寺山てらやま

神社の紹介

  「鹿島神社」の勧請年代は不明だが、鹿島神宮より勧請した。神体は木造二?(実は乾漆造り)と銅像一?で平安末期の作と伝えられている。
  寺山村は往時寺社が多く、慶安の頃に三代将軍家光の御参拝があり、此の当時より寺山村の総鎮守であった。分祠を丹沢山守護として設立して設立し、貞永元年(1232年)より年々鹿島神社の焼印木札を奉安した。その後は分祠所在の地を札掛けといい、後に山廻り役人巡視の証として鹿島分祠に札を掛けるようになった。焼札奉安は明治の初めまで続いた。
  慶安2年(1649年)8月には御朱印を賜り、将軍世継ごとに御朱印状が送られている。明治の初期より崇敬者が増大し、それらの寄進による絵馬額は相模・武蔵・駿河・伊豆におよび、その数は数百枚に達した(現在60枚有余枚保存)。明治6年(1873年)7月30日に鹿島神社と改称し、村社に列せられ、大正2年(1913年)8月には幣帛供進の神社に指定された。昭和43年(1968年)に本殿・幣殿・排殿等の大改修をし、参道も整備された。昭和45年(1970年)に石造の大鳥居・社号柱も奉納された。
  鹿島神社の祭神は「武甕槌之命(たけみかづちのみこと)」で、境内社は「(厄神社(やくのかみしゃ)」・「金比羅社(こんぴらしゃ)」・「子神社(ねのかみしゃ)」である。例祭日は4月10日。田練神輿、例祭日に指定の田に於いて執行、豊作を祈願する。

石碑
鳥居
鳥居狛犬
手水舎
拝殿本殿
厄神大権現浅間大神
社務所
神社由緒境内

太鼓

  



神輿

  



寺山

  『風土記稿』にある寺山村の小名は「清水」・「宝作」・「棒ヶ谷」・「竹ノ内」・「ニツ沢」・「角ヶ谷」・「久保」であり、天保5年(1834年)の戸数は93であった。徳川時代には他の村々と共に丹沢山の山守を命じられていた。


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