中荻野なかおぎの

厳島神社

  「厳島神社」は荻野川に沿う字「滝ヶ崎(たきがさき)」にあり、もとは対岸の「弁天山」にあったが明治期に現在地に移転したという。
  天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』や『愛甲郡制誌』によると当社は「弁天社」と称し、祭神は「市杵島姫命」である。元禄13年(1700年)に曽雌(そし)常右衛門知義により勧請されたといい、この曽雌常右衛門は当地を領した関宿藩(千葉県)主牧野備前守成春の家臣である。宝永3年(1705年)11月に本村「戒善寺」の日清なる者が再建して同寺が持社としており、戒善寺には常石衛門が宝永2年(1705年)に弁財天像と社殿・祭具・社地を寄進した文書が蔵される。鐘棲楼には享保7年(1722年)に鋳造したものを、文化3年(1806年)に再鋳した。
  明治3年(1870年)10月に現在の社号である「厳島神社」に改称し、神官に換えた。かつての社地は中荻野弁天山であったが、明治13年(1880年)8月14日に現在の地に移転した。当社には膝の上に金色の蛇を置く弁天像と、正徳3年(1713年)再興の聖真子(しょうしんし)大権現が祀られている。弁天山の中腹には権現堂と呼ばれる場所が伝えられている。

厳島神社鳥居
社殿倉庫
石碑境内

囃子

  

神輿

  



例大祭

  例祭は現在、稲荷神社と交互に行われている。


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