上平塚かみひらつか

八雲神社

  「八雲神社」は旧市内の上平塚の鎮守で祭神には「素盞之男命」を祀り、現在は中里(なかざと)地区に鎮座している。天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』には「梵天社」と記され、小字上平塚町の鎮守で神体は木像とある。相殿に「八幡」と「春日」の二座を祀り、かつては同地の「宝積院(天台宗)」持ちであったことが記されている。
  当社には寛保2年(1742年)の刻銘がついた石燈籠があり、先年まで氏子が各家順番に年中一晩も欠かさずに灯明をともしていたという。安政3年(1856年)8月25日に起きた花水川玉川の大洪水で、上平塚の耕地もすべて荒廃地と化し大飢饉に襲われた。そこで伊豆韮山の代官江川太郎左衛門に年貢の免租を願い出たところ、莚半枚与える故に乞食せよと拒絶された。そこで、村民一同が梵天社(現八雲神社)の境内で断食をしてこもり、大願成就の暁には常灯明をあげるという願いを掛けたという。再度願い出たところ首尾よく願いが叶ったので、村民一同欣して感謝報報恩のため村民交代で毎夕常夜燈明を上げるようになった。以来80有余年に及んだが、大東亜戦争の激化と共に燈火管制実施上廃止された。

八雲神社鳥居
燈籠
拝殿本殿・幣殿
燈籠(寛保2年)
境内神輿殿
八雲神社神輿御旅所兼集会所天台宗 宝積院


例大祭

  祭礼日は『風土記稿』に旧暦の6月11日と記されており、明治の頃から7月25日であったが、最近は25日に近い日曜日に変わった。宵宮は前日の土曜日に行われ、子供達の為に集会所で映画が上映される。以前は境内に設置された舞台で行っていた。
  大祭当日は11時から社殿において式典が始まり、春日神社の宮司により神事が執り行われる。昔は平塚八幡宮の宮司が神事を行っていたという。12時になると各自で昼食を取り、12時50分頃には神輿の前で神事が始まる。お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠などが行われ、会長の挨拶の後にお神酒で乾杯をする。
  巡行中の休憩場所は昔は2箇所だけだったが、現在は6箇所になり飲み物や食べ物が配られる。また、最後の休憩場所である集会所(通称おたみ所)でも春日神社の宮司により神事が行われる。

神事お祓い
祝詞奏上玉串奉奠
会長の挨拶乾杯
休憩所にて野菜が沢山
ビールとジュース大量の焼酎
祭りの広告集会所前での神事
ご祝儀をもらうお札を渡す

  神輿の宮付けが終ると境内に設置された舞台で餅巻きが行われ、その後は「芸能まつり」として子供達の合掌や詩舞等が披露される。境内にはこの他にもポップコーン・カキ氷・綿菓子の露店が出る。祭りの最後には豪華商品が当たる抽選会も行われる。
  神輿の担ぎ手達は直会を行い、応援に来た外部の団体を一本締めで見送る。

餅撒き子供達の合唱
詩舞出店
直会一本締めで見送り
掲示板御神燈

囃子

  以前は太鼓はなかったが、昭和50年代に復活し、吉沢から上平塚に分家した人が子供達に指導している。大人は神輿の方で手が取られるため大人の叩き手はおらず、子供だけが太鼓を叩く。演奏する曲は「ミヤショウデン」である。
  太鼓の山車は軽トラックで、子供神輿と大人神輿を先導するが、16時30分頃に神輿より先に宮入をする。

上平塚の山車宮立ち
神輿を先導また来年・・・
囃子


神輿

  神輿は明治時代に足柄上郡の某村より買い受けたもので、明治6年(1873年)6月に東海道梅沢(現在の二宮町山西)の宮大工・杉崎周助政貴の作といわれるが、内部の心柱および上部構造は古く江戸時代のものと思われる。屋根は延屋根で黒漆で塗られ、その他は白木造りであったが、大正9年(1920年)7月に中郡旭村河内(現平塚市河内)の塗師・山崎竹次郎氏が金箔捺し、赤漆塗を、錺は大磯町台町の錺師・鈴木千代吉氏の手により華麗な姿に変わった。費用は金六百円余りであったといわれる。修営された神輿の還輿の時は、旭村河内より篳篥などの雅楽器や太鼓の音もにぎやかに、担がれて帰ったといわれる。
  上平塚では一時期神輿は担がれていなかったが、昭和58年(1983年)6月に秦野で再度修営され神輿の渡御が復活した。昔の人は肩が強く輿棒は4mであったが、現在は6mに替えている。また、子供神輿は地元の今井武氏が、昭和58年に製作寄付したものである。
  神輿と御旅所(通称神酒所)については次のような伝承がある。明治時代に平塚本宿東仲町で夏に疫病が流行し、その時当社の神輿を借用し東仲町々内を渡御したところ、疫病が鎮まったといわれる。その時、あまりにもご利益があったので、東仲町で神輿を返さないとというので、裁判沙汰になったという。この時に仲介の労をとったのが上平塚の今井文右衛門氏であった。以来、例祭日の神輿渡御の途中に報恩の意味で御旅所が設けられたといわれる。

大人神輿子供神輿


神輿渡御

  12時50分頃から神事が執り行われ、13時15分頃に子供神輿、大人神輿の順に宮立ちをする。各休憩場所では神輿のサラシに緩みがないか、常に念入りに確認する。
  大人神輿は2回トラックに載せるが、全コースの2/3以上は担いで渡御し、子供神輿も所々で台車に乗せて移動する。担ぎ手は地元以外にも、付き合いのある約10箇所の外部団体が応援に駆けつける。昔の掛け声は「ワッショイ、ワッショイ」だったが、現在は「ドッコイ」に変わっている。

大人神輿をお祓い子供神輿をお祓い
御霊入れ神輿を鳥居方向へ向ける
子供神輿の宮立ち一本締め
大人神輿の宮立ち町内を渡御
休憩場所でサラシを締め直す宝積院・瑠璃殿前で休憩
休憩中の子供神輿こう叩くんだよ♪
重そうだワン^^;台車を曳く子供
子供神輿を台車に乗せる上平塚交差点にて
大人神輿をトラックに載せるトラックで渡御
大人神輿を降ろす再び担ぐ
再びトラックで移動最後の休憩場所を出発

  18時20分頃に最後の休憩場所である集会所を出発すると、宮入に向けて担ぎ手達のテンションも上がってくる。19時に鳥居を潜り石階段を登り始めると、鐘が神輿の到着を知らせる。
  社殿前では甚句に合わせて10分程神輿を練り、最後は三本締めで宮付けが終了する。

気合入ってきました日も暮れ
いよいよ宮入り鐘で宮入りを告げる
境内を進む神輿甚句に合わせて練る
社殿に迫る神輿三本締めで宮付け終了
掛け声

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