渋沢しぶさわ

渋沢神社

  「渋沢神社」は・・・。風土記稿によると往時は「若宮八幡宮」と称し、渋沢村の総鎮守であった。神体は銅像で、建保6年(1218年)11月に喜叟寺の開基霊夢によって鶴岡の若宮を勧請したと言われ、古棟札に「河村菊千殿(実は菊千代)代官稲毛越前守拝御百姓中之請助成奉造立一顆弘三歳己・・・」、一札は造営祈願文と元亀四癸酉年(1573年)を蔵している。天正19年(1591年)に御朱印一石五斗を賜う。また、千村に当社を産土神とするところがあり、天明の頃に御嶽社より須佐之男之命を勧請して相殿とした。その後は御朱印確認書が贈られている。
  明治6年(1873年)7月に渋沢神社と改称し、村社に列せられた。当神社氏子は「峠」・「渋沢本村」・「石打場」・「曲松」全域を含んでいる。昭和45年(1970年)には鳥居を新築し、神殿・神楽殿等を改修した。
  渋沢神社の祭神は「大雀之命(おおささぎのみこと)」・「伊邪那美之命(いざなみのみこと)」・「須佐之男之命(すさのおのみこと)」で、境内社には「金毘羅社」を祀っている。例祭日は9月15日である。

鳥居
燈籠
神社由緒神楽殿?
拝殿本殿・幣殿
狛犬境内

  

太鼓

  



神輿

  



渋沢の歴史

  渋沢という地名は永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』に記載されており、『風土記稿』にある渋沢村の小名は「上ノ庭」・「中ノ庭」・「下ノ庭」・「石打場」・「峠」であり、天保5年(1834年)の戸数は167であった。峠については「村人は峠村と唱えて枝郷の如くせり」と『風土記稿』では記している。
  現在は渋沢駅を中心に過去の姿とは想像できないほど発展しているが、もともと渋沢の本村は千村の隣にあって、丘陵と台地の間の室川沿いにあった。発展したのは小田急線寄りの平地であるが、もとはこのあたりから平沢にかけて渋柿の木が多く散在しており、風情はあったがとても寂しい所であった。


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