井戸町いどちょう

大馬神社

  大馬(おおま)神社は平安初期の桓武朝の御世に、征夷大将軍・坂上田村麻呂が「鬼ヶ城」で討ち取った賊の首を地中に埋めてその上に社を建立し、当時の熊野国総鎮守としたという言い伝えがある。その後、江戸時代に智興和尚という僧がこの話を伝え聞いて参詣しようとしたところ、「花の窟」の辻あたりで大きな葦毛の馬に乗った田村麻呂の御霊が現れて社まで案内し、田村麻呂が大きな馬に乗っていたことから大馬神社と呼ばれるようになったという。また、田村麻呂の愛馬が一緒に埋められたことから「大馬」とも、大魔を封じた社が転じて「大馬」となったとも言われている。
  大馬神社花は花窟神社、産田神社および二木島の牟呂古、阿古司に次ぐ古社といわれている。和歌山県新宮市の熊野速玉大社に「有馬三山の図」という江戸時代の色彩絵掛軸があり、花窟神社・産田神社・大馬神社の三社を熊野三山になぞらえたものがある。
  明治39年(1906年)12月25日に神饌幣帛料供進社に指定され、現在に至る。元は大馬地区の産土神であったが、現在は麓の八幡神社が遥拝所になっており、井戸町全体の氏子組織によって祀られている。



八幡神社(遥拝所)

  

里宮鳥居
燈籠手水舎
平和の礎社殿は
八幡神社(左手)御霊神社(右手)
御神木日露戦役 表忠碑
社務所境内

獅子岩

  獅子岩は国の天然記念物「鬼ケ城」に昭和33年(1958年)に追加指定され、国指定の名勝・天然記念物に指定されている。獅子岩は海岸の隆起と海食現象によて生まれ、高さ25m、周囲約210mの巨岩があたかも熊野灘に向かって吠える獅子のように見える。古来から南側の神仙洞が吽の岩(雌岩)、獅子岩が阿の岩(雄岩)と云われ、総称して阿吽の岩とも呼ばれている。そのため、大馬神社の狛犬に例えられ、同社では現在でも境内に狛犬を置かない習わしとなっている。

獅子岩交差点付近石碑
獅子岩鬼ヶ城・七里御浜・熊野灘


大馬の清滝

  境内にある大馬の清滝は落差約20mの滝で、市街地を流れる井戸川の源流である。坂上田村麻呂が鬼を討ってこの付近に封じたのも、この滝の霊力によって鎮守させるためとも言い伝えられている。



大間神社例祭(弓引き神事)

  大馬神社の例祭は毎年1月6日に執り行われ、祭礼の日には一年の平安を祈願して「弓引き神事」が行われる。水垢離によって禊をした後、弓引き役は烏帽子・直垂姿に、矢取り役は白装束に着替え、当屋の組から選ばれた2人の弓引きが6回ずつ合計12本の矢を放つ。的までの距離は約12mで、的の大きさは約90cmである。


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