堀山下ほりやました

八幡神社

  八幡神社の祭神は「誉田別尊(ほんだわけのみこと)(應神天皇)」・「息長足姫尊(そくながあしたるひめのみこと)(神功皇后)」・「良玉多礼命(たかよしたまたれのみこと)(武内宿称)」で、境内社には金刀比羅神社・三島神社・稲荷神社・日前神社がある。「八幡宮」は天安2年(858年)に九州の宇佐八幡宮から分霊を勧請して此の地に祀り、当初は「金光山(こんこうざん)正八幡宮」と号した。武門からは立身出世・民族繁栄・行路安全・災難消除の神として、民間からは安産・子育ての神として信仰された。和州群山藩主柳沢刑部左衛門代々崇敬篤く、また米倉丹後守家歴世崇敬篤く社殿再建、更に年々欠くことなく祭祀料、金五両寄進せられる。
  天正年間には小田原北条氏が祭禮奉幣の儀を行い、徳川家康天正19年(1591年)11月には社領五石の朱印状を受けている。また堀山下村の領主米倉氏は守護神として手厚い保護をした。明治6年7月30日に郷社に列せられ、大正14年4月には神饌幣帛料指定神社となった。堀四ヶ村の鎮守として崇敬護梼され今日に至っている。社宝には徳川家康奉納の大刀一振、狩野休真米倉丹後守奉納の絵馬、柳沢刑部左衛門奉納の燈篭一対、米倉昌照奉納の幣三本渡金、天正17(1589年)11月1日に小田原北条氏の下知による古文書掟状がある。
  名所「大鼓橋」は社頭の用水路にかかり、小規模ながら県内にも珍しい古い様式のものという。

八幡神社石碑
鳥居神社由緒
手水舎
燈籠狛犬
拝殿本殿・幣殿
  
  
 境内

太鼓

  堀山下地区の祭ばやしは「堀山下囃子保存会」によって伝承され、明治後期から大正初期にかけて小田原方面から伝わったという。
  囃子は「大太鼓1」・「締太鼓2」・「笛」で構成され、曲目は「ハヤ」・「宮聖殿」がある。八幡神社例祭に山車で巡行(大倉〜下関を往復)する。



神輿

  神輿の渡御には白丁鳥帽子姿の氏子が奉仕し古儀を今に伝えている。



例大祭

  4月18日



堀山下の歴史

  『風土記稿』にある小名は「関」・「北」・「久保」・「宮」・「鍛冶ヶ谷戸」・「大蔵」であり、天保5年(1834年)の戸数は111であった。


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