はやし

神社の紹介

  「王子神社」を天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』でみると「王子権現社」と称し、社地には弘安古碑と称するものがあり、弘安4年(1281年)辛巳三月日相模守平時頼と刻す。
  明治27年(1894年)2月10日の『神社明細取調書』では祭神を「予母津事解男命」・「伊弉冊命」・「速玉男命」とし、勧請年月は未詳だが弘安4年(1281年)巳祀3月の堅固山福伝寺と記す棟札があることから、この年をもって再建となすべしとある。但し本社を距てる南方四町二十五間鳥居戸と称する地に鳥居の基礎両個あり、この辺一帯を尼寺原とて古時尼僧が住み七堂伽藍ありしと伝えることから、本社も当時の規模蓋し観るべきものありしならんかとある。また、勧化簿には天保12年(1841年)に王子両社焼失修復成就、弘化3年(1846年)9月に王子社焼失、弘化4年(1847年)2月に再建とあって、同年4月8日に遷宮となった。
  昭和11年(1936年)10月の記録帳によると建長年間(1249〜1255年)に北条時頼が王子権現と王子稲荷の両社を戍亥除けとしてここに建立したと旧記にあるとしている。福伝寺には弘安4年(1281年)3月建立の古碑と王子権現の御神体が保存してあるとしている。また、昭和11年(1936年)10月21日に社殿の再建と石の鳥居を建てたとなっている。
  この他には、徳川家康の江戸開府のときに井上右近・左近の兄弟が王子二社(東京)を分霊して金輪寺におもむいたとの伝承がある。

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王子神社鳥居
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社号柱燈籠
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社殿水鉢
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境内

  



例大祭

  以前は4月3日であったが、現在は4月の第1か第2土曜日に実施され、氏子総代と役員が中心となり行われる。
  当日は、午後に神殿で神主による祝詞奏上、氏子総代・役員により玉串奉奠が行われる。また、昔は神楽をやったこともある。

太鼓

  

神輿

  


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