北矢名きたやな

菅原神社

  「菅原神社」の祭神は菅原道真公で、正義・誠・学問・書道の守護である。古老の話では、その昔「石名坂」、通称「石の坂」と云い、おおね台の北のはずれ、弘法山への上り口に祠があって、いつの頃か現在の所に遷された。以来、「お天神さま」として親しまれている。
  天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』には「北矢名 天神社」と明記され、神体は木像坐像、末社には天王・稲荷・金毘羅とあるので、少なくともそれ以前に既にこの地に祀られ、地域住民の信仰の中心となってきたと思われる。
  「菅原道真公」は平安前・中期の公卿くぎょう菅原是善これよしの子である。文章博士、蔵人頭くろうどのとの、参議を経て、宇多うだ天王の時に謙等遣唐大使となるが派遣中止を奏上。醍醐だいご天皇即位に際し、宇多天王より藤原時平ときひらと共に補佐を命ぜられ、右大臣従二位に昇るが、権勢の拡大を藤原氏から疎まれ、延喜元年(西暦901年)に醍醐天王の廃位と斉世ときよ親王の擁立を企てたとの作り話で大宰府に左遷されその地で没した。没後に「天満大自在天神てんまんだいじざいてんじん」として崇敬され、大宰府天満宮・北野天満宮などに祀られ、のちに「正一位左大臣」を追贈された。

菅原神社鳥居
手水舎
 
拝殿本殿
神社由緒
境内

  例祭日はかつて7月25日であったが、現在は4月25日に近い日曜日である。

太鼓

  北矢名地区の祭ばやしは「北矢名太鼓連」によって伝承され、明治の頃より受け継がれているという。囃子は「大太鼓1」・「締太鼓2」で構成され、曲目は「宮代伝」・「じしょう伝」・「祭りバヤシ」・「バカハヤシ」がある。菅原神社祭礼にトラックで巡行し、宮入後は招待している「瓜生野太鼓連」と境内で競い合って「バカハヤシ」を叩く。



神輿

  



北矢名の歴史

  矢名が南北に分かれた年代は不明であるが、永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』には北矢名の記載があることから、既にこの頃には分村していたと思われる。『風土記稿』にある北矢名村の小名(当時の大字)は「蛇窪」・「太夫窪」・「谷」・「田中」・「中尾」であり、天保5年(1834年)の戸数は65であった。


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