本宮ほんぐう

熊野本宮大社

  当社の総研年代は不詳であるが、神武天皇の東征以前には既に鎮座したという伝承がある。同社では第10代崇神(すじん)天皇65年(紀元前33年)に社殿が創建されたとしており、平成30年(2018年)を創建2050年としている。
  明治4年(1871年)に国幣中社に「熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)」として列格し、大正4年(1915年)11月に官幣大社に昇格した。昭和21年(1946年)の大東亜戦争(第二次世界大戦)の終戦と共に官制は廃止され、戦後になってから本宮町という地名から「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」と改称し、一宗教法人となっている。

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熊野本宮大社燈籠
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提灯立社号標
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燈籠鳥居
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狛犬(吽)狛犬(阿)
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神額参道
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燈籠瑞鳳殿
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石段功霊社
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祓戸大神手水舎
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旧御本宮御社殿絵図石段
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石段
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燈籠授与所
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社務所神門
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由緒旧社号標
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後鳥羽上皇御製八咫烏(由来)
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黎明殿手水舎・燈籠
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狛犬(吽)狛犬(阿)
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八咫烏絵馬掛狛犬(阿)
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宝物殿境内図

大斎原(旧社地)

  当社はかつて熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にあり、当時は約1万1千坪の境内に5棟12社(上・中・下各4社)の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の8倍の規模を誇っていたといわれる。江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりであった。
  明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、明治22年(1889年)夏の大洪水で建造物の多くが流出し、流出を免れた上3棟4社を明治24年(1891)3月に現在地へ移築・遷座した。中4社および下4社の社殿は再建されず、旧社地の大斎原には石祠2殿を造営し、左に中・下各4社を、右に元境内摂末社を祀っている。平成12年(2000年)5月11日には日本一高い大鳥居(高さ約34m、幅約42m、鉄筋コンクリート造)が建立された。
  当社宝物殿には江戸時代中期から後期頃の製作と伝えられる「熊野本宮并諸末社圖繒」が残されており、明治22年の大水害によって流失した大斎原の社殿が描かれ、往古を語る貴重な資料となっている。絵図の左上方部に描かれている「祓戸天神社」周辺が現在の境内地である。

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大鳥居手水舎
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世界遺産記念碑この先が大斎原


熊野三山

  「熊野」は和歌山県南部から三重県南部の地域を指し、和歌山県南部にある熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を合わせて「熊野三山」と呼び、熊野三山へお参りするための道を「熊野古道」という。
  3社とも祭神はほとんど同じであるが主神が異なり、本社末社という関係は存在しない。



産田社(末社)

  産田社(うぶたしゃ)

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産田社鳥居
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看板(産田社)看板(産守り)
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社号標燈籠・石祠

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