間社、寺珊寺などが載る。
| 浅間大神 | 鳥居 |
| 狛犬(吽) | 狛犬(阿) |
| 燈籠 | 手水舎 |
| 鐘楼 | 神楽殿 |
| 社務所 | 燈籠 |
| 狛犬(阿) | 狛犬(阿) |
| 浅間大神 略誌 | 燈籠 |
| 拝殿 | 幣殿・本殿 |
| 絵馬掛け | 石碑 |
| 石碑 | 石祠 |
| 社殿 | 境内 |
| 下今泉自治会館 | 下今泉あさま広場 |
囃子
「太鼓勧化帳」に安政2年(1855年)とあり、「笛、壱。大太鼓、壱。附太鼓、壱組。摺鉦、壱。代金参両弐朱也」とある。「附太鼓、壱組」とは二張りの意味だと思われる。「下町囃子系」「下今泉はやし保存会」
神輿
祭礼の歴史
例祭は8月1日
下今泉の歴史
下今泉(しもいまいずみ/しもいめえずみ)は海老名市の北西部に位置し、相模川の古い沖積低地で、『風土記稿』に「相模川に傍い、其様帯の如し」とあるように南北に延びた地域である。東は上今泉、南は上郷、北は四ツ谷(座間市)に、西は上郷に隣接する。相模川の旧流路を示す上郷村の上河原浦・大川淵や、割り地を表す長割の小字地名がある。その旧自然堤防が東側に突き出たやや高みの地に、富士浅間神社を村の鎮守として安置し、武州八王子への道が南から通じている。北の上今泉境から堰入れた(字関下)鳩川は南下して水田を潤している。下今泉の名は『社寺考』の常泉院の項に見える、「また境内の深泉より常に霊水湧きて田野を潤す」に由来する。今日、その形状から「三日月井」とよんでいる。
永禄2年(1559年)の『所領役帳』に「東郡今泉」とあることから、中世に於いては上・下の隔てなく一村をなしていた。『風土記稿』では「政保の改には上下の区別なし、元禄に至て上下両村に分かれ、別に今泉を添う、後又今泉の地、上下二村の内に併入して、今の如く両村となれり」とその生い立ちの過程を説いている。『安永四年村差出帳』に「・・・出水の節は川次多、・・・水損勝ちの村」であり、「耕作の間、男は縄をない筵を織り、女は木綿を織、蚕少々飼申す・・・」とある。昭和40年(1965年)の八王子街道改修により工場の進出、宅地化の進行と兼業農家の増加を見る。
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