小柳こやなぎ

神社の紹介

  上戸田部落字「小柳」の地に祀られている「子易神社」の創建年月は不詳であるが、古くから鐘楼もあり寛政6年(1794年)に鋳造した銅鐘も掛けられていた。この鐘は大東亜戦争中に供出したためその響きは途絶えてしまった。祭神は安産の神「木之花開耶姫」を祀り、境内に相殿として祀られている「八坂神社」の祭神「素戔鳴尊」は神輿の神といわれている。天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると「子安明神社」と称していた。
  社殿は昭和26年(1951年)4月に完成し、木造入母屋造正面に向拝付の拝殿(間口3間半、奥行2間)に続き、幣殿(間口9尺、奥行9尺)がある。覆殿(間口2間、奥行2間半)は木造切妻造にて、中程に流造柿葺の本殿(間口1.35m、奥行1.20m程)がある。この他に上戸田公民館を兼ねた木造切妻型トタン葺の神楽殿(間口5間、奥行2間半)と、神輿収蔵庫(間口2間、奥行2間半)がある。境内右奥には震災記念碑と多くの石造物があり、建立年が判読できるのは元禄13年(1700年)の角柱型石造物と天明6年(1786年)の庚申塔の2基で、もう1基三猿を彫った庚申塔と思われる石造物には「右 船渡り道」「大山道」と刻まれ道標を兼ねていた。
  当社の信仰について、拝殿入口の格子戸に掛けられてある竹杓子を、出産近い婦女子がこれを借りて持ち帰り枕元へ置くと安産できるといい、無事出産した後は別に新しい杓子を1本添えててお礼に奉納するという。

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子易神社鳥居
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水鉢燈籠
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拝殿幣殿・本殿
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八坂神社?
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神楽殿神輿殿?
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境内

太鼓

  



神輿

  子易神社と若宮八幡神社は隔年毎に当番町が替わる仕来りであるが、神輿は子易神社境内の八坂神社のものである。当地の渡御は両社氏子により、両社の氏子区域を巡行する。この神輿は口伝によると平塚市真田の真田神社から譲り受けたもので、明治28年(1895年)に旧地地主宅で修復され、大正末期か昭和初期に塗り替え、昭和57年(1982年)に仏具師中村極楽堂で再修復された。



例大祭

  字小柳にある子易神社と字沖小柳にある若宮八幡神社で1年交替で行い、「子易さんのおまつり」といった。なお『風土記稿』に記載される旧戸田村の小名のうち、「上戸田」には「小柳・沖小柳」の字があると記されており、この2つの字の鎮守が現在の子易神社と若宮八幡宮であった。
  『風土記稿』によると祭礼日は旧暦の9月1日で、戦前には10月1日であったが、養蚕の関係で戦後に4月28・29日となり、現在は4月第4の土・日曜日となった。
  まつりの初日となる前日の夕方は余興(2001年はカラオケ大会)を行う。2日目の当日正午からその年の神社本殿で、氏子総代以下神輿保存会役員等が参列し、神官(平塚市大神の沖津氏)による神事を行う。その後、子易神社境内にある八坂神社の御霊を神輿に移す。13時には山車を先頭にして大人神輿、子供神輿の順に宮立ちする。
  最初に式典のないもう一方の神社に行き、神社拝殿で祝詞とお祓いを受けその地区内を練り歩き、また戻って先の地区内を練り歩く。神輿巡行のときは餅一切れを紙に包んだゴックとお札を氏子に配る。氏子は神輿の賽銭箱にオヒネリ(お賽銭)を入れてくれる。巡行が終ると相模川に向かい、神主からお祓いを受け神輿に川の水をかける。浜下りといい、戸沢橋ができる昭和35年頃までは神輿が川に入っていた。浜下りの後、19時に宮入する。


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