下栗原しもくりはら

龍藏神社

 「龍藏神社」は下栗原の氏神で、祭神は龍蔵大神・天之御柱神(あめのみはしらのみこと)・国之御柱命(くにのみはしらのみこと)の三神、例祭日は4月3日となっている。創建年代は不詳であるが、元禄14年(1701年)の『栗原村寺社書上』などには「龍頭大権現」とあり、文化13年(1816年)の『栗原村明細帳』には「龍蔵権現」と記されている。また、八軒庭に伝えられている寛永2年(1625年)の村絵図には「いっぺい窪」という小字の東側台地上に龍蔵社の社地が記されており、現在そこは畑の中に土盛りをした基壇が残されていて、後にそこから中下の西高台上に移されたようである。
 『新編相模国風土記稿』には「龍蔵権現社、村の鎮守。山王稲荷を合祀す。元文三年再建の棟札あり。例祭七月二十日。鐘楼、天明七年鋳造の鐘を掛」とあって、元文3年(1738年)に社殿の再建がなされ、天明7年( 年)に鋳造した鐘を掛けた鐘楼があった。
 明治6年(1873年)に栗原内の五社の小鎮守神の合祀により、栗原神社に寄せ宮されたが、明治35(1902年)年に再び独立して巡礼街道沿いの地に祀り直されることとなった。そこはもともと徳生大権現という小祠の祀られていた所であったといい、ちょどその頃に下栗原に疫病が流行したので、それを鎮めるために龍蔵社の中下への復活がなされたのだといわれている。下栗原の中でも特に中下の家々は古くからあつく龍蔵社を信仰してきており、下肥運びの際に龍蔵社の参道を通っては神前を汚すことになって誠に恐れ多いと言って、わざわざ別の農道を作ったといわれる程である。そのような住民感情もはたらいて、龍蔵社の再興が強く望まれたものと思われる。
 さらに昭和59年(1984年)に目久尻川の改修で現在地に遷された。もとは龍蔵大権現といわれたが、同名の社は県内には飯山にもあり、裏山の白山社とともに両社大権現として大江広元が屋敷神としたという。社の性格は水神のようで、飯山には白龍太鼓という雨乞い行事がある。

龍藏神社鳥居
社号柱(龍藏神社)水鉢
狛犬(吽)狛犬(阿)
燈籠社殿
龍藏神社 由緒沿革石碑
石造物境内社
倉庫境内

囃子

 


神輿

 


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