横浜市の祭礼
横浜市
横浜市が誕生したのは明治22年(1889年)4月1日で、日本で「市制」という制度が始まったこの日に、全国の30の都市とともに横浜市が正式に誕生した。当時の横浜市は現在の西区や中区を中心としたごく一部の地域(面積約5.4k㎡、人口約12万人)だけあったが、その後、周辺の町村との合併を繰り返して現在の大きな横浜市へと発展した。
横浜市は明治34年(1901年)に本牧村・根岸村・神奈川町・保土ケ谷町の一部などを初めて合併(第1次拡張)し、明治44年(1911年)に子安村の一部などを合併(第2次拡張)、更に大正から昭和にかけて鶴見町・保土ケ谷町・大岡川村など2町7ヶ村を一斉に合併したことで市域が大幅に拡大し(第3次市域拡張)、これに伴い、行政事務を円滑に行うため昭和2年(1927年)10月1日に初めて区制が施行され、最初に誕生した区は鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5つであった。昭和14年(1939年)に現在の港北ニュータウンや戸塚のエリア(都筑郡・鎌倉郡など)を一斉に横浜市へ編入し、これにより市域が現在の形に近くなり、一気に内陸部の広大な港北区、戸塚区の2つが新設されて「7区体制」となった。当時の港北区は現在の緑区・青葉区・都筑区も含み、市全体の3分の1を占める広さであった。
太平洋戦争中から戦後にかけて、人口の密集した大きな区を分ける「分区」が始まり、1943年に中区から南区が分離、1944年に中区から西区が分離、1948年に磯子区から金沢区が分離して10区体制となった。戦後の急速な宅地開発や東急田園都市線の開通、港北ニュータウンの建設などで郊外の人口が爆発的に増加し、これに対応するためさらに細かく区が分けられていく。1969年に南区から港南区、保土ケ谷区から旭区、港北区から緑区、戸塚区から瀬谷区がそれぞれ誕生し、一挙に4区が誕生して14区体制となる。更に1986年に戸塚区から泉区と栄区が誕生して16区体制となり、1994年港北区と緑区の北部を再編し、青葉区と都筑区が誕生して現在の18区となった。
神奈川区
神奈川区は昭和2年(1927年)10月1日に区制を施行し、区名はその中心である神奈川町の名を採った。横浜市のほぼ中心部に位置し、大きな広がりを見せる台地、内陸部の低地、ほぼ南北に細長く伸びる沿岸低地と臨海部の埋立地からなり、都心および新横浜都心に隣接している。神奈川は古くから交通の要衝地として発展し、江戸時代には東海道五十三次の宿場、神奈川宿として栄えた。日米修好通商条約の締結によって開港場と定められ、区内の寺院に外国の領事館が設置された。現在ではこれら残された寺院など、多くの歴史的遺産を楽しく訪ね歩けるように「神奈川宿歴史の道」が整備されている。明治期から始まった海面の埋め立てにより工場が進出し、京浜工業地帯の中核となった。昭和24年(1949年)に貿易博覧会が反町で開催され、昭和34年(1959年)まで横浜市役所が置かれていた。
神奈川区の町名は神奈川、斎藤分などの古い地名に因むものや、東海道と神奈川宿に因む歴史的な地名を残す町名が多い。山側に沢渡、栗田谷、子安台など沢・谷・台などに因むものが多く、海側には出田町、大野町、鈴繁町、橋本町、星野町、守屋町、山内町のように海岸沿いを埋め立てた開発者の名が多く付けられている。このように人物に因む町名がまとまって存在する例は全国でも他にあまりないという。
3.西区
| 地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 囃子 | 備考 | 取材年 |
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2.その他の祭り・イベント
| 祭名 | 開催地 | 住所 | 祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 |
| 1 | 横濱開港祭みこしコレボレーション | 横浜ハンマーヘッド周辺('26~) | | 6月 | 18('26) | 1('26) | ~'24伊勢崎町 動画① | |
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