上依知かみえち



神社の紹介

  上依知地区の北東を流れる相模川畔では水流の変化によって地域が変わっていった。古くは上依知分河原の中程に「浮島」という小島があり、「弁天神社」が祀られていた。当時は上依知の字中河原であり、別当寺院は相模原市当麻の明徳院と同市磯辺の仏像寺であった。
  当社は相模川が洪水する毎に再三被害を受けて来たため、荻野山中藩の役人松下祐信なる人の考案にて、浮島を火薬にて破壊し弁天様を安全なる土地に移そうと計画した。そして晴れた大空の下にて準備着工が進められ、実施の日には相模川両岸に多数の住民が集まった。この時破壊された浮島の取り除き作業は工事長作兵衛の差図と上依知部落民の協力とによって順序良く進み、その後直ちに完全な土地に弁天様の祠を再建した。
  現在は「浮島神社」と改称している。

2008.8.232008.8.23
浮島神社鳥居
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拝殿覆殿
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水鉢
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境内

  



例大祭

  4月19日が当たり日であるが、近年は4月15日頃の土曜日になり、現在は4月中旬の日曜日になった。式典は神社氏子、余興は地域の演友会が行う。
  大祭当日は朝8時から社殿・境内の清掃、幟立て(昭和54年に新調)、余興舞台の設営などの準備を行う。11時から式典をは初め、社殿に神主(水島氏)、氏子総代等役員、地域の代表者(自治会長・老人会長・囃子連・消防等)が集まり、祝詞・玉串奉奠一連の神事を行う。式終了後は神前にあげた神酒で清めを行う。
  夕方6時30分頃から余興が始まり、余興は地元有志(演友会)が主催している。昭和30年頃までは神楽(愛甲)や芝居をやったが、現在は踊りやカラオケなどを行う。

太鼓

  

神輿

  


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