御門みかど

八坂神社

  八坂神社の祭神は「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」・「稲田姫命(いなだひめのみこと)」・「八柱御子神(やはしらみこがみ)」である。創立年代は不詳であるが、牛頭天王を祀ってあったことから「御門(みかど)」という地名になったとの伝説がある。
  天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』には「牛頭天王社」を曾屋村の小名であった御門の鎮守とし、槻樹(囲り八尺三寸)を神木とした。幣殿・拝殿・神楽殿等があり、鐘楼には享保12年(1727年)鋳造の鐘を掛けていた。末社には「弁天」・「蘇民将来(そみんしょうらい)」・「稲荷」が記されている。石灯籠には享保3年(1718年)と刻まれていて、その往時が偲ばれる。明治4年(1871年)の『八坂神社明細帳』によると勧請年紀は不詳で、旧号は牛頭天王と唱えていたが、慶応4年(1868年)9月中鎮守府御伝達所において「八坂大神」と改称したとある。
  明治6年(1873年)7月に曽屋村7社合併の時に曽屋神社へ合祀されたが、御門の氏子の信仰が篤く、合併後も正月9日、5月5日、9月9日の中祭などの神事を執行し、鳥居、狛犬、手水屋などの献納や神楽殿の建築などもなされ、独立の希望高く、昭和51年(1976年)9月に神社庁の承認を得て八坂神社を新たに創立し、翌年宗教法人となった。
  社殿前に残る燈籠には「享保元辛酉歳 湖東日埜住 天(矢?)野文右衛門」と銘が刻まれている。この天(矢?)野家が近江国(滋賀県)日野より秦野へ来て、金目川の水を頂き、造酒屋を営まれたという。

八坂神社鳥居
狛犬燈籠
拝殿覆殿・幣殿
社務所(神楽殿)輿堂
社務所玄関水鉢
幟の支え柱境内


御門の歴史

  八坂神社の氏子範囲である御門の名称は現在の住所表記ではなくなっており、旧御門地区の区画は新たな町の成立によって分かり難くなっているが、金目川の西側に位置する元町と本町3丁目の一部、金目川の東側に位置する曽屋の一部から構成されている。
  元町8にある光明山龍門寺(天台宗)には、天慶3年(940年)に藤原秀郷と甥の平貞盛らに討伐された平将門の冥福を祈って、後世の人がこの寺を建てて寄進したという寺伝が残っている。また、秦野の地には平将門が居を構えたという説があり、元町の龍門寺辺りに館を構えたと伝えられている。館のあったところを「御門」といい、付近には「祇園」・「加茂」・「河原町」などの地名が残っている。

光明山龍門寺(天台宗)本堂


準備(幟立て・神輿清掃)

  御門では大祭の1週間前に準備が行われ、幟立てや神輿の清掃、そして太鼓の山車の組立てや社務所の提灯付け等が行われる。ここでは平成28年(2016年)7月17日の日曜日に行われた準備の様子を紹介する。準備は早朝の7時頃から始まり、昼食を挟んで14時30分頃まで続けられた。

大祭の1週間前準備は8時スタート予定ですが
7時前から太鼓を叩く準備が始まる
社殿横に太鼓をセットし囃子を演奏
輿堂では扉を開ける
境内に軽トラが到着し荷台から
葉の付いた枝を降ろし社殿前へ置く
輿堂から竹を運び出し
こちらも社殿前へ幟竿からカバーを外す
神輿の馬も社殿前へ
こちらの馬は社務所前へ
大きな木の台を2個運び出し
並べて置くと小物を運んで
台の上へ並べて行く
太鼓の練習が続く中雑巾で馬や
幟竿などを拭き掃除
竿にはバケツで水を掛けて汚れを落とす
ここで轅がお宮に到着社務所前へ降ろします
境内では草刈りが始まるもう直ぐ幟立てが始まります
轅がもう一本担ぎ運ばれ
境内に到着社務所前に降ろす
支柱の間に挟んでいた柱を抜き取る
轅も雑巾で拭き掃除刈った草を集めます
太鼓は休憩を挟み再び叩き始める
葉の付いた枝は束にして竹に差し込む
こちらの梯子は何に使われるのでしょうか?
輿堂からは子供神輿が運び出され
社務所前に置かれた台の上におろす
輿堂内では作業が続く幟竿の先端に付けるようです
輿堂から鉄パイプを運び出し
奥にあったもう1基の子供神輿を運び出す
最後に残ったのは大人神輿境内に並ぶ2基の子供神輿
先ほどの轅を担ぎ上げ大人神輿の棒穴へ
ここで時刻が集合時間の8時になったので
神輿の作業を中断し祭典委員長の挨拶
太鼓の方も演奏を止め太鼓と台を社務所へしまう
本日の準備の流れを委員長から説明し
いよいよ幟立てがスタート幟竿を運び
東と西の支柱前に置く
ここで青年会は輿堂へ移動し轅に肩を入れる
幟竿の先端に竹を取り付け幟を吊るす部材を差し込む
輿堂では神輿を担ぎ上げ前進して
社務所前へ輿をおろす幟を吊るす縄を通し
竿を引く縄を結びつける神輿では古い注連縄を外し
新しい縄を渡す神輿を皆で掃除
幟立ては最初に東側から
始めは人の手だけで出来るだけ竿を起こし
ここで先程の3つの梯子が登場後ろから順番に
竿の下へ入れ3つの梯子を並べると
竿を持ち上げながらゆっくりと
前方へ移動して行く
幟立ての取材は初めての経験です
神輿ではハタキで埃を落とす梯子は支柱に近づき
先頭の梯子が抜け2本の梯子で押し上げる
3本のロープもバランスを取りながら引き上げる
ロープを支柱に巻き付け最後の1本の梯子で押し上げる
幟竿が垂直に立つと貫を横に通して固定
6分程で1本目が立ち上がる貫は楔で固定
続いて西側の幟に取り掛かります
根元にボルトを通しロープを掛けると
竿を持ち上げ梯子を入れる
一年間の汚れを念入りに取り除く
近年では金属製の竿を常設する所が多くなりましたが
御門では現在も人力のみで幟を立てています
息の合った作業で竿を立ち上げ
貫を差し込んで竿を支柱に固定
聳え立つ2本の幟竿社殿から大幟を運び出し
東側から幟を取り付け
ロープで引き上げて行く
西側も同様に大幟を取り付ける
社殿では扉を外し古い注連縄を取り外す
大人神輿に人を集め社殿の入口に座布団を敷く
轅に肩を入れ神輿を担ぎ上げると
参道へ向かい社殿前に神輿を寄せる
神輿を少しずつ下げ
社殿内に神輿を入れると座布団の上に置きます
神輿から轅を抜いて社務所前の馬の上に置く
西側の幟が上がっていく社殿横では注連縄の準備
社務所前から子供神輿を運び
社殿へ運ぶと大人神輿の隣に置く
轅は輿堂へ収納
境内中央では各組の代表者が列を作り
社殿横に並べられた注連縄を受け取る
東西の大幟が揃いました注連縄を受け取ると
社務所へ移動し祭礼関係の備品を受け取る
神輿用の飾り金物の掃除水鉢の両脇には竹を立てる
御門では祭典委員が組織され八坂神社例大祭を運営します
社殿前や輿堂
境内を掃き掃除
輿堂から金属製のパイプを運び出し
奥の倉庫からはべニアを運び出す
どうやらのし紙の掲示板のようです
中央の倉庫の扉を外し中から
運搬用の車を移動
荷台の上の白い枠を降ろし
エアーでゴミを飛ばして雑巾で拭き掃除
白い枠を荷台へ戻しボルトで固定
社殿では外した扉を元通りにはめ直す
ここで片町地区の軽トラが到着1年間預かっていた片町の
子供神輿を荷台へ載せ軽トラは片町地区へ引き返す
掃除を終えた荷車は元の倉庫へ入れる
飾り金物の磨き作業を終え
鳳凰を担いで社殿へしまう
境内の西側では掲示板の設置作業
10時15分頃になると休憩を取ります
休憩中にダンプが到着
荷台には境内にまくビリ砂利を積んでいます
10分程で休憩を終え作業を再開
こちらは鳳凰に付ける稲穂飾りの作成
ここで急遽、枝切り作業に同行させて頂くことに
軽トラに乗り込みお宮を出発
最初の現場に到着しました家主に挨拶をして
作業開始道路にはみ出した枝を切る
高さがあるので梯子を用意
神輿渡御の妨げにならない様枝を切っていく
荷台の両サイドにベニアを立て切った枝を積んでいく
問題なく神輿が通れそうです1箇所目でかなりの枝の量です
細かい落ち葉なども念入りに掃除し
荷台へ乗り込むと次の現場へ移動
次のお宅では軽トラを利用して
上部の枝を切り取りそのまま荷台へ載せる
軽トラをバックさせ後方の枝も切り落とす
軽トラを移動させここでもきちんと掃き掃除
荷台がいっぱいになったので一旦お宮へ戻り
社殿の裏手に枝をおろす
荷台を空にすると再び枝切りに出発
砂利を敷き終わった境内では輿堂前に台を移動し
輿堂から軽トラ山車の部材を運び出す
これから山車の組立てが始まります
土台の四隅に柱を立てここで昼休憩の時刻
12時から社務所にて昼食を取り
12時40分に再び作業開始ここで大きなトラックが到着
社務所前に止まる土台をボルトで固定
トラックに木の枠を上げる
山車では柱に桁と梁を載せ
束を立てる社務所では木の枠を吊り下げ
トラックをバックさせ木枠をもう一つ設置
トラックは提灯付けの為でした山車では棟木をのせ
前後に破風を取り付ける
提灯を右から埋めて行く屋根材を
山車の上部に被せビスで固定
左端は梯子を使い木枠が提灯で埋まる
トラックは役目を終え神社を出発
残る木枠は一つさらに下に付くようです
組み立てを終えた山車は社殿と輿堂の間へ移動
山車をおろしてブルーシートで被う
使い終わった木箱は輿堂へ
この木箱は祭礼中も活躍します
道具をしまい終えると輿堂の扉を閉める
提灯枠を固定し中央からバランスよく並べて行く
今日の準備はこれで終了来週はいよいよお祭りです


宵宮準備

  ここからは平成28年(2016年)7月23日の土曜日に行われた、八坂神社例大祭の前日の宵宮について紹介する。宵宮では早朝7時前から準備が始まり、神輿の捩り掛けや式典の準備を中心に作業が進められる。準備の間には祭礼を知らせる触れ太鼓として、太鼓の山車が御門地区を巡行する。なお、大きい方の山車は宵宮前日の太鼓の練習の時に、組み立て作業を行った。

時刻は6時40分ですが太鼓の準備は既に始まっている
昨日組まれた山車です軽トラ山車に提灯を付ける
社殿では扉を外す御門の朝は早いです
軽トラ山車に発電機を載せる
柱に座布団を巻き大太鼓を結びつける
社殿内には日曜日に納めた大小の神輿
社務所から締太鼓を運び出し軽トラ山車の枠へセット
輿堂では扉を開け木の台を運び出し
社務所前へ移動軽トラ山車と大きい方の山車の
発電機をロープで固定台を2つ並べます
神輿の馬は西側の掲示板前へ
轅を取り出し先ほどの馬の上へ
2本目も運び出し掲示板の前へ
2本の轅を箱台輪の棒穴へ
通します準備を終えた山車では
2台共にブッツケからバカッパヤシを叩く
社殿では前棒に肩を入れ担ぎ上げる
ゆっくりと前にずらし後ろの轅にも肩を入れ
参道で馬の上におろすと
神輿から轅を抜き輿堂へしまう
ここで大きい方の山車がお宮を出発し巡回へ向かう
子供神輿も社殿から外へ社務所から轅を取り出す
こちらが渡御用の轅のようです他の轅も社務所から出し
濡れたタオルで拭き掃除
鳥居には注連縄を張る綺麗になった轅を
棒穴へ差し込むこちらの方が明るい色です
短い轅も2本運び
縦の轅の上に渡す子供神輿にも轅を通す
馬を箱台輪から外し楔で箱台輪と轅を固定
子供神輿にも横棒が付く軽トラ山車は境内で演奏
日曜日に掃除した荷車を出す
大人神輿には蕨手を取り付ける
巡行していた山車がお宮へ到着
いよいよ捩り掛けが始まります
社殿内から鳳凰を運び出し露盤に足を差し込む
晒を折り畳むと鳳凰から捩りを掛けて行く
晒はさらにもう1本社務所では提灯の準備
荷車のタイヤにはコンプレッサーで空気を入れる
子供神輿では横棒を固定大人神輿では対角に捩り掛け
輿堂にも注連縄を張る水鉢は竹で飾り付け
子供神輿にも鳳凰を付けるこちらも気持ち前傾姿勢です
子供神輿を馬からおろし台の上に移す
子供神輿でも晒を折り畳み捩り掛けが始まる
社殿では注連縄を張り幕を取り付ける
子供神輿も鳳凰からスタート大人神輿では3本目の晒
子供神輿はベテランの青年会員により手際よく作業が進む
大きい山車に叩き手が乗り込み太鼓を叩く
社務所には大量の提灯こちらは神輿に飾る榊の準備
大人神輿では4本目の晒社殿では椅子を並べる
山車がお宮を出発し再び町内を巡行
捩りは蕨手から轅に
1年に1回思い出しながらの作業です
仕上げはバチを入れ均等に捩じっていく
大人神輿の捩り掛けが完了今にも飛び立ちそうです
子供神輿も最後の仕上げ蕨手に小鳥を差し込む
荷車に紅白幕を巻く大人神輿のバチに
鈴を付けると神輿を一旦持ち上げ
馬を箱台輪の下にずらし横棒を縄で固定
軽トラ山車では太鼓を叩きお宮を出発
再び巡行に向かいます社殿では祭壇の準備
子供神輿にも鈴を付ける神輿用の榊です
巡行中の軽トラ山車がお宮の前を通過
神輿の鳥居に榊を飾る轅に楔を打ち直す
社務所から大きめの提灯を出し神輿の四隅に取り付ける
軽トラ山車が再び境内の前を通り過ぎる
捩り掛けを終えた子供神輿も榊を飾り付ける
荷車を押しお宮の外へ移動して行く
巡行していた山車がお宮に到着
神輿に注連縄を回し付けるこちらは稲穂飾りづくり
大人神輿と子供神輿の鳳凰に稲穂飾りを取り付け
ここで尾尻青年会が挨拶私も取材でお世話になりました
こちらは竹の先端に提灯を取り付ける
一台の軽トラが到着荷台には大量の麦藁
軽トラ山車が戻って来る飾りつけを終えた神輿を
担ぎ上げて180度旋回
正面を社殿側へ向ける軽トラ山車がお宮に到着
麦藁は倉庫へしまう何に使われるのでしょうか?
神輿はギリギリまで社殿へ寄せ馬の上におろす
山車が巡行へ出発祭壇は準備が整う
青年会は10時前に一旦解散軽トラ山車も巡回に出発します


宵宮式典 (開始10:00)

  宵宮では10時から八坂神社の社殿にて式典が執り行われ、出雲大社の宮司を祭主として神事が執り行われる。式典後は神輿を白い幕で覆い、御霊が本殿から神輿へ遷されると、社務所にて直会が開かれる。

9時15分頃に軽トラ山車と大きい方の山車が
お宮に戻って来る宮司と式典の打ち合わせ
式典の出席者が集まり始める受付でご祝儀を渡します
のし紙を掲示板へ張る式典5分前になり
出席者が社殿へ宮司も祭壇へ向かい
椅子に着席すると10時に太鼓の合図で
式典が始まる境内にも出席者が並ぶ
一連の神事が終わると
出席者は社殿を出て神輿を白い布で
一周覆います
神輿へ渡る板にも布を敷きその布は本殿まで伸びる
宮司により本殿から神輿に御霊が遷され
御霊遷しが終わると神輿から布を外していく
10時35分頃に太鼓を叩き山車がお宮を出発
御門地区の巡行に向かう
式典後は社務所へ上がり直会が開かれる


発輿祭 (開始11:40)

  11時40分からは神輿渡御の出発に際し、境内で発輿祭が執り行われる。

11時過ぎに山車が戻って来る子供神輿に祭壇を用意
御霊入れが済んだ大人神輿は担ぎ上げて
180度旋回し正面を鳥居側へ向ける
大人神輿にも祭壇を設置青年会が集合し
祭典委員長から渡御の説明関係者に木札が配られる
鳥居前では神職により厄払い11時40分になると神職による
竜笛の演奏で発輿祭が執り行われる
初めに修祓大人神輿をお祓い
続いて子供神輿をお祓い宮司や
参列者をお祓い大きい方の山車と
軽トラ山車をお祓い続いて子供神輿に御霊を遷す
宮司により祝詞奏上が行われ各団体の代表者による
玉串拝礼こちらは祭典委員長です
子供神輿でも子供たちによる玉串拝礼
宮司から子供達へ挨拶があり
社務所前で立ちお神酒を頂く


宵宮渡御

  八坂神社の例大祭における神輿渡御は宵宮と大祭の2日間に跨って行われ、太鼓の山車2台と共に大人神輿と子供神輿が御門地区を渡御していく。以下に、宵宮渡御の様子を紹介する。

●宮立ち (出発12:10)
  神輿渡御は祭典委員長の挨拶で幕を開け、子供神輿と大人神輿の順で八坂神社を出発する。

子供神輿と大人神輿では記念撮影
祭典委員長から挨拶がありいよいよ宮立ちです
宮昇殿の曲で子供神輿からお立ち
鳥居を潜り
お宮を出発山車に先導され西へ向かう
続いて大人神輿に肩を入れ社殿前を出発
参道を進み
鳥居前で肩からおろし
慎重に鳥居を潜ると宮立ちです
右折して子供神輿の後を追う最後尾は軽トラ山車が続く
いよいよ・・・宵宮渡御の始まりです

  
  ※宵宮渡御の様子は下記の宵宮渡御の前半と後半のページを参照

  宵宮渡御(前半)
  宵宮渡御(後半)

囃子

  御門に伝わる祭り囃子は「御門祭囃子保存会」によって伝承されている。御門に伝わっている曲目は「オハヤシ(バカッパヤシ)」・「ミヤショウデン(宮昇殿)」・「ジショウデン(地昇殿)」の3曲で、オハヤシは「ブッツケ」から始まり、祭礼中の殆どで叩かれる曲である。ミヤショウデンは神輿の宮立ちと宮入りの際に演奏され、「アガリ」と呼ばれる繋ぎの曲でオハヤシに移る。ジショウデンは火渡り神事が始まる時に演奏され、ミヤショウデンと同様にアガリでオハヤシに繋げられる。
  囃子の構成は締太鼓2つと大太鼓1つで1カラとなり、かつては笛と鉦が入っていたが、一時期囃子が途絶えたこともあって、現在は伝承されていない。祭礼中は2台の山車で巡行し、大きい方の山車は平成16年(2004年)に、もう1台の軽トラックの山車は平成20年(2008年)に新調された。神輿の渡御行列では基本的に大きい方の山車が行列を先導し、軽トラックの山車が最後尾に付く。

囃子の構成は締太鼓2個と大太鼓が1個
大きい方の山車は平成16年(2004年)に新調
軽トラックの山車は平成20年(2008年)に新調
囃子

  平成28年(2016年)度の太鼓の練習は6月13日の月曜日から始まり、月・水・土の週3回を例大祭まで社務所にて毎週行われた。以下に6月25日の土曜日に行われた練習の様子を紹介する。

太鼓の練習は社務所にて月水土の17時から21時まで
付き合いで来ていた曽屋の一番組が太鼓を披露
尾尻と御門も加わり太鼓の交流
再び御門の子供たちの練習大人も入ります
練習を終え後片付け
畳を掃き掃除して締太鼓を緩める
最後に祭囃子保存会の副会長より挨拶があり
社務所の雨戸を閉め練習を終える


神輿

  露盤上の大鳥は大正10年(1921年)に、中郡大磯町の錺師「三武岩吉師(当時77歳)」によって製作され、神輿本体(素木造り)は昭和9年(1934年)に二宮梅沢の「西山友吉宮師」によって製作された。この年代の差異は八坂神社にそれ以前にも神輿があったことを意味している。その神輿は榎本豊後が天保7〜11年(1836〜40年)に京都白川家で修業を行った際、神田明神の神主と一緒だった縁で、神田明神の中古神輿を譲り受けたものである。昭和23年(1948年)に八坂神社の社殿修理費用のため、伊勢原市善波の三嶋神社へ売却された。
  御門の八坂神社神輿の造営から60年が経つと、その損傷の激しさから宮本青年会によって解体修理が行われることとなった。通常、解体修理を行う場合には漆などの専門家の指導が必要であるが、秦野市尾尻の漆器業であった菅沼好雄氏(当時51歳)が、神輿好きの縁で協力を申し出た。修理も当初は屋根だけの予定であったが、全面的に行うことになった。
  平成6年(1994年)10月初旬に解体作業が始まり、屋根の飾りをはじめ本体の龍の彫り物、細かい木組み部分などを合わせると、部品の総数は五千個以上になった。八坂神社の社務所では週末と休日を除く毎晩、都合のつく仲間が10人以上集まって部品磨きなどが行われた。屋根の鳳凰飾りを直して磨き上げるのには2ヶ月も掛かったという。翌年の平成7年(1995年)4月9日に本体と屋根を合体させ、約半年に及んだ作業を終えた。

御門八坂神社神輿捩り掛け後
提灯取り付け後前傾姿勢が特徴の鳳凰
子供神輿捩り掛け後
提灯取り付け後(女神輿として)預かっている片町の子供神輿
神輿の台車専用のフレームを載せる
掛け声


祭礼の歴史

  『風土記稿』には例祭が6月7日より14日まで続いたとある。乳牛区有文書の嘉永3年(1850年)の「議定一札之事」によると、以前から6月7日の祭礼には屋台を引き出し、その際に怪我人が出ると難町で経費の全額を負担してきたが、それでは経費の負担が困難になり、強いては祭礼も出来なくなる恐れがあるため、今後は難町で半金、残る半金を三町で負担するという取り決めがなされた。署名者は上宿総代与右衛門・片町総代長兵衛・金堀塚総代源兵衛・中宿総代松五郎・又吉・仁左衛門・下宿総代兵右衛門・清六・伝七・乳牛総代岡右衛門・幾右衛門・清兵衛等であった。また、文久元年(1861年)の「曽屋村若者仲間の取り決め」によると、七日の祭礼には神事が済むまで禁酒し、昔の仕来たりのように正午刻(12時)に祭礼を済ませる。最も、屋台が先の時は前後の見計らいをするとある。これを見ると祭礼には御門だけでなく、これを取り巻く多くの町内が参加していたことがわかる。
  明治6年(1873年)7月に御門の八坂神社は曽屋神社へ合祀されたが、合祀の間は曽屋神社の祭礼日に神輿が渡御した。この頃の祭礼日は7月10日で、御門にあった神輿は7月9日に御霊入れのため曽屋神社へ出輿し夕刻に御還座した。翌10日には町内を一巡し、大竹3本に標縄を張った本町四ツ角に、曽屋神社のもと乳牛に鎮座していた八幡・加羅古神社の乳牛神輿、そして八坂神社の神輿の計3基が夜に揃い曽屋神社へ宮入り道中した。三基揃いの御渡りは勇壮であったが、御霊返し後の帰還は御門の担ぎ手のほか曽屋の担ぎ手も加わり、人が多すぎて全く動けず世話人泣かせであったという。御門へ帰輿するのは大抵翌朝であった。
  昭和51年(1976年)9月に御門の八坂神社は曾屋神社から分祀されたが、現在の例大祭は曾屋神社と同じ7月20日前後の日曜日となっている。



大休止(宮付け19:55)

  火渡り神事を終えた神輿は鳥居から境内へ入り、境内を駆け回ったのちに社殿前で差し上げて輿をおろす。宵宮渡御の最後に八坂神社へ戻るかたちにはなるが、ここでは宮入りという認識ではなく、宵宮から大祭に跨ぐ神輿渡御の休憩場所の一つとして捉えられていることから、御門地区では大祭の神輿渡御までの間を「大休止(だいきゅうし)」と呼んでいる。

19時50分に太鼓が叩かれ火渡り神事を終えた神輿が
鳥居を潜って
宮入り社殿前で右折し
境内を1周神輿は勢いを増し
社務所まで押し寄せると境内を大きく
回っていく撮影している私が
身の危険を感じるほど物凄いスピードで
暴れまくります近くに寄ることが出来ません
担ぎ手の砂利を蹴る音が非常に印象的です
社殿前で神輿を誘導すると暴れていた神輿は
社殿へ向かい豪快に
差し上げ興奮冷めやらぬ担ぎ手を
宥めるかのように神輿を後退させ
神輿を馬の上におろす高張提灯を立て掛けると
神職からお祓いを受ける社務所前では豆腐を用意
祭典委員長が轅に上がり挨拶を終えると
青年会は直ぐに神輿から提灯を外していく
社務所前では豆腐を頂く手際よく作業を進めます
20時には尾尻青年会と下大槻青年会をお見送り
神輿では提灯を掛ける縄も外していく
山車を境内へ入れます社殿横には子供神輿
軽トラ山車も境内へ社務所では直会が開かれる
山車から太鼓を外し社務所へ運んでいく
神輿では轅に肩を入れ馬を抜くと
180度旋回し正面を鳥居側へ向けて
輿をおろし高張提灯を立て掛ける
片付けを終えると社務所へ上がって直会に参加
明日はいよいよ・・・大祭です


大祭準備

  ここからは平成28年(2016年)7月24日の日曜日に行われた大祭の様子を紹介する。祭典委員長と祭典副委員長、そして青年会の一部のメンバーは、宵宮の晩からお宮にお籠りし、大祭当日は朝6時前から神輿の準備作業に取り掛かる。また、祭囃子保存会も6時半頃には太鼓の取り付け作業に取り掛かり、神輿渡御前の巡行に向けて準備を進める。

朝6時にお宮に来ましたが青年会は既に
捩り掛けを始めています御門の朝はとにかく早い
昨晩のお籠りは寒かったようです
捩り掛けを終えると次は横棒の取り付け
轅を上げて馬を箱台輪の下へ移動
鳥居には新しい榊を飾り付ける
境内に馬を準備し社殿横から
子供神輿を移動して馬の上におろすと
こちらも新しい榊を飾り付ける山車の方も準備が始まる
神輿の四隅に提灯を取り付け子供神輿では埃を払う
横棒をロープで巻き付けカケヤで締め上げて行く
新しい榊が並べられるこちらは宵宮で使用した榊
山車では大太鼓の取り付け保存会のメンバーも揃い
山車に締太鼓をセット
時刻はまだ6時50分太鼓の準備も早いです
境内と社殿では掃き掃除
緩まない様にきつく締め上げる子供神輿の榊付けが完了


山車巡行

  前日の宵宮では神輿渡御が始まるまでの間に、太鼓の山車が御門地区を巡行していたが、大祭当日も同様に神輿渡御までの間に太鼓の山車が御門地区を巡行する。

●1回目(出発7:05、到着7:55)
  太鼓の山車は朝7時過ぎに出発し、1回目の巡行を行う。

時刻は7時になりました火渡りの灰も集めます
山車に叩き手が乗り込み私も同伴させて頂く事に
軽トラ山車が先に出発先導の山車も出発し
ブッツケからバカッパヤシを演奏
元町地区を巡行していく
やな井旅館を通過し本町3丁目を抜けると
片町通りに出て左折台町交差点を通過し
台町自治会館前を通過天野石材前で左折し
再び本町3丁目に入り山口屋酒店を通過
宵宮の神酒所を通過十字路で左折すると
お宮側から軽トラ山車と合流元町地区を巡回し
末広町との境を下りすえひろこども園を通過
十代橋を渡り金目川を越えると
自治会館の近くを通り秦野二宮線を左折
直ぐに右折し宵宮で渡御した地区を巡行
神酒所のしもいいでら公園今日は天気が良さそうです
曽屋高の裏を抜け二車線の道路に出て左折
増田屋の裏を抜け名古木の交差点を左折
今度は県道の西側を巡行し
天王下橋を渡り金目川を越えると
坂道をのぼりお宮の横を通過
突き当りを右折しお宮を離れ
元町地区を巡回すると
県道704号に出て左折本町四ツ角交差点を左折し
片町商店街を進み本町1丁目に入る
右手には東道太鼓連の山車ここは合同渡御で通る道です
まほろば大橋の手前を左折
奥に見えるのは尾尻の宵宮で渡御した秦野駅です
水無川沿いに走りイトーヨーカドーを通過
秦野瓦斯株式会社を通過し新常盤橋を左折
ここは河原町になります秦野二宮線を北上し
河原町交差点を左折直ぐに右折し
セブンイレブン秦野河原町店に到着
10分程停車し買い出しを終えると
山車に乗り込みセブンイレブンを出発
バス通りを北西に走りブッツケからバカッパヤシ
右折して本町3丁目に入り後方から軽トラ山車が合流
十字路を右折しお宮に到着すると
境内に山車を止める

  山車が境内に戻ってくると、社務所では提灯の準備が進められていた。2回目の出発の間に青年会が山車に上がって太鼓を叩いたが、祭礼中、青年会は神輿渡御の運営に当たるため、渡御中に太鼓を叩くことはほとんどできない。

捩り掛けを終えた神輿大祭の渡御を待ちます
社務所では提灯の準備こちらは燃えてしまった提灯
10本ずつ束ねて行きますのし紙で埋まる掲示板
私のも貼って頂きました軽トラ山車が巡行に出発
大きい方の山車では境内で太鼓の演奏
祭礼中は神輿の運営で太鼓を叩く機会が無い青年会も
保存会と一緒に太鼓を楽しみます
こちらはのペアは昨年の祭典委員長と
今年の祭典副委員長です力強い演奏を披露
珍しい光景に皆さん動画を撮影

●2回目(出発8:35、到着8:50)
  40分程お宮で停車していた山車は2回目の巡行に出発する。山車の巡行では御門の氏子地区以外の範囲も移動する。

保存会が青年会と交代し
山車がお宮を出発2回目の巡行に向かう
坂を上っていくと巡行中の軽トラ山車と遭遇
元町を抜け県道704号を左折
本町四ツ角を左折して片町通りへ
ここは合同渡御のコースです片町通り交差点
台町交差点台町自治会館を通過
一般車両と同じ速度で走ります河原町交差点を左折
弘法橋を渡って金目川を越え左手にはノジマとトイザらス
ここで軽トラ山車が追い抜きます
クリーンセンター入口で左折し御門自治会館近くを通過
金目川を渡りすえひろこども園を通過
左折して元町地区に入り
お宮に帰ってきました
山車の巡行では神輿渡御で通らない道も巡行します

●3回目(出発9:10、到着9:40)
  3回目の山車の巡行では台町へ向かい、交流のある台町の太鼓連と叩き合いを行う。

叩き手は手にテーピングを巻く3回目は休む間もなく
軽トラ山車と共にお宮を出発
十字路を左折テーピングは必需品ですね
本町3丁目を抜けると正面には天野石材の駐車場
片町通りを横断しそのまま駐車場へ入ります
御門は台町と交流があるようです
台町の子供神輿東の方から太鼓の音が聞え
河原町の山車が現れると天野石材を通過
後方には子供神輿が続きバス通りを練り歩く
御門と台町の叩き手が準備を始め
御門からブッツケ太鼓の叩き合いが
始まります奥には台町の軽トラ山車
御門の軽トラ山車でも太鼓を叩く
他の地区と交流を持つことで叩き手のモチベーションが上がりマス
祭り囃子が活気付くことを願います
しかし・・・台町太鼓連の山車は大きいです
台町の子供神輿が駐車場を出発
バス通りを出て右折台町の山車も
駐車場を出発最後の台町の軽トラ山車が
出発し、台町一行は河原町方面へ巡行していく
台町を送り出した御門はバス通りを左折して西へ進む
台町自治会館前には中ぐらいの神輿が
さらに直進すると左手にもう一台神輿が
片町通り交差点を通過し本町四ツ角交差点で右折
県道704号の左手は寿町です山車は右折して
元町地区を抜け梶山写真館を通過
すえひろこども園を通過し十代橋を渡ると
加藤道場で右折宵宮の神酒所で左折し
田んぼ沿いに直進し右手にはトイザらスとノジマ
店舗前で左折すると正面から軽トラ山車が現れ
そのまますれ違うと秦野二宮線に出て左折
だんだん御門の地理がわかってきました
クリーンセンター入口で左折し金目川を渡ると
末広町との境を進み左折して元町地区へ
十字路を左折しお宮に到着
祭囃子保存会の皆様、山車に載せて頂き有難うございました


大祭式典(開始11:10)

  大祭では11時10分から境内で式典(発輿祭)が執り行われ、修祓や祝詞奏上、玉串拝礼などの神事が執り行われる。

2基の神輿には祭壇が準備されています
式典まで一旦解散します時刻は10時50分
山車では青年会を中心に
太鼓が叩かれる10分程で止め
時刻は11時こちらは神輿渡御の打ち合わせ
境内に関係者が集まり祭典役員が鳥居前に整列
11時10分に式典が開始神職の竜笛の演奏があり
最初に修祓
大人神輿子供神輿
大きい方の山車と軽トラ山車をお祓い
最後に参列者をお祓い次に祝詞奏上
参列者は頭を下げる最後に玉串を
拝礼し式典が終了


大祭渡御

  式典が終わると宵宮に引き続き、神輿が御門地区を渡御する。以下に大祭の渡御の様子を紹介する。

●子供神輿お立ち(出発11:20)
  宵宮では子供神輿と大人神輿は続いて宮立ちしたが、大祭では大きい方の山車に先導され、子供神輿が一足先にお宮を出発する。

子供神輿を社務所前から境内の中央へ移動
社殿横から神輿の台車を移動し
鳥居を潜って西の方へ向かう
子供たちが神輿に集まる先導の山車が宮昇殿で
お宮を出発し鳥居付近で待機
子供たちが肩を入れ担ぎ上げると
鳥居を潜りお宮を出発
山車に先導され西へ向かって練り歩く

●大人神輿お立ち(出発11:50)
  お宮にはお立ち前から尾尻青年会と下大槻青年会の担ぎ手が応援に駆け付け、子供神輿のお立から30分後に大人神輿が八坂神社をお立ちする。

大人神輿は続けてお立ちせず青年会は社務所前へ移動し
豆腐とお神酒を準備
応援の尾尻青年会と下大槻青年会が到着
祭典委員長が轅に上がりお立ち前の挨拶
挨拶が終わると社務所前で立ちお神酒を頂き
担ぎ手は轅に肩を入れる
神輿を担ぎ上げ参道を進みます
軽トラ山車が先に出発神輿を一旦肩からおろし
鳥居を潜ると
いよいよお宮を出発軽トラ山車が先導します
大祭では直ぐに右折し坂を下って
天王下橋を通って金目川を渡る
これから御門地区を練り歩きます

  
  ※大祭渡御の様子は下記の大祭渡御の前半と後半、合同渡御のページを参照。

  大祭渡御(前半)
  合同渡御(御門編)
  大祭渡御(後半)


●女神輿/火渡り神事〜宮入り (開始19:45)
  大祭渡御では宵宮渡御と同様に、境内前で火渡り神事を行ってから宮入りとなる。宵宮では大人神輿だけであったが、大祭では女神輿も火渡り神事を行い、大人神輿より先に宮入りとなる。女神輿も大人神輿と同様に境内を走り回り、社殿前で差し上げて宮付けとなる。

麦藁に火をつけ火柱が上がると
女神輿が炎の上を
走り抜ける神輿を囃す祭囃子保存会
社務所前で引き返し再び炎の上を渡っていく
流石に女神輿は火渡り神事をやらないと思っていましたが
大人(男)神輿顔負けの火渡りを披露します
2往復目を終えると藁は投入されず
残り火の上を渡るとそのまま左折して鳥居を潜り
宮入り    ここでも大人神輿に引けを取らず
境内を勢いよくグルグルと
走り回ります女神輿を見守る観客
女神輿は拝殿に押し寄せ豪快に差し上げる
神輿をおろすと社殿横に移動
次はいよいよ・・・大人神輿の火渡りです

●大人神輿/火渡り神事〜宮入り (開始19:50)
  女神輿が無事に宮付けされると、今度は大人神輿が火渡り神事を行う。因みに、火渡り神事は3往復を目安に行われている。火渡り神事を終えると神輿は鳥居を潜って宮入りし、境内を走り回ってから社殿前で差し上げられ、輿を下して三本締めで神輿渡御に幕が下りる。

女神輿が宮付けされると再び麦藁が投入され
宵宮に引き続き大人神輿の火渡り神事が始まります
2箇所の炎を渡っていく
藁を投げ入れ神輿は社務所から引き返し
1往復散らばった藁をかき集める
炎の状況を見極めながら担ぎ手は勢いを付けて
火の上を歩いていく
宵宮と比べ観客が増えています
火渡りは2往復目を終える
火の勢いは宵宮より強そうです
火渡りは3往復目に突入
ここで祭典委員長から合図があり
どうやら宮入りの様です
3往復目を終えると提灯に誘導され
燃え残った藁の上を通り左折して
鳥居を潜ると宮入り
直ぐに社殿には向かわず宵宮と同様に
勢いよく境内を
走り回るその勢いは
宵宮以上です敷地を目いっぱい使い
時計回りにグルグルと
回っていく神輿は4周目に突入
勢い余って社務所に激突しそうです
祭典役員は社殿前で待機神輿の勢いは収まらず
ついに5周目に突入
社務所前ギリギリに走り抜け
参道へ入るとようやく社殿へ向かい
ギリギリまで神輿を寄せると例大祭最後の
差し上げ神輿をおろすと
直ぐに馬を入れ無事に宮付けされました
直ぐに神輿の近くに担ぎ手を集め
神職がお祓いお馴染みの豆腐を準備
祭典委員長が轅に上がり最後の挨拶
三本締めで神輿渡御に幕が下りる

●還御祭 (開始20:05)
  神輿が無事に宮付けされると、神輿から本殿へ御霊が遷され、社殿内では還御の神事が執り行われる。神事が終わると社務所へ移動し、宮司らを交えて直会が行われる。青年会や祭囃子保存会のメンバーは神輿と山車の片づけを終えてから、社務所の直会に参加する。

三本締めが終わると青年会は神輿に集まり
神輿を白い幕で覆うと神輿から御霊が抜かれる
社務所前では豆腐を頂く御霊遷しが終わると
青年会は白い布を外し直ぐに提灯外しに取り掛かる
社殿では代表者が出席し神事が執り行われる
境内では尾尻青年会と下大槻青年会を見送る
提灯を外し終わるとロープを外す
神事は5分程で終了神輿では捩りも外していく
子供神輿でも作業を始める大人神輿では
鳳凰を抜き社殿内へしまう
蕨手などの飾り金物を外す鳥居前では幟を降ろす
作業を終えた神輿を担ぎ上げ
90度旋回して再び輿をおろす
輿堂から別の轅を出します
社務所では直会が開かれる神輿から
渡御用の轅を抜き
別の轅を入れると
神輿を担ぎ上げて
輿堂前へ移動
輿堂の中へ納めます
飾りつけを外し終えた山車がお宮に入る
神輿にカバーを掛けると轅を抜き取り
お宮の外へ運んでいく大人神輿の次は子供神輿
大人神輿の隣に置きカバーを掛けます
山車では太鼓の枠や幕を外し軽トラ山車の櫓を
荷台からおろす大きい方の山車も同様に
荷台からおろし社務所前におろします
小物を輿堂へしまうと本日の片付けは終了
社務所に上がって直会に参加
御門の皆様有難うございました明日は片付けです

  大祭の翌日の月曜日は後片付けがあり、幟り倒しや山車の解体、供物である餅を切り分けて氏子へ配る作業などが行われる。



               


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