栃窪とちくぼ

栃窪神社

  創立年代は不詳であるが、波多野庄の頃に当村に冨民あり、山上に「牛頭天王」を祭祀し、鎌倉将軍の頃に社前は小田原道として交通が栄え、往時の地図には「御嶽社」とある。寛文7年(1667年)に宗源宣旨により正一位「御嶽権現」と称し、村の鎮守であった。風土記稿などによれば、天正19年(1591年)11月に一石五斗の御朱印を賜り、また小田原城主大久保忠世より二貫文の社領寄進がなされている。当社は小田原街道の要所のため正保古図、元禄古図にも記載され、当社附近の野立て石道しるべには寛文年間の物が多く、御嶽道とある。明治6年(1873年)7月30日に「栃窪神社」と改称し、村社となる。社殿は昭和52年(1977年)4月6日に氏子30戸から資を捧げ、当村宮大工関野実によって完成された。
  祭神は「倭建之命(やまとたけるのみこと)」で、境内社には「秋葉社」・「浅間神社」を祀っている。例祭日は4月6日。

 
石碑鳥居
神社由緒
拝殿本殿・幣殿
狛犬・燈籠
 境内
栃窪会館

太鼓

  



神輿

  



栃窪の歴史

  『風土記稿』にある小名は「上ノ庭」・「下ノ庭」・「川久保」であり、天保5年(1834年)の戸数は30であった。


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