円蔵えんぞう

神明大神宮

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神明大神宮道神明大神宮
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社号標鳥居
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玉垣境内案内図
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狛犬(吽)狛犬(阿)
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手水舎懐嶋発祥の地・浜降祭今昔
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燈籠燈籠
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拝殿幣殿・覆殿
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燈籠がん封じ
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力石絵馬掛け
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鶴岡八幡宮景能祭之碑慰霊碑
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水鉢山王権現社
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懐嶋平権守景能公年譜懐嶋館阯
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景能没後八百年祭碑懐嶋平権守景能公像
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景能公・景兼公之層塔顕彰碑
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石碑石祠
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神明大神宮社誌円蔵神明大神宮
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道祖神境内整備工事奉納者名
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円蔵自治会館茅ヶ崎市消防団第6分団
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倉庫境内

圓藏祭囃子 (茅ヶ崎市指定 重要文化財)

  円蔵に伝わる祭り囃子は昭和35年(1960年)4月1日に発足した「圓藏祭囃子保存会」によって伝承され、その前身は「円蔵青年団」であった。昭和50年(1975年)3月24日には茅ヶ崎市教育委員会により、下記の内容で茅ヶ崎市重要文化財(第一号)に指定されている。

 ・名称 : 茅ヶ崎市円蔵祭囃子数量(無形)
 ・曲目 : (1)屋台 (2)宮昇殿 (3)神田丸 (4)鎌倉 (5)仕丁
 ・用具 : 横笛1 親太鼓1 締太鼓4 すり鉦1 拍子木1

 円蔵に伝わる祭り囃子の由来について地元円蔵では、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて円蔵一体を統治した武将である大庭景義(懐島景能)が、戦に勝った酒宴や身内の祝宴に円蔵館で「御神楽(みかぐら)」を奉納する囃子方の楽人(らくじん)を招き、家臣と共に笛や太鼓で楽しんだのが「懐島圓藏囃子」の基としている。なお、茅ヶ崎には江戸の流れを汲む囃子も伝わったとされ、茅ヶ崎ではこれを「旧囃子」と呼び、円蔵の様に鎌倉時代から伝承されたと言われる囃子を「新囃子」と呼んでいる。
 この鎌倉時代から神楽囃子の流れを汲むとされる円蔵の祭り囃子は永い間の伝承中に徐々に編曲され、創作が入ることで曲調も変化し、平塚市指定重要文化財である田村ばやしを一部混入して円蔵独自の囃子太鼓が誕生したという。その後は「懐島圓藏新囃子」と呼ばれて代々伝承され、現在の圓藏祭囃子になったと伝えられている。古老の話では明治中期から後期にかけて近在・近隣の祭礼に呼ばれ、各地の若者にも圓藏囃子を教え、また、農繁期の合間に習いに来たりして大層喜ばれたという。
 円蔵の祭り囃子は近年になり付太鼓の数が多くなっているが、形式的には五人囃子の機能で演奏されているという。現在の内容は下記のようになっている。

1.楽器の編成と通称名
 ・大太鼓 (オオド・オオドウ)
 ・締付太鼓 (ツケ・シメ)
 ・篠笛 (トンビ)
 ・摺鉦 (コンチキ・ヨスケ)
 ・太鼓の台 (ウマ・マンガ)

2.桴(バチ) ※円蔵では寸法が決まっていて代々受け継がれている
 ・大太鼓用 : 長さ一尺一寸五分 先φ八分 手元φ一寸
 ・付太鼓用 : 長さ一尺 先φ八分 手元φ一寸

3.演奏曲目
 ①屋台(はやし) ②懐島刻み囃子 ③宮昇殿 ④昇殿 ⑤神田丸
 ⑥鎌倉 ⑦四(仕)丁目 ⑧馬鹿囃子(岡崎・馬鹿おどり)


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円蔵祭囃子の由来(昭和55年)

神輿

 鶴峰八幡宮の神輿は「文化三年金二十七両」と記された古い過去帳が円蔵の輪光寺にある。氏子は懐嶋郷の円蔵と、浜ノ郷の矢畑・西久保・下町屋・松尾・鳥井戸の七ケ村で、田植えの終わる7月15日の朝(みそぎ)の祭りとして、南湖の浜に神輿を担いで行ったようである。明治9年になり寒川神社の浜降祭が寒川茅ヶ崎小出一帯の祭りとなった。当時は鶴嶺八幡宮の氏子七ヶ村で一つの神輿を担いでいたが、威勢の良い円蔵連中が担いで円蔵に持ってきてしまい、他の氏子から文句が出て、それならばと八幡宮に神輿を納め、その日、その足で数人が大磯の先、梅沢の輿屋西山に神輿の注文をしに行ってしまった。明治13年7月15日である。秋祭りの9月17日を10月17日に延ばし、出来上がった神輿を村中で喜び祝って担いだ。全額七十五円也り。神輿殿には「明治十三年十月十五日 神輿新設世話人」と書かれた額が残されており、下記の18名の名が記されている。
高橋源左衛門 小沢勝右衛門 高橋伝内 高橋友三郎 高橋喜兵衛

田中幸八 吉野沼右衛門 田中三右衛門 小島米蔵
小山慶助 稲□□蔵 円蔵清兵衛 鶴田栄助 小室二兵衛
小室又兵衛 小室彦三郎 高橋久右衛門 小島重倉

明治14年7月15日の浜降祭からは、鶴嶺八幡宮とは別になった。円蔵の神輿の屋根に紋巴がないのは昔から鶴嶺八幡宮の神輿に紋巴がついてなかったためで、鶴嶺八幡宮では昭和7~8年頃の神輿修理の際に屋根へ紋巴をつけたが、円蔵神明大神宮の神輿は現在も紋巴がついていない。神明大神宮の輿の大修理は大正9年に一度なされ、金箔を塗り、その時の7月15日の祭典には朝日に光り輝き堂々たる渡御をしたとのことである。
建造から100年が経った昭和53年春に大修理を行い、神輿製作所の子孫の小田原市前翅西山久夫神輿屋が修理にあたった。7月14日に出来上がり、15日の朝の浜降祭に参加した。そして昭和60年(1985年)の天皇御座位60年の記念祭が全国各市町村で行われ、その時に浜ノ郷・矢畑・西久保・円蔵の宮総代が話し合い、秋祭りは四ケ村で付き合いをする話になった。
昭和62年(1987年)の7月15日の浜降祭は神輿を浜まで担いで行くことになり、神社を午後2時に宮立ちし、3時に八幡宮の太鼓橋横で待機し、八幡宮を先頭に日吉神社、本社宮の神輿に続いて、神明大神宮も浜降祭場に向かった。帰路は日吉神社の神輿と共に茶屋町鳥居井戸大門通りと来たところで鶴嶺八幡宮に招かれ、社殿前に上がり酒のもてなしを受けた。昭和63年7月15日は鶴嶺八幡宮の社殿前に先駆神社として四社の神輿、鶴嶺八幡宮、本社宮、日吉神社、神明大神宮が勢揃いして太鼓橋を渡り、大門通りを暁の南湖祭典場に向かって渡御した。

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神輿殿神輿九拾年祭(大正九年)
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大御神輿百参拾年祭

その他の行事
・令和8年(2026年)5月10日(日)・・・景能祭


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