下古沢しもふるさわ

三島神社

  「三島神社」は下古沢部落の鎮守で小名宮ヶ崎に鎮座し、天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると村持ちの「三島社」を下古沢村の鎮守とし、末社に「稲荷社」と「天神社」があった。御神体は高さ20cm余りの木像2体である。下古沢村には村持ちの「神明社」も記載されている。創建年月は不詳だが江戸期以前と考えられ、古くは下古沢の「本照寺」裏地(通称「宮の奥」)に鎮座していたものを現地に祭祀したという言い伝えがある。
  天正19年(1591年)に社領1石5斗の御朱印を賜った。当社には寛政8年(1796年)再鋳の銅鐘があったが今は現存していない。社殿内には銅製経15cmの掛仏が2面保存されており、共に室町時代の製作と考えられている。ひとつには十一面観音とみられる像が取り付けられているが、もう一面の像は失われている。鳥居脇には延享4年(1747年)銘の庚申塔があり、ここで道祖神の祭りが行われてきた。現在の祭神は「大山祇神」である。

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三島神社鳥居
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狛犬狛犬
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燈籠扁額
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拝殿覆殿・幣殿
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神楽殿
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下古沢老人憩の家
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石碑
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保存指定樹木「クス」境内

太鼓

  



神輿

  神輿は大祭当日に準備する。



例大祭

  『風土記稿』によると例祭日は9月1日であったが、関東大震災以降9月3日に変更した。現在は9月第1週の日曜日としている。下古沢の上分・中分・下分の住民が参加する。
  幟竿については祭り1週間前に立て、幟は大祭当日に揚げ、竿じまいは1週間後に行う。大祭当日の9時より式典が始まり、祝詞奏上・玉串奉奠・神輿のお祓いが行われる。
  数件の露店が出る。余興については3年に1度行う。



下古沢の歴史

  旧下古沢村は厚木市域の西部に位置し、村域は、西側は高松山丘陵にあり、東側はこの丘陵裾部に続く段丘面にある。この台地には丘陵から流れ出す小河川によって開析された小さい谷がいくつか存在している。さらに東は村境を流れる恩曽川の沖積地である。周辺は東側は飯山村、南側は愛名村、西側から北側は上古沢村に接している。
  中世の頃は永禄2年(1559年)の『所領役帳』に「中郡煤ヶ谷領家方下古沢」と記載されている。旧集落は丘陵東側に続く台地上に点在している。山林が村域の1/2以上を占めており、田畑は少ない。水田は恩曽川とその他の小河川に沿っていわゆる谷田(ヤトダ)が開かれてきた。『風土記稿』は小名として「上開戸」・「久保」・「第六天」・「鶴舞」・「梨平」・「松葉谷」・「宮田谷」を載せ、伝承調査ではこれらが集落名として採集されず、「カミブン」・「ナカブン」・「シモブン」の3集落名が採集された。
  近世の支配は幕府直轄領で、後に旗本領となった。『風土記稿』によると幕末の戸数は86戸で、『皇国地誌』によると明治初期の戸数は92戸であった。明治22年(1889年)に飯山村と上古沢村と合併して小鮎村大字下古沢となり、昭和30年(1955年)の合併により厚木市大字下古沢となる。


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