久保

神社の紹介

  「日枝神社」は飯山久保部落の鎮守で、旧社名は「山王社」と称した。当社の創建については詳細な記録はないが、天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』に見える「山王社 四」の内の村持ちの1社であると推測される。
  社殿は木造入母屋造の拝殿に続いて覆殿があり、木造流造の本殿が納められている。また、東側には神楽殿が建っている。現在の祭神は「大山祇神」を祀り、御神体は石棒を祀っている。石段は大正7年(1918年)9月に総氏子によって改修され、昭和41年(1966年)には榊原香世子・霜島茂正によって石鳥居が奉納された。石段下には庚申塔や馬頭観音などの石造物がある。

2009.1.242009.1.24
日枝神社鳥居
2009.1.242009.1.24
神楽殿
2009.1.242009.1.24
拝殿覆殿
2009.1.242009.1.24
境内

太鼓

  



神輿

  10時頃に神輿が出発し、順路中の以下の地点で休憩する。@久保橋A農協前B矢崎C庫裏橋(昼食)D松野屋前E西部建設Fゴルフ場入口G下久保(小島宅)。休憩所ではジュース、酒を出す。15時頃に神社へ戻る。



例大祭

  当たり日は10月15日であるが、現在は15日に近い日曜日に行われる。
  大祭前日の午後から自治会の役員らにより、清掃、舞台かけ、神輿の休憩所にシデを立てる。昭和40年(1965年)代頃までは1年ごとに地区毎に担当して、石段の下(飯山4311高橋宅付近)に幟立てをしていた。本殿内に古い帳面や幟が保管されている。
  大祭当日の9時頃から神官(飯谷氏)により神事が行われ、子供神輿のお祓いをする。18時30分頃から20時頃まで余興を行い、余興は隔年で実施する取り決めがある。昭和30年(1955年)頃までは市川柿之助やゲンゴロウなどの歌舞伎を呼んだ。その頃は境内一杯に人垣ができ、翌日の午前2時から3時頃まで続いた。
  露店は境内に5〜6軒出るが、かつては参道に50メートル位に渡って露店が並んだこともある。


戻る