東田原ひがしたわら

神社の紹介

  丹沢山塊のふもとの東田原に「朝日神社」があり、近くを金目川が流れ、その対岸には波多野一族の居城であった波多野城址がある。朝日神社はもと「八幡宮」と称し、今も地元の人々には八幡さまとして親しまれている。祭神は疫神の「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」および「八幡神」を祭祀している。
  正徳3年(1713年)2月に村民協議の上、神社を創立したという古老の申し伝えがある。昭和55年に社殿を銅板葺に改修した。

朝日神社鳥居
鳥居
社殿
境内

  

太鼓

  

神輿

  神輿の建造は大山の大工「手中明王太郎景元(かげもと)」が明治30年(1897年)4月に請け負い、翌年の明治31年3月14日に完成した。景元78歳の晩年の作で、景元はこの後神輿を造ることはなく最後の作品となった。神輿はその後修理されることなく、建造当時の姿のまま現在に至っており、毎年春祭になると朝日神社の氏子にかつがれている。
  朝日神社の例祭は7月14日であり、この日は式典が行われるが、神輿の渡御は行われない。実は東田原には朝日神社の他に「東田原神社」があり、3月18日(現在は7月)に両社は合同して二社揃祭(そろいまつり)を行い、朝日神社の神輿が出御するのはそのときである。祭りの日、朝日神社の神輿には白い布の捩りを掛け、東田原神社の神輿は赤い捩りを掛けて両神輿を紅白に飾る。年番で朝日神社の神輿が東田原神社へ渡御し、翌年は入れ替わって渡御をする。迎える側は神輿を出して部落境まで出迎える習わしとなっている。
  朝日神社の正面の参道に急勾配の石段があり、宮出しの神輿がここを通るときが勇壮である。石段が急過ぎてそのままでは神輿が転げ落ちてしまうため、神輿に2本の太い綱をつけて石段の上から大勢で引張る。担ぎ手は負けじと神輿を下へ引き、両者の競り合いによって少しずつ降りていく。ことに宮入のときは石段の上に大勢の人が集まって力を合わせて太綱を引き、担ぎ手は神輿の宮入りを惜しみ上がらせまいとするから大変である。神輿は時間を掛けて宮入をする。このとき石段の上での神輿の綱引きには大勢の村人が参加し、昔から人々は信仰として綱を引くといい、一年の無病息災を信じる人も多い。


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