惣領分そうりょうぶん



神社の紹介

  「八坂神社」は惣領分全体の鎮守で「お天王さん」ともいわれ、祭神は「須佐之男命(すさのうのみこと)」である。創立当初は「天王宮」と称していたが明治3年(1870年)に八坂神社と改称し、明治6年(1873年)に雑社と定められた。明治45年(1912年)5月5日には八坂神社が熊野神社に合祀され、合祀する時は神輿を担いで神様を迎えに来た。その後も八坂神社の社は残っていたが、寄せ宮されている間は惣領分(天王さま)の祭りはなかった。
  熊野神社は遠いので惣領分では祭りの気分はなく、祭りに行けず寂しい思いをしたり、祭りの客があっても余興を見に行くのに時間が掛かった。そこで惣領分の人々が八坂神社を戻す話し合いを1年位かけておこない、当時の青年堂で惣領分の集会を開き八坂神社を元の場所に戻すことになった。昭和24年(1949年)に熊野神社から分社し、再び御霊を迎え復祀した。八坂神社を分祀する時には惣領分共有林(杉林)があったので、この杉を伐って柱や板を調達し、松などを寄付してもらい神社を再建し、その後に神様をお迎えした。
  境内には冨士講登山碑(浅間さま)の石碑と天保11年(1840年)11月の御嶽山の石祠がある。

2008.1.52008.1.5
八坂神社鳥居
2008.1.52008.1.5
拝殿覆殿・幣殿
2008.1.52008.1.5
石碑・石祠境内

  昔は神田が7畝あり、その田であがったものを神社の費用にあてていた。田には下肥(しもごえ)を使わず、取れた米で赤飯を炊いたという。
  惣領分自治会の中には上谷・脇・八坂下・琵琶の4つの部落がある。



例大祭

  例祭日は4月12日であったが、勤め人が多くなったので、現在は4月第2日曜日になった。

太鼓

  



神輿

  明治の頃は神輿があったが、壊れたので昭和57年(1982年)に新調した。



青年会

  15歳になると青年の仲間入りをし、1戸から何人でもよかった。正月に先輩に紹介されて仲間入りするが、はじめのうちは宴会があれば湯沸しなどの役をする。25歳になると青年の仲間を外れて事業団に加入する。事業団は青年の世話焼きのようなもので、身体の元気なうちは参加していた。
  惣領分の青年は16歳から35歳までの者が「事業団」という名の集団をつくっていて、暇があれば集まって太鼓を練習しながら遊んだ。土屋の熊野神社の祭礼には部落毎に順送りする神輿を担いだ。 


戻る(平塚市の祭礼)