上落合かみおちあい

菅原神社

  「菅原神社」の祭神は「菅原道真」で、文久元年(1861年)の「天満宮社再建」の棟札がある。天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると「天神社」が村持ちの鎮守で、末社「神明社」と「山王社」の名が記載されている。
  木造の社殿内部には柿(こけら)葺き木造流造の本殿があり、木造の菅原座像・帝釈天立像などが一緒に納められている。また、入口にある鳥居の脇には中世のものと思われる五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)の部分が沢山置かれているが、これらは近くの道路際から移されたもので道祖神として祀られてきたものである。

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菅原神社鳥居
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参道水鉢
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拝殿覆殿・倉庫
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境内
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厚木市立 上落合児童館隣接する公園

囃子

  



神輿

  1970年代頃から神輿が出るようになったが、今は子供があまり担がなく、子供のいる親が主に担いでいる。社殿の横には倉庫があり、この神輿を納めている。

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御輿殿?


例大祭

  昔の例祭日は4月10日であったが、現在は10日前後の日曜日である。神社の中のオテンノウサンは7月20日である。
  昔は村中の人が出て宵宮の前日に幟を2本立てたが、竿が木だったため駄目になってしまい、現在はポールとなっている。降ろすのは翌日のハチアライの時である。
  昔は神楽殿があり、春の本まつりの時だけ余興に芝居が出たが、1980年代頃に神楽殿は取り壊され、児童館に変わった。この際に御神木は切り倒され、まな板にして氏子に配った。
  現在は神主が来て式を挙げ、乾杯をして一杯やり、自治会関係等の打ち合わせをなどもある。式の開催については氏子全員に触れが回り、都合のつく人が参加する。この時、各家でとれた野菜を持参するが、この野菜は神主が持って帰る。この式は夏のオテンノウサンのときもやる。
  昔はお面や刀などのおもちゃを売る露天が10軒くらい出たが、今は1〜2軒だけである。



上落合の歴史

  旧上落合村は厚木市域の最南部に位置し、村域は平坦な相模平野にある。西境にはかつて玉川が南流していた。周辺は、東側は下津古久村、南側は長沼村、西側は大住郡石田村・同下落合村(現伊勢原市)、北側は愛甲村に接している。旧集落は村域の西側、旧玉川沿いの事前堤防上にあり、村域の東側が耕地であり、そのほとんどが水田であった。
  中世の頃の上落合村については現存する資料には見られず、天正18年(1590年)の「豊臣秀吉禁制」に載る「相模国大中郡内落合郷長徳寺」が初見となる。『風土記稿』では『所領役帳』に載る「油井領東部落合」と「波多野落合」を上落合村の項で扱っているが、『小田原衆所領役帳 日本史料選書2』では「東部落合」を綾瀬市落合、「波多野落合」を秦野市落合に比定している。
  近世の支配は藩領・旗本領等の4給で、『風土記稿』によると幕末の戸数は30戸であった。明治22年(1889年)に長沼村・下津古久村・戸田村・岡田村・酒井村と合併して相州村大字上落合となり、その後に中郡相川村大字上落合となる。昭和30年(1955年)の町村合併後は厚木市大字上落合となる。


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