海老名市の祭礼
海老名の歴史
遠い昔、海老名の一部は相模湾からの入り江となり、洋々たる水に満たされていたという。その後は海岸線が後退し、一筋の相模川の流れに昔の面影を残し、今日の海老名が誕生した。市域の南北に長い地形の中央を標高60mほどの座間丘陵が縦断、西側の低地と東側の丘陵地帯とに大きく二分されている。丘陵上は古くから人間が生活しやすく、海老名でもおよそ2万年前(先土器時代)から人間が生活していた形跡が認められている。
時を経て条里制が敷かれると旧東海道が開かれ、海老名には浜田の駅家が置かれた。当時は広大な相模平野をとうとうと流れる相模川、大山・丹沢の山並みの上に仰ぐ富士山など、雄大な景勝の地であった。さらに奈良時代には聖武天皇の詔勅(741年)により、国分寺の僧寺や尼寺が建立され、経済・文化の中心地として栄えた。
その後、国分寺は天災や戦乱のために衰退したが、平安末期から鎌倉時代にかけては海老名氏の拠点として河原口に館が築かれていたという。室町時代に海老名氏は永享の乱(1438年)で足利持氏に加担して戦いに敗れたが、その後も海老名季高が武家儀礼に関する「鎌倉年中行事」を著すなど活躍している。江戸時代には幕府の地や旗本領、幕領となり、東海道の脇街道として矢倉沢往還(大山街道)などが当地を通り、相模川の渡船もあって、各地に通じる交通の要衝であった。
海老名市域は神奈川県のほぼ中央部、相模川左岸に位置し、西は相模川を隔てて厚木市に対し、北は座間市に接する。東は大和市・綾瀬市、南東は藤沢市、南は寒川町に隣接する。市域の西半部は相模川の沖積低地で、かつては肥沃な水田地帯が広がっていた。一方、市域の東半部は「相模横山九里の土手」と呼ばれる相模野台地の南端、座間丘陵の南部がかかり、丘陵・大地を形成して雑木林と畑地が広がっていた。市域の東境近くを目久尻川が南流し、その支流の小河川の谷戸が南部に食い込んでいる。
沖積低地の中でも相模川流路に近い西側部分は、堆積物により形成された自然堤防が小高く南北に並び、その東側は後背湿地である。この湿地地帯の中にも自然堤防の微高地が存在し、俗に「田島」と呼ばれる。古くから海老名耕地の名で知られてきた西部の低地は稲作を主とする穀倉地帯であり、東部の台地は畑作農業が営まれ、近代になると養蚕のための桑園が広がった。このような地形と自然を舞台にして、海老名の近現代史は展開するのである。
相模川は往古から海老名市域の住民に多大な水の恵みをもたらし、古くは生活用水や灌漑用水の、近代になると工業用水や都市用水の供給源であった。また、船運や漁業でも同じ恵みを受け、これらは現代でも変わりはない。その反面、増水期には毎年のように大小の洪水が沿村を襲い、その都度、深刻な被害を住民に与えてきた。また、交通の面では対岸の厚木市域の村々との間に渡り船が通い、その渡しを対岸の村名を取って「厚木の渡し」・「岡田の渡し」・「戸田の渡し」と呼びなわらしてきた。しかし、明治末に相模川に鉄橋が架かると渡船による渡しが廃止され、戦時中の相模川河水統制事業によって相模ダムが建設されるに至り、洪水の危険は一挙に解決された。戦後は代わって砂利の乱掘や流域の工業化による水質の汚濁により川は一時荒廃したが、流域住民の努力で浄化と再生が進み、清流がよみがえってきている。
有鹿郷/海老名郷/恩馬郷
●有鹿郷
『和名類聚抄』の国郡部に「相模国高座郡」の十四郷の郷名の内の一つに「有鹿郷」が載り、これが古代前期における市域北部河原口を中心とした地域の地名であったと考えられる。「有鹿(ありか/あるか)神社」は延長5年(927年)完成、康保4年(967年)施行の『延喜式』の「神名式(延喜式神名帳)」に記載されている相模国13座の1社で、古縁起によれば天平勝宝6年(754年)の創建と伝えられる古社である。
●海老名郷
「海老名郷」は今日の海老名市全域ではなく、有鹿郷より今泉を除いた中新田・河原口・上郷・社家・中野の五か村の区域であったと考えられる。有鹿郷がいつ海老名郷に変名したかは不明であるが、その初見は応永24年(1417年)の有鹿神社の鐘銘文にある。『風土記稿』には「海老名の地名ふるくは康平年間(十一世紀後半)奥州の役、伊予守頼義の属将に海老名源四郎親季(中略)あり、其頃此地に住して在名を抄せしなるべし」とあり、平安時代中期には海老名の地名は起こっていたと推定される。また、永禄2年(1559年)編といわれる役帳にも海老名と載せていることから、この頃には既に海老名という地名が定着していたものと思われる。海老名氏の居館跡は有鹿神社の南にあったとされるが、遺跡・遺構はほとんど存在せず、小さな祠堂と背景の古木が僅かに昔を伝え、近くに御屋敷・矢島などその関連かと思われる地名が残る。海老名郷は鎌倉時代頃に「上海老名郷」と「下海老名郷」に分かれていたと推定される。
●恩馬郷
中世、市域南部は「恩馬郷」と呼ばれ、小馬・小間・遠馬などども表記される。鎌倉時代初期に渋谷小馬十郎経重を若狭国の守護代に任命したことがみえることから、渋谷氏の一族の内、恩馬郷を領して恩馬氏を名乗った武士がいたわけである。この恩馬郷は現在の本郷・杉久保・上河内・中河内・吉岡(綾瀬市)・用田(藤沢市)を含む地域であったと考えられる。戦国時代の『所領役帳』には「東郡恩馬」と記載されている。古代末期から中世にかけて恩馬ケ原は馬の放牧地であったという言い伝えがあり、『風土記稿』には「俚談に往昔此地に伊勢外宮、騎馬の姿にて現じ給う。よりて御馬の唱起れり」と土地の説話をのせている。
海老名村
旧海老名(えびな)村は現在の海老名市域の北半分に当たり、相模川左岸に位置し、東は綾瀬、北は座間に接し、西には相模川を隔てて厚木がある。村域の西半分は海老名耕地と呼ばれる広大な水田地帯が広がり、東半分は丘陵地帯である。
「海老名村」は明治22年(1889年)4月1日の市制町村制施行により誕生し、江戸時代以来の国分・大谷・中新田・河原口・上郷・下今泉・上今泉・柏ケ谷・望地の九か村が統合して新たに成立したものである。これらの地域が中世の「海老名郷」に属していたため、その郷名から新村名を採った。昭和15年(1940年)12月20日に海老名村は町制を施行して「海老名町」となり、昭和18年(1943年)には相模湖誕生に伴って津久井郡日連村勝瀬の住民を受け入れた。昭和30年(1955年)7月20日には有馬村を合併し、昭和46年(1971年)11月1日の市制施行により「海老名市」が誕生した。
有馬村
旧有馬(ありま)村は現在の海老名市域の南半分に当たり、相模川左岸に位置し、東は綾瀬市、南は藤沢市と寒川町に接し、西は相模川を隔てて厚木市に対する。村域の半分は有馬耕地と呼ばれる広大な水田地帯が広がり、東半分は恩馬ヶ原と呼ばれる台地が広がる。その間に目久尻川の支流の釜坂川などの谷戸川が南北に入り込んでいる。役場ははじめ中野に置かれ、後に中河内に移った。
「有馬村」は明治22年(1889年)の市制町村制施行により誕生し、江戸時代以来の杉久保・本郷・上河内・中河内・今里・社家・中野・門沢橋の八か村が統合して成立した。これらの村が古代郷名の「有鹿郷」と「恩馬郷」のいずれかに属していたため、社家と中野の二村が属した有鹿郷の“有”と、上河内・中河内・杉久保・本郷の五村が属した恩馬郷の“馬”とを合成して有馬の新村名をつくり、以降は旧来の村名が有馬村の大字となった。昭和30年(1955年)に海老名町に編入し、八大字は海老名町の大字として引き継がれ、昭和46年(1971年)に海老名市となっても、八大字は海老名市の大字としてそのまま引き継がれて現在に至っている。
海老名の祭囃子 (海老名市指定重要無形民俗文化財)
「海老名の祭囃子」は令和7年(2025年)9月29日に海老名市教育委員会によって市指定重要無形民俗文化財として指定され、保持団体として「海老名市はやし保存連絡協議会」を認定した。市内で祭囃子に関わる人数は約530人(各団体の調査合計値)に上る一方で後継者不足などの課題があることから、市指定重要無形民俗文化財に指定することで市内外に広く認知され、「海老名の祭囃子」を後世に伝える一助として市内では20年ぶりとなる文化財指定となった。
江戸時代や明治時代に行われていた地区は、国分、大谷、下今泉、上郷、杉久保、本郷新宿、今里、社家、中野、門沢橋の10地区で、大正時代から戦前に行なわれていた地区は、柏ケ谷、中河内、本郷下河内、本郷上町の4地区である。戦前はどこにも腕自慢の青年がいて、地区外の祭礼に自慢の腕を競ったといわれるが、太平洋戦争によって中断してしまった。戦後昭和22〜23年(1947〜1948年)頃に復活したという地区もあるが、公的な場では昭和51年(1976年)の市制施行5周年を記念した「えびなふるさとまつり」で、国分の人たちが叩いたのが最も早いとされている。
海老名市には17地区に「祭囃子」の団体があり、その17地区の団体で「海老名市はやし保存連絡協議会」を結成し、毎年「新春はやし叩き初め大会」をはじめ、「市民まつり」、「えびな郷土芸能祭」など市の主催する行事や地域の祭りで演奏され、祭りには欠かせない地域に根付く貴重な文化である。海老名市内の祭り囃子は「下町囃子系」と「新囃子系」の2つに大別され、これ以外には津久井郡から移住してきた勝瀬の「目黒囃子系」がある。
●下町囃子系
北部で大谷を除く旧海老名村を中心に伝承され、大和・綾瀬・座間方面との関連が深い。伝承地区は柏ケ谷、上今泉、国分、下今泉、上郷、河原口、中新田の7地区である。
●新囃子系
南部で大谷と旧有馬村を中心に伝承され、平塚・茅ケ崎・厚木方面、特に平塚の田村囃子との関連が深い。海老名市内の10地区で伝承され、更に次の2系統に分類することができる。
@中河内、今里、社家、門沢橋の4地区
A大谷、杉久保、本郷(新宿、上町、下河内)、中野の6地区
●目黒囃子系
相模ダム建設のため津久井郡日連村勝瀬から移住した集落の囃子で、年代は未詳だが江戸時代の目黒囃子の系統と言われ、藤野町(津久井郡/現・相模原市)のものと同じだといわれる。ゆったりとしたテンポで各種の踊りが独特のものである。
海老名市内の囃子の構成に関して原則は、大太鼓(オオドともいう)一張、小太鼓(コド・ツケともいう)二張、笛一管、摺鉦(すりがね)一の五人囃子だが、拍子木を入れる所(柏ケ谷・国分)もある。なお、現在は演奏者が小・中学生中心で人数が多いため、小太鼓や笛などを増やす地区が多い。小太鼓は戦前はロープによるカシジメが多かったが、現在ではボルトによる締め(ボートジメともいう)になっている。笛は「イタドリ」で作ったものが音がヤッコイ(柔らかい)と自製する人もいる(国分)が、市販の篠笛で七孔である。調子は六本調子が良いという人がいるが、今は大体七本調子で高くなっている。これは叩き合いをした場合、高音の方が通るからという。もし吹くことができれば四本か五本調子の太い方(低音)が良いという年配者も多い。教授法は口伝と楽譜によるものがあり、楽譜のことを符(譜)帳または帳面などといっている。
戦前は青年が中心で、小学校高等科(現中学2年)を終えると青年団に入って叩くようになった。「ワケーシュ寄ればテーコタタイタのが何よりの楽しみ」と当時を振り返る古老は多い。農作業を終えた夜間や余暇の活用であるとともに非行の防止でもあり、この非行の防止というのは江戸時代からの伝統という。戦前は「シリヲワッタ」といって途中で止めて行く者が多かったという。戦後になると小・中学生が中心となり、女子が多い傾向がある。囃子の練習に合わせ言葉遣いや礼儀作法など、躾(しつけ)にも重点を置いている地区が多く、いわば家庭教育の代用である。稽古・教授はに関しては各地区に囃子保存会が作られていて、指導は各地区の役員(経験者)や先輩が当たるのが一般的である。稽古は大体週1、2回が多い。
| 地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
| 1 | 大谷 | 八幡神社 | 大谷3721 | 10/8近日 | ||||
| 2 | 勝瀬 | 八坂神社 | 勝瀬9-1 | 8/22近日 | ||||
| 3 | 上郷・河原口 | 有鹿神社 | 上郷2791 | 7/14近日 | ||||
| 4 | 国分・上今泉・柏ケ谷・望地 | 弥生神社 | 国分北2-13-13 | 4/10近日 | ||||
| 5 | 下今泉 | 浅間大神 | 下今泉951(5-8-15) | 8/1 | ||||
| 6 | 中新田 | 諏訪神社 | 中新田1549 | 7/27 |
| 地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
| 1 | 今里 | 正八幡宮 | 今里274 | 4/20近日 | ||||
| 2 | 門沢橋 | 渋谷神社 | 門沢橋2166 | 7/16近日 | 動画@ | |||
| 3 | 社家 | 三嶋社 | 社家3392 | 4/23近日 | ||||
| 4 | 杉久保 | 豊受大神 | 杉久保1844 | 10/9,10 | 動画@ | |||
| 5 | 中河内 | 貴日土神社 | 中河内1743 | 4/10近日 | 動画@ | |||
| 6 | 中野 | 八幡宮 | 中野2 | 4/14近日 | ||||
| 7 | 本郷 | 本郷神社 | 本郷2657 | 4/4近日 |
| 祭名 | 開催地 | 住所 | 祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
| 1 | 新春はやし叩き初め大会 | 海老名市総合福祉会館 | めぐみ町6-3 | 1/第4日 | ||||
| 2 | えびな市民まつり | 海老名運動公園 | 中新田3291-19 | 11/第3日 | 動画@ABC |
| タイトル | 著者/編集 | 出版/発行 | 出版年 |
| 海老名郷土誌 | 大島正徳 | 佐藤今朝夫 | 1933(昭8) |
| 海老名地名考 | 池田武治 | 尚美印刷社 | 1979(昭54) |
| 大正初期 郷土の実態 | 池亀茂 | 同左 | 1992(平4) |
| 海老名市史9 別編 民俗 | 海老名市 | 同左 | 1993(平5) |
| 海老名市史叢書7 海老名の地名 | 海老名市 | 神奈川新聞社出版局 | 1998(平10) |
| えびなの歴史 海老名市史研究 第10号 | 海老名市史編集委員会 | 海老名市企画部市史編さん室 | 1998(平10) |
| 海老名市史跡文化財写真ガイド ふるさとの歴史と文化遺産 | 海老名市教育委員会 | 同左 | 2004(平16) |
| 海老名文化財散策 自然と歴史のさんぽみち | 海老名市教育委員会文化財課 | 海老名市教育委員会 | 2006(平18) |
| 海老名市史8 通史編 近代・現代 | 海老名市 | 同左 | 2009(平21) |
| 海老名の神社 データベース | NPO法人 海老名ガイド協会 史跡文化財部会 | 同左 | 2014(平26) |
※上記の文献は他のページでも引用していることがあります。