石楯尾神社
論社
相模国の延喜式内社十三社のうちいわゆる論社のあるものは高座郡の「石楯尾(いわたてお)神社」のみであり、他の十二社はその本来の所在地がほとんど判明しており、まず議論の余地がない。論社というのは一つの式内社についてそれといわれるものが二つ以上ある場合、それらをいずれも論社と呼ぶ。石楯尾神社については『延喜式神名帳』に載せられたのは当社であると主張するもの、あるいは学者などによってそのように推測されているものが5、6社におよんでいる。
しかし、その中でももっとも有力なのは神奈川県津久井郡藤野町上岩(かみいわ)の石楯尾神社と、同郡同町名倉の同名の神社である。この2社だけは昔から今日まで引き続いて石楯尾神社を名乗っているが、その他の論社は少なくとも今は石楯尾神社を称していない。
石楯尾神社
六国史にみえるところをあげると、石楯尾神が天安元年(857年)五月丙辰(20日)に従五位下にして官社に列せられている(文徳実録)。
例大祭