倉見くらみ

倉見神社

  「倉見(くらみ)神社」の創建は不詳であるが、小田原北条氏分国の頃(1495〜1590年)に山中彦八郎が倉見村を知行(与えられた知行国の国務を執り行うこと)していた折、「神明社」と「熊野社」を勧請し倉見の鎮守として奉斎したのが始まりと伝えられる。天正19年(1591年)以来、高木勘太郎清太郎方が両社へ供米四斗ずつ奉納し、その後は佐野肥前守義行は熊野社へ供米奉納のことなどがあり、更に高木氏の供米は神明社のみとなり、以来明治維新に及ぶ。
  往時に於ける社殿の規模などは詳らかではないが、神社所蔵の軒札によって安永3年(1774年)6月に氏子一同の寄進を以って神明社の本殿修復ならびに熊野社の拝殿造営のことが知られる。明治2年(1869年)に両社に倉見地域内の数社を合祀し、「倉見大神」と改称した。明治6年(1873年)12月には村社に列せられ、昭和18年(1943年)11月4日に「倉見神社」と改称し、昭和28年(1953年)には「宗教法人 倉見神社」となり現在に至る。
  現在の本殿は明治27年(1894年)に寒川神社が本殿を造営するにあたり本殿を譲与され、明治28年(1895年)5月に移築したものである。なお、この本殿は寛保元年(1741年)に造営されたものであり、昭和53年(1978年)に寒川町重要文化財に指定されている。拝殿は平成4年(1992年)に寒川神社の「平成の御造営」にあたり譲与を受けたもので、当社の「御大典奉祝記念事業」として建設委員会を組織し、広く氏子崇敬者からの篤志により平成9年に移築されたものである。
  倉見神社の祭神は「天照皇大神(あまてらすおおみかみ)」と「熊野加武呂伎命(くまのかむろぎのみこと)」の2神を祀る。

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倉見神社社号柱
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鳥居神社由緒
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狛犬狛犬
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手水舎神楽殿?
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燈籠釣り燈籠
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拝殿幣殿・本殿
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社務所境内
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鳥居(浅間大神)石碑(浅間大神)

  神社には「倉見神社文書」が残されていて、明治年間の祭礼の様子が窺い知れる。この頃は10月上旬を祭日とし、境内に仮設舞台を設けて芝居を行いたいとの「興行願」や興行師(役者)との約定証が残されている。

倉見ばやし

  「倉見ばやし」は江戸末期に疫病と凶作が続いた折、日吉神社の宮司が太鼓を打ち鳴らし、それらを退散させようと村人に太鼓を習得させたのが始まりだと伝えられる。明治初年に囃子を改良し、祭屋台囃子として定着した。昭和53年(1978年)にこの無形文化財を後世に伝えるべく「倉見ばやし保存会」を結成した。
  囃子は「大胴2」・「締太鼓6」・「摺り鉦2」・「笛」で構成され、曲目は「屋台」・「昇殿」・「神田丸」・「鎌倉」・「仕丁舞(四丁目)」がある。倉見神社祭礼のほか、浜降祭や寒川神社祭礼、日吉神社祭礼などで演奏される。

神輿

  

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神輿殿

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