遷幸祭せんこうさい(おくだり)

遷幸祭(8月27日)

  8月27日の遷幸祭は通称「オクダリ」といわれ、下社で御霊を遷された神輿が男坂を下り、各町内の小行在所で祭典を行いながら神幸行列と共に社務局へ向う。夕刻になると能楽堂では神代神楽が奉納され、夜には囃子が演奏される中で各町内の神輿が社務局の境内を練り歩く。
 ここでは平成23年(2011年)8月27日に行われた遷幸祭の様子を紹介する。なお、14時から行われる着御祭のみ平成29年(2017年)8月27日の取材となっている。



御霊遷し (開始5:00、終了5:30)

  午前5時に下社の拝殿で神輿に御神体を納める御霊遷しの儀式が行われ、神事には阿夫利神社宮司のほか主に神社関係者が立会い、町内の側からは年番町の代表者が参加する。

この日は3時に社務局に到着稲荷町の神輿前を通過し
暗闇の中を電灯を頼りに女坂を登っていく
4時頃に下社へ到着社殿の奥には神輿の姿が
4時45分ごろになると社殿内の照明がつけられ
神職により神事の準備が始まる
5時なると御霊遷しの儀式が執り行われる


下社(出発7:30)→追分社(到着8:10)

  7時になると宮立ちに向けて準備が進められる。下社から追分社までの神輿渡御を担当する阿夫利睦などのメンバーは、臨時で運転されるケーブルカーに乗って下社まで上がってくる。

神輿から神饌を下げ担ぎ上げる
社殿の中央に馬を置き神輿を下ろす
この日は天候が悪く神輿が雨で濡れないように
ビニールで神輿を覆う神輿を引く綱を用意
臨時のケーブルカーに乗って阿夫利睦が到着
太鼓の担当者3名も到着社殿の入り口へ上がる
渡御のメンバーが続々と到着社殿から太鼓を受け取る
社殿内から神官が神輿を運び出す
行列の参加者はお祓いを受け社殿へ向う
神官から白丁へ神輿が渡され一緒に馬も手渡される
階段を下りて神輿を境内へ移動
馬の上に神輿をおろす
阿夫利睦は社殿前に集まり会長の挨拶

  神輿を拝殿から担ぎ出して7時30分頃に下社を出発し、神輿は立て烏帽子をかぶった白丁8人で担ぎ、後方に綱を2本掛けて引く法被姿の警護役が10人付く。かつては白丁は鳶職の若い衆で、警固役は氏子青年部から選ばれていたが、現在は阿夫利睦が中心となって神輿担ぎを担当している。その他に拍子木2人、太鼓3人、神饌台1人、輿台2人、床几1人が付き従い、神官7人が同行する。渡御行列は先導師が徐々に減少し白丁を務める若者の人員が不足してきたため、年々短くなってきたといわれる。

太鼓が先に出発し行列の先頭を歩く
白丁は神輿の前後につき神輿を担ぎ上げ
小雨のぱらつく中下社を出発
最初の石段を下り
洗心閣前を通過
再び石段を下り茶屋の前を通過
ここからは階段が急に狭くなる
神輿は急勾配の階段をゆっくりと下りていく
行列は直進して男坂に通じる道を進み
整備された階段を下りていく
階段はここから徐々に足場が悪くなっていく
1人が先に階段の状態を確認し慎重に階段を下りていく
おのぼりとは対照的に静かに階段を下りる神輿
次の階段は直角に折れ曲がる
普段より滑りやすくなっている階段に注意しながら
慎重に男坂を下っていく
階段下から指示を出し神輿を安全に誘導
次の階段を下りると目の前には崖が・・・
ゆっくりと左折し崖沿いを進んでいく
一歩間違えば大惨事になりそうな場所でも
危なげなくクリアしていく
難所が続いてきたが階段の勾配が緩くなり
平坦な道が現れるがその先にはスチール製の階段
足が滑りやすそうな階段ですその下には広場が見える
休憩場所まで最後の難所体勢を整えながら
長く急勾配の階段を下りていく
警護役は綱で神輿を引きながら
無事に階段を下り切る
太鼓が鳴らされ広場に馬を置き
神輿をおろして休憩をとる

  7時50分頃に男坂の途中で神輿を安置して5分ほど休憩をとり、再び出発して8時10分頃に行在所である追分社へ到着する。神霊の乗り移った神輿が男坂を下るときは全員しゃべってはいけないという。

拍子木が鳴らされ神輿に白丁が集る
神輿を担ぎ上げて休憩場所を出発すると
目の前の斜面には岩肌が露出
足を滑らせないように少しずつ進んでいく
直ぐに石階段になるが高低差はかなりのもの
左に曲がりながら下り切り立った崖で右に方向転換
山の斜面沿いを慎重に下る
長かった階段が一息つき束の間の平坦な道
岩肌が盛り上がった場所を慎重に乗り越え
次の石段の手前で一息入れる
直ぐに出発し目の前に現れる石段を
順番に下りていく
今度の階段は直角に折れ曲がるが
神輿は体勢を崩さず階段に沿って下りていく
今度は傾斜のきつい階段男坂には楽な階段が
ありませんしばらく下りると
一息つくが休むことなく下り続ける
前方には追分社が見え男坂はそろそろ終盤
境内には太鼓や馬神職らが先に到着
そしていよいよ神輿が最後の石段に差し掛かる
急勾配の階段を下り切ると
無事に行在所となる追分社に到着
境内で神輿を下ろし忌竹内へ移動
馬を入れて神輿を安置する

  追分社に到着すると境内に設けられた忌竹のところに神輿を安置し、ここで任務の終えた警護役一同が整列して礼拝する。



追分社→坂本町(旅館もとだき)

  このあと神輿は追分社を出発して坂本町の小行在所である元滝旅館に向うと、庭に設けられた小行在所の忌竹のところに神輿を安置して神饌を供える。神輿行列に参加する関係者は、元滝旅館および歓喜楼で朝食をして着替えをする。

この年は雨の為に、通常より早く追分社を出発することが決まる
太鼓が出発の合図を出し神輿には白丁が集る
忌竹内から神輿を運び出し担ぎ上げると
境内を出発し階段を下りていく
ここからは舗装された階段なので
後方の綱には警護が2人のみ綱を引きながら
追分駅を通過し雲井橋を渡る
突き当りを右折し階段を下りると
左手には旅館もとだき神職らに続き馬も到着
最後に神輿が到着し肩から神輿を下ろす
奥へ移動し忌竹内に神輿を納める
神職らが旅館内から神饌を手渡し
神輿に供えて神事の準備
坂元町の小行在所にて祭典が行われる
祭典を終えると旅館内へ移動
神饌を旅館内へ下げ休憩をとる

  坂本町では神幸行列の出発に向けて準備が進められるが、2011年(平成23年)は天候が悪かったために、衣装は簡素化し、雨に濡れて痛むことが考えられる道具類は使わないことになった。

私は塚本みやげ店へ移動朝日新聞の取材が来ていました
雨のため刺繍の入った旗を槍から外す
阿夫利睦は町内の提灯の準備
雨対策としてビニールで覆い石垣に建て掛けていく
かんき楼前に集った白丁は階段を上がっていく
阿夫利睦は襷を配り肩に掛けていく
「がんばれ日本」の旗を持った白丁が階段を下りていく
はこざき旅館前ではお祓いを受け
ゑびすや土産店まで移動後方にも列が繋がり始める
阿夫利睦は町内の提灯を持ち階段を下りて隊列に加わる
私は旅館もとだきへ移動玄関には祭壇が見える
奥の忌竹では神輿から馬を抜き
手で抱えて入口まで移動
馬を抱えた白丁が続きここで神輿を担ぎ上げる


坂本町→開山町(おゝすみ山荘)

  神幸行列の準備が整うと隊列を組んで9時30分頃幸に一行は出発し、ここから大山町内の巡行が始まる。巡行には宮司、権禰宣、大山の全先導師、氏子総代、宗務会議員など阿夫利神社関係の職務者だけではなく、年番長、年番以外の町会から2名ずつ出る警護、金棒・太鼓・弓・太刀・盾・辛櫃・四神旗・小旗など多数の道具持ちと神輿担ぎの白丁、さらには舞子など総計150余名の随員が従う。

神輿は旅館もとだきを出発石段の途中で神輿を下ろし
屋根に当らないように手で神輿を抱えて進む
道の両脇では店の方が神輿に頭を下げる
神輿はかんき楼を通過し塚本みやげ店へ入る
続くゑびすや土産店を通過し
こま参道を進みねぎし旅館を通過
坂本町の神輿前を通過する
私は最後尾の神輿から離れ行列の先頭を追って進む
傘を差して移動する行列大津屋きゃらぶき本舗を通過
続いてうるわし本舗と西の茶屋本店を通過
雨のために衣装は着用できずこの年は質素な行列です
山ゆりと千代見荘を通過しこの辺りが行列の中間
さらに先頭を目指し平の屋旅館あさだを通過
前方に太鼓に追いつき金子屋支店を通過
先には各町内の提灯が見え和仲荘を通過
この年は開山町が年番のため稲荷町の行在所には寄らず
こま参道を抜けると千代見橋を渡り
ようやく先頭に追いつく千代見橋を渡る行列
私は再び最後尾を目指し移動阿夫利睦の提灯が橋を渡り
カメラを構えた観客の先に神輿が現れる
こま参道を抜けた神輿は千代見橋を渡り
道沿いに左へカーブし旧道であるとうふ坂を下る
いのまた旅館を通過し開山町を南下する神輿
旅館源長坊を通過し旅館古宮の駐車場前では
茣蓙の上に正座をして頭を下げて神輿を見送る
行列は旅館古宮としもやまを通過し
山荘だいとうを通過すると開山町の小行在所へ到着
雅楽奏者が演奏を始め神輿が忌竹前に到着すると
白丁は神輿を肩から下ろし忌竹内に神輿を納める
神職らが轅上に置いた板へ神饌を手渡しで供え
宮司と神職が整列して祭典が執り行われる
宮司らがおゝすみ山荘へ入ると続いて日之出倶楽部が
神輿を参拝
各自出発まで休憩をとる休憩中に訪れる一般の参拝者

  通常、坂本町を出発した神幸行列は9時45分頃に稲荷町の小行在所(和仲荘の前庭)に着座し、祭典を執り行ったのち9時55分頃に出発すると、千代見橋を渡り旧道を通って開山町は素通りすることになる。しかし、開山町が年番にあたる年だけはおくだりで稲荷町の小行在所へは立ち寄らず、開山町の小行在所へ立ち寄る決まりになっている。従って、開山町が年番の時にはおのぼりの時に開山町の小行在所を素通りし、稲荷町の小行在所にて祭典が執り行われる。ちなみに、平成23年(2011年)は開山町が年番の年であり、6年に1回、稲荷町と開山町の祭典の日が入れ替わる年でもあった。



開山町→福永町(旅館目黒)

  開山町を出発した一行は、10時10分頃に福永町の小行在所(旅館目黒)に着座する。戦前までは神輿の巡行中における随行者の私語は厳しく戒められ、また家の前を神輿が通るときに2階から神輿を見下ろすことも厳禁されたという。そして人々は道端に筵を敷いて跪き、神輿を迎えたのである。しかし戦後はこうした規制は徐々に緩み、現在は随行の人々も迎える人々も適宣言葉を交わし、巡行は穏やかなものである。

休憩が終わると列をつくり始め神輿の周りには人が集る
宮司がおゝすみ山荘から現れ神輿から馬を抜いて
忌竹から出すと開山町の小行在所を出発
突き当りを右折して良弁坂に入る
開亀橋と日の出橋を通過すると左手には開山町・町内のテントが
神輿は開山町の神輿を通過
旅館吉川彦丸を通過し
和菓子の老舗・良辨遠州屋酒店と夢心亭
東學坊を通過すると右手には福永町の小行在所が
行列の先頭は忌竹を通過し旅館目黒前では
太鼓が行列を抜け目黒の駐車場へ入っていく
太鼓に続き雅楽奏者達も行列を抜けて駐車場内へ
行列に空きができるが旗を持った白丁はそのまま直進
演奏の準備をする雅楽隊馬を持った白丁は忌竹へ
神輿が列を外れ担ぎ手は反転して忌竹へ向う
神輿に続き宮司や神職らも忌竹へ向う
神輿を忌竹内へ納め神職らが神饌を供える
福永町の小行在所にて祭典が執り行われ
祭典後は出発までしばしの休憩


福永町→別所町(宿坊かげゆ)

  福永町で祭典を行うと10時20分頃に出発し、10時30分頃に別所町の小行在所(かげゆ旅館の前庭)に着座して祭典を行う。

休憩を終えると神職は神饌と神饌を置く台をさげる
休憩していた白丁も忌竹へ向かい
神輿の周囲に集ると拍子木が出発の合図を伝える
神輿から馬を抜き抱えながら忌竹から出すと
担ぎ上げて福永町の小行在所を出発
神輿は右折して再び南下宮司も出発して神輿に続く
良弁坂を下り小出豆腐店前あたご滝バス停を通過
愛宕橋では地元福永町の愛宕倶楽部が御出迎え
茣蓙の上に正座をし神輿が通る間は頭を下げる
行列はさくら坂を下り山荘なぎさを通過
四季懐石 小笠原蓬生亭 逸見
さらに伊勢原警察署大山駐在所
幸橋を渡ってたけだ旅館前を通過
別所町の神輿が奥に見えるくつわ橋を神輿が通過
霞橋を渡り、こまや旅館を通過旧参道に繋がる
加寿美橋は通過しかすみ商店会を進む行列
大山駅バス亭を過ぎると神輿は反対車線へ移り
かげゆでは雅楽が演奏される神輿を肩から下ろし
宿坊かげゆの庭へ入ると忌竹内に神輿を納める
直ぐに神饌が準備され祭典が執り行われる
別所町の代表者が参拝ししばらく休憩をとる


別所町→新町(大木旅館)

  宿坊かげゆを10時50分頃に出発すると別所町から三の鳥居まで進み、鳥居を少し過ぎたところでUターンして新町の小行在所(大木旅館の前庭)に11時頃に着座する。

太鼓が出発の準備を整え宿坊かげゆを出発
金子屋で休憩を取る白丁神輿からは神饌を下げる
拍子木が出発の合図を伝え忌竹から神輿を出し
入口付近まで抱えて運び肩を入れる
宿坊かげゆを出て右折し行列の後方に
神輿が加わると一行は再び大山街道を下る
新道と旧道がぶつかるT字路をかどやで左折して旧道へ
新玉橋で鈴川を渡り道沿いに右カーブ
老人福祉センター交差点を通過し左手には新町のテントが
新町の神輿を後にし大山郵便局前を通過
鳥居坂では先頭の行列が道の両脇へ並び
神輿がその間を通って先頭へふたつばしを渡り
鳥居へ向うとそのまま鳥居を潜って通過
子易地区の手前まで来るとUターンし
来た道を引き返して再び鳥居を潜る
大木旅館前まで来ると神輿を肩から下ろし
後ろ向きで忌竹へ向かい忌竹内に神輿を納める
直ぐに神職が神饌を運び神輿に供えていく
観客にも見守られ祭典が執り行われる
新町の代表者が参拝すると宮司らは大木旅館で休憩を取る
休憩場所はこの他に磯崎絞製作所や
宿坊いわ江などに分かれる

新町→社務局(到着11:30)

  新町で式典を行ってから11時15分頃に新町を出発し、下ってきた道を引き返して別所町の加寿美橋を渡り社務局へ向かう。11時30分頃に社務局に到着すると行在所に神輿を着座し、行列は解散して社務局の所定の場所で昼食をとる。

神輿から神饌を手渡しで下げ
大木旅館まで運んでいく
拍子木が打ち鳴らされ忌竹から神輿が出される
神輿を担ぎ上げると新町の小行在所を出発
左折してもと来た鳥居坂を引き返す
磯崎絞製作所大山郵便局
新町のテント老人福祉センターの交差点を通過
新玉橋を渡り旅館式部大夫を通過すると
突き当りのT字路を右折
大山公民館前を通過し丹沢大山国定公園の門を潜る
宿坊かげゆを通過し旧参道入口まで来ると
右折して加寿橋を渡り渡り終えると道沿いに左折
行列は獅子山荘とかすみ荘下神崎荘を通過
神官がまく紙吹雪に含まれる金と銀の紙を拾うと金運がUP
米屋きゃらぶき本舗を通過し能舞台側の出入口は素通り
年番の開山町が出迎える中行列の先頭が姿を見せる
こまや支店前で右折し年番町に続いて
道の両側に整列していくその後も
行列は行在所に向って奥へ続いていく
阿夫利睦の提灯が右折しいよいよ神輿の登場
右折して行在所へ向う
神輿に続いて宮司も行在所へ
神輿は列の間を通過し行在所へ向っていく
神輿が行在所へ入ると列を崩す
神輿が行在所の中央に輿を下ろすと
宮司と神職が参拝
神輿を担いだ白丁も参拝
阿夫利睦も参拝行在所へ向う年番の開山町
行列に参加した白丁や開山町も参拝
白丁らは着替えのため奥の倉庫へ移動
雨を凌いだシートを神輿から外し
神職の手で祭壇側へ移動
中央に輿をおろし位置を微調整する
行在所の入口では賽銭箱を出し
一般の方々が参拝


着御祭 (開始14:00、終了14:45)

  午後からは社務局の行在所で「行宮着御祭」の祭典が行われる。13時57分頃に年番町によって祭典開始を知らせる太鼓が打ち鳴らされ、14時にテントのところへ神官・氏子総代・年番町役員・講中崇敬者などが集まり、池の横に設けられた忌竹の祭場へ祭主がおもむいて禊の式を行う。それから一同は行在所へ移動して、神輿の前で祭典を執行する。祝詞奏上に続いて玉串奉奠があり、年番組の代表者8人が行在所入口前に2列縦隊になって礼拝して終了する。一同は再びテントへ移動して宮司と年番町代表が挨拶の言葉を述べ、14時45分には解散となる。
  ここでは平成29年(2017年)8月27日に行われた着御祭の様子を紹介する。

時刻は13時45分頃阿夫利睦が神輿の準備
神官と宮司が登場
榊の木の入った木箱を外へ移動
13時57分に太鼓が叩かれ一同は池の方へ移動
池の前で神官が手を洗い
身を清めてから忌竹の祭場で整列
年番町の太鼓の合図で禊の式が執り行われる
祭壇から水と榊を持ち出し
宮司と神官氏子総代と講中崇敬者を修祓
禊の式が終わると宮司と神職を先頭に
忌竹の祭場を離れ行在所へ移動
講中の崇敬者らも行在所へ入り着御祭が執り行われる
最初に祭主(宮司)一拝開扉に続いて献饌
手渡しで供物を祭壇へ神官が一拝し
続いて宮司による祝詞奏上出席者は頭を下げる
年番町は外で待機続いて宮司に玉串が手渡され
神官と共に玉串奉奠
続いて氏子総代が玉串奉奠この後は講中崇敬者
東京や横浜からも来ています続いて年番町が
拝礼し再び行在所の外へ移動
玉串奉奠が終わると撤饌
最後に祭主が一拝し宮司と神官を先頭に
行在所を出発し池の方へ移動
忌竹の祭場前に神官が整列年番町も整列し
宮司の挨拶続いて年番町代表が挨拶をし
着御祭が滞りなく終了年番町は事務所へ移動
神官が忌竹の祭壇を片付け14時45分頃に解散


神代神楽・囃子 (開始18:00〜)

  夕刻からは能舞台で神代神楽の奉納と、五人囃子の演奏が余興として披露される。

能舞台の中央には清酒と米そして鈴が置かれる
舞台右手には太鼓が置かれ開始20分前から予行演習
18時になると神楽が始められる
囃子方が演奏する中踊り手は橋掛かりから登場
神楽の奉納が終わると踊り手は退場し
舞台中央に大太鼓1個と締太鼓を2個準備し
笛と鉦を加え、神輿担ぎを五人囃子で盛り上げる
神輿の休憩中は囃子方が再び横へ移動し
踊り手が登場再び神楽を奉納する


神輿 (開始20:00、終了22:00)

  20時頃になると各町内から神輿が繰り出され社務局の広場に次々と集まり、掛け声を競いながら激しく練るので大変な賑わいとなる。神輿が集まってきた頃合をみて、能舞台では上記の神楽が奉納される。
  2011年(平成23年)は同年3月11日に起った東日本大震災を考慮し、境内での神輿担ぎは約1時間半前倒しされた。そのため開始時刻は18時30分からで、通常22時の終了時刻は20時30分となり、神楽殿の余興も神輿に合わせて終了時間が早められた。

能舞台正面に阿夫利睦の神輿行在所前には
千代見倶楽部と雲井倶楽部の神輿
着御祭を終えた行在所には奥の祭壇中央に
神輿が祀られる年番町は日之出倶楽部
愛宕倶楽部の神輿が台車に乗って社務局に到着し
忌竹内の左端に置かれるこちらは東側に設置されたテント
荷物を運搬する日之出倶楽部日之出倶楽部の神輿も到着
神輿がまた1基姿を見せ新玉倶楽部が担いで登場
露天商の間を進み門を通過
境内に入り旋回して南側を向くと
バックして馬の上に輿をおろす
各倶楽部の代表者が集合し打合せをして乾杯
提灯に明かりをつける開山町他の町内も照明の準備を進める
定刻5分前に太鼓が鳴らされ担ぎ手は神輿に向う
年番町の日之出倶楽部新町の新玉倶楽部
福永町の愛宕倶楽部雲井倶楽部と千代見倶楽部
日之出倶楽部の合図で5町内が一斉に一本締め
稲荷町が一番手で肩を入れるこちらは開山町の子供神輿
続いて年番の日之出倶楽部が神輿を担ぎ上げる
続いて新町が神輿を担ぎ忌竹を出発
奥の行在所を目指して日之出倶楽部が進んでいく
行在所前で神輿を揉む開山町
少し遅れて愛宕倶楽部が忌竹を出発
左に旋回し行在所へ向う福永町
日之出倶楽部と入れ替わり行在所前で神輿を揉む福永町
稲荷町と新町は能舞台へ移動囃子が神輿を盛り上げる
行在所に戻る千代見倶楽部新町も能楽堂から引き返す
境内で練る日之出倶楽部福永町は能楽堂から引き返し
行在所を目指して練り歩くこちらは開山町の子供神輿
行在所前では千代見倶楽部が神輿を揉む
一番手で新町が忌竹へ入り輿を下ろす
他の倶楽部が盛り上がる中一足先に一本締め
開山町の子供神輿も年番事務所横に輿をおろす
境内で旋回する日之出倶楽部
千代見倶楽部と愛宕倶楽部は再び能楽堂へ向う
開山町は神輿を差し上げると行在所を離れ
年番町の事務所へ向かうと神輿終了の太鼓が叩かれる
名残惜しそうに日之出倶楽部が輿をおろす
太鼓の合図を聞いた稲荷町と福永町が能楽堂から引き返し
千代見倶楽部が先に忌竹の右端へ入る
忌竹の左端へ向う福永町輿をおろす千代見倶楽部
愛宕倶楽部は忌竹内へ入る千代見倶楽部が一本締め
福永町が一番最後に輿をおろし一本締めで休憩に入るが
雨が降ってきたため坂本長と稲荷町
年番の開山町忌竹中央の新町
福永町と、雨避けのために神輿へビニールシートを掛けていく

  年番町の神輿は年番事務所横に設置されたテント前が神輿置き場となっており、それ以外の町内神輿は境内の北側に立てられた忌竹内が神輿置場となっている。また、神輿の開始・終了時刻は年番町のテント下に置かれた太鼓で合図がされ、6町内の神輿は社務局の境内を自由に練り歩く。

神輿の休憩中は能舞台で再び神代神楽の奉納
雨が上がり新町ではシートを外す年番の開山町が太鼓を打ち
日之出倶楽部でもシートを外すと一番手で事務所前を出発
行在所まで直進し神輿を激しく揉む日之出倶楽部
続いて雲井倶楽部が一本締め千代見倶楽部と合同で
神輿を担ぎ上げると忌竹を出発
雲井倶楽部に続いて愛宕倶楽部が一本締め
雲井倶楽部は左折して行在所前で神輿を揉む
続いて新玉倶楽部が一本締め奥の子供神輿が先に
忌竹を出発し境内を練り歩く
神輿を担ぎ上げる福永町新町も神輿に肩を入れると
神輿を担ぎ上げ福永町と並んで忌竹を出発
前半よりも担ぎ手が増え境内は賑わいを見せる
こちらは開山町の子供神輿行在所を目指す各神輿
行在所で揉んだ愛宕倶楽部が行在所を離れ能楽堂へ向う
能楽堂前には雲井倶楽部と日之出倶楽部が練り歩く
日之出倶楽部は能楽堂前でも神輿を差し上げる
雲井倶楽部も同様に差し上げ正面から福永町がすれ違う
神輿担ぎの間も能舞台では神代神楽が続く
福永町の後ろには新町が続き能楽堂前で揉む2基の神輿
行在所へ向う坂本町開山町は先に行在所へ到着
坂本町は開山町の後方に着き開山町が行在所を離れると
前進して行在所前で神輿を揉む
神輿を少し押し戻し神輿を差し上げる坂本町
ここでようやく別所町から霞倶楽部が社務局へ到着
直進して忌竹前を練り歩き行在所へ向う別所町
行在所前では開山町が神輿を揉むが
別所町が開山町と並んで神輿を揉む
神輿の集団の中から別所町の子供神輿が抜け出し
忌竹内に入ると一足先に輿を下ろす
行在所前では新町に続き
別所町も神輿を揉む忌竹に向かう雲井倶楽部
旋回して後ろ向きで忌竹へ入っていく
新玉倶楽部も同様に後ろ向きで忌竹内へ
輿をおろす雲井倶楽部と新玉倶楽部
新町の子供神輿も忌竹へ戻ると
新町は一本締め一方、坂本町と稲荷町は
千代見倶楽部の神輿に移り再び境内へ向けて忌竹を出発
開山町の子供神輿は事務所横のテントへ戻る
五人囃子に囃されて神輿を練る愛宕倶楽部と千代見倶楽部
境内を進み2基は能楽堂前へ
ここで霞倶楽部が忌竹内に入り
新町の隣に輿をおろす隣で神輿にシートを被せる新町
輿をおろした別所町が一本締め神輿を差し上げる開山町
行在所前では愛宕倶楽部が神輿を揉む
愛宕倶楽部の左隣に千代見倶楽部が押し寄せ
2基が並んで神輿を揉み合う
ここで開山町が太鼓を叩き一旦神輿は事務所へ向かうが
日之出倶楽部の勢いは止まらず
行在所へ向かい神輿を揉む
神輿を差し上げるとようやく事務所へ戻り
テント前に神輿をおろし一本締め
囃子は最後まで続き残った愛宕倶楽部と
千代見倶楽部は境内を往復する
開山町を始め各町内では雨に備えて神輿にシートを被せる
千代見倶楽部は能楽堂前から行在所へ向って引き返し
行在所前で神輿を揉む
福永町も能楽堂から引き返し行在所へ向うと
稲荷町と並んで神輿を揉み合う
暫く揉むと稲荷町が先に行在所を離れ
旋回して忌竹へ背を向けると後ろ向きで進んでいく
続いて福永町も行在所を離れる忌竹内に入る稲荷町
忌竹に向けて旋回する福永町稲荷町は輿をおろし
合同で担いでいた坂本町と揃って一本締め
福永町は忌竹の一番奥へ神輿を入れると
輿を下ろして本日最後となる一本締め
神輿をビニールシートで覆い神輿担ぎは幕を下ろす
能楽堂の戸を閉め社務曲での行事が終了

  27日の遷幸祭で社務局に集った神輿は各町内に戻ることなく、翌日の本祭典まで境内の忌竹内で一夜を越すことになる。


戻る(大山)