高森神社復興ご造営記念式典
社殿の焼失
平成21年(2009年)2月3日の午前3時30分頃に不審火があり、社殿および末社八坂神社・授与所などが火災により全焼した。幸いにも神霊は無事であり、一時的に仮殿へ鎮座されることとなった。前社殿は昭和53年(1978年)5月14日に造営され、八坂神社は昭和55年(1980年)に大修復がなされたものであった。また、授与所は神奈川県神社庁振興対策事業の一環に選ばれ、場所等も神社庁長支持の下に昭和62年(1987年)に新築されたものであった。
仮殿 | 神額 |
境内中央に設置 | 前社殿跡地 |
復興までの道のり
ここでは記念式典で公開された『高森神社復興写真展』から、社殿の焼失から復興までの道のりを紹介していく(写真にカーソルを合わせると撮影された年月日が表示されます)。
●平成21年度(2009年)の写真
2月3日未明に発生した火災によって社殿は全焼し、鎮火後に行われた消防の現場検証では出火場所および原因の特定が不可能であった。5日後の2月8日に開かれた氏子総集会では100人余りが参加し、火災発見から通報までの経緯や現場検証の結果などについて説明があった。
その後は地元の氏子や役員らを中心に建設委員会が組織され、2月19日の建設委員会候補者協議の結果、役員会規約、役員案、八坂神社合祀案を決定した。社殿が焼失した境内には仮殿が一時的に設置されることになり、3月24日の夜には完成した仮殿へ御神体を鎮座させる遷座祭が厳かに執り行われた。同年の例大祭は仮殿で式典が執り行われたが、子供神輿の渡御は自粛され、太鼓は楽しみにしていた子供達のために行われた。
写真展の看板 | 掲示された写真 |
火災鎮火後の消防の現場検証 | 解体前の清祓い |
氏子総集会で火災の状況報告 | 建設委員会の準備会 |
会議の様子 | 仮殿の地鎮祭・上棟式 |
神社見学会(計3箇所) | 仮殿への遷座祭 |
H21年度の例大祭(渡御は中止) | 神社本庁・神社庁からお見舞い |
●平成22年度(2010年)の写真
社殿の再建に着手したのは平成22年に入ってからであり、施工会社である八木建設での材木の刻み作業が進むと、3月14日には半原作業場で材木の確認会が行われた。6月に入ると基礎工事(べた基礎)が始まり、配筋が施されてコンクリートを流し込む枠が組まれ、7月に入ると建方が開始されて柱が立った。そして7月25日には上棟式が執り行われ、前日の24日には餅を切って50円玉と5円玉を袋詰めにし、宝くじの景品や御祝いのお返しの準備などが行われた。式典当日には屋上に破魔弓矢・五色の幟・神饌物・大工道具などが整えられると、博士杭までの寸法を尺杖を使って確認する「大量の儀」や、棟梁の合図で棟木を棟に曳き上げる「曳網の儀」、棟木を大槌で打って特定の位置に組納める「槌打の儀」などが行われた。
8月に入ると大棟が見えて屋根の全貌が明らかになり、同時期には社殿の左隣に社務所(授与所)の建方が開始された。社殿では照付ける日差しの下で銅屋根葺き作業が進められ、9月に入ると床板工事、10月には天井板や鬼・千木・鰹木の取り付け、そして内装の木工事が一段落すると内装の左官工事が始められた。11月に入ると工事も最終段階に入り、奥殿への階段の取り付け、社殿周辺の石工事、扉・引き戸などの建具の取り付け、境内を整地してビリ敷設などが進められた。社殿工事と平行して境内にはモミジや榊、花粉アレルギーにならない杉などの記念植樹、奥殿後方に石をならべるなどの外溝工事も氏子の方々が協力しながら進められた。
地鎮祭 | 材木確認会(半原作業場) |
基礎工事(配筋) | 建方開始 |
散餅作り(上棟式準備) | 上棟式の準備が整う |
工事の無事を祈念し祝詞奏上 | 総棟梁による玉串奉奠 |
尺杖を使った大量の儀 | 棟木を棟に曳き上げる引網の儀 |
棟木を組納める槌打の儀 | 上棟式には140人が参加 |
式典後の直会 | 屋根工事の様子 |
授与所の建方開始 | 木彫した(銅板で覆う前の)鬼板 |
照付ける日差しの下で | 銅屋根葺き作業が進む |
床板工事(ベニア板で養生) | 天井板取り付け |
鬼・千木・鰹木取り付け | 内装左官工事 |
記念植樹(モミジ・榊・杉など) | 奥殿階段の取付 |
十万石の設置(石工事) | 外溝工事 |
建具取付工事(引き具など) | 整地後にビリ施設 |
植樹したモミジが色付く | 擬玉珠取付(装飾金具など) |
奥殿扉・装飾金具の取付 | 完成確認・引渡し |
ここからは遷座祭の様子 | 松明を先頭に御霊が |
社殿へと | 運ばれていく |
完成した新社殿で | 遷座祭の神事が執り行われる |
狛犬設置(岡崎から取寄) | 感謝祭が新社殿で初の行事 |
消失した茅の輪を再作 | 年越しの大祓が執り行われる |
大祓に引き続き注連縄作り | 完成した注連縄を取り付ける |
完成した社殿 | 以上が全ての写真 |
12月に入ると欄干部では擬宝珠などの装飾金具の取り付け、社殿内でも床の養生が撤去されると奥殿の扉、装飾金具の取り付けなどが行われ、12月3日に引き渡し確認会を行って各設備の説明や動作確認の後、書類や鍵の引き渡しが完了した。そして12月6日には完成した社殿へ御神体を遷す「遷座祭」が執り行われ、松明を先頭に社殿へと御霊が運ばれて行った。その後は岡崎から取り寄せた狛犬の設置作業を終え、12月12日には年越しの大祓や氏子有志による注連縄作り、新社殿で初めての年中行事となる感謝祭が執り行われた。また、同日には焼失した茅の輪を作り直し、一抱えある茅の束を10束ほど刈り取り、パイプで作った芯の周りに針金で止めて形を作った。
以上のように北高森の住民や役員などの努力の結果、さまざまな困難を乗り越え、社殿焼失からおよそ1年10ヶ月の期間で新社殿の完成に至った。復興に向けた作業は「できる所は自分たちで」と氏子らが協力して、少しずつ作業を進めたという。
新社殿
新しい社殿は旧社殿とほぼ同じ規模で、新たに社務所が新設された。
拝殿 | 本殿・幣殿 |
狛犬 | 狛犬 |
社務所 | 縁起 |
絵馬 | 高森神社復興記念碑 |
高森神社復興ご造営記念樹 | 境内裏手に植えられた樹木 |
式典準備〜奉納太鼓
高森神社では復興を記念して2月19日(土)に「高森神社復興ご造営記念式典」が催され、朝から式典の準備が進められた。おおよその準備が整うと地元の太鼓保存会である北栄会により、10時40分から10分間ほど奉納太鼓が披露された。
高森児童館では受付の準備 | 入口にはH22年に新調された幟 |
境内には式典の為に | テントが設置 |
祝宴の為にテーブルを設置 | 社殿前では記念撮影 |
神楽殿からは太鼓の音が | 締め太鼓を張っています |
締め終わると | 太鼓を手渡し |
社務所横まで | 運んでいく |
社殿内には椅子が並び | 境内入口に看板が立てられる |
児童館前の受付では | 掲示する半紙への記入作業 |
その半紙を掲示板へ貼り付ける | 私のも貼っていただけました |
新社殿には参拝客が | その横で太鼓の準備が始まる |
四角い土台に棒を立て | 太鼓保存会の幕を張る |
境内にみずほ野のワゴンが到着 | 食器や料理が運ばれ |
テント下のテーブルに並べていく | 太鼓保存会は幕張りを終え |
大太鼓を柱にくくり付ける | 大太鼓に続いて締太鼓 |
金属性のチェーンを使って | 柱のフックに掛けていく |
準備が整うと | 軽く叩いて音の確認 |
ここで本日神楽を奉納する | 相模里神楽の垣澤社中が到着 |
提灯を拝殿の両脇に | 設置していく |
叩き手が揃うと放送が入り | 奉納太鼓が始まる |
境内に鳴り響く囃子太鼓 | 10分程で演奏は終了 |
神事
社殿内での神事は11時頃から1時間ほど執り行われ、式次第は「修祓」・「祭主一拝」・「開扉」・「献饌」・「祝詞奏上」・「神前の舞」・「玉串奉奠」・「一拝」の順で進められていく。神前の舞では記念式典の祝宴で神楽を奉納する垣澤社中により奉納之舞が披露され、これは神楽の基本的な七座の舞の一座で、素面で天下泰平と無病息災を祈る舞である。
境内には神事の出席者や | 垣澤社中が集り |
開始5分前になると | 赤い敷物が準備される |
奥から高森神社の宮司が | 挨拶をしながら姿を現す |
境内を横切り | 社殿の中へ |
続いて垣澤社中が | 社殿へ向かう |
そして来賓や | 地元の代表者などが続く |
一行は次々と社殿の中へ入り | 用意された椅子に着席していく |
宮司は左奥へ座り | 全員が着席すると |
太鼓の合図で | 神事が始まる |
まず始めは修祓 | 神職が大麻を手に取り |
祭壇近辺をお祓い | 続いて左手の宮司や神職を祓う |
右手に移動し来賓をお祓い | 左側の垣澤社中も祓う |
出席者もお祓いを受けると | 神職は境内へ向かう |
テント下の参列者全員をお祓い | 穢れを取りさらうと |
社殿へ戻り大麻を戻す | 左手前には進行役がアナウンス |
次に宮司が祭壇前へ進み | 祭主一拝 |
出席者は一拝を済ませると | 着席していく |
右手の雅楽奏者が演奏を始め | 宮司と神職が祭壇へ向かう |
宮司が奥階段を上がり | 扉の前に座ると |
扉を開け | 御翠簾を巻き上げる |
開扉が終わると | 階段を降り |
宮司が着席すると | 神職が立ち上がり |
献饌が執り行われる | 最初に御神酒を手渡し |
祭壇へ供えて | 引き返す |
続いて鏡餅を受け取り | 祭壇へ供える |
奥から運ばれる神饌を | 次々と供えていく |
献饌が終わると宮司は祭壇へ | 参列者は頭を下げ |
祝詞が奏上される | 祝詞奏上が終わると |
垣澤社中の一人が立ち上がり | 神前へ向かう |
祭壇に御幣と鈴を置き | 引き返す |
続いて踊り手が立ち上がり | 祭壇へ向かっていく |
神前で一拝し | 御幣を手にして祭壇を祓う |
太鼓や笛で演奏が入ると | 鈴を持って立ち上がる |
神前で天下泰平と無病息災を | 祈る舞を奉納 |
ゆっくりと旋回しながら | 5分ほど舞うと |
着席して御幣と鈴を戻し | 神前での舞を終える |
御幣と鈴を祭壇から下げ | 元の位置へ着席 |
続いて宮司に榊が手渡され | ここからは玉串奉奠 |
大山阿夫利神社の宮司が | 2番目に玉串を奉奠 |
神職から来賓に玉串が手渡され | 1人ずつ順番に奉奠していく |
神職が台を運び | 来賓の前へ供える |
右奥では雅楽が奏でられ | 榊の束が置かれている |
後方の来賓は3名程でまとまり | 玉串を奉奠していく |
拝殿内で玉串奉奠が終わると | 境内側の参列者が社殿へ向い |
二拝 | 二拍手 |
一拝で玉串奉奠が終了 | 最後に拝殿内の来賓が起立 |
宮司と共に一拝し | 着席 |
太鼓が神事の終わりを告げ | 来賓は席を立つ |
宮司を先頭に境内へ降り | 式典会場へ向かう |
記念式典
12時頃に社殿内での神事が終わると場所を境内のテントへ移し、12時10分頃から記念式典が執り行われた。式典は主催者代表の挨拶から始まり、施工業者である八木建設への感謝状贈呈や鏡抜きなどが行われた後、乾杯をして祝宴の時間となった。祝宴では相模里神楽の垣澤社中による神楽の奉納を鑑賞しながら、用意された料理で昼食をとった。
司会は元NHKのアナウンサー | まず主催者代表として |
高森神社の宮司と | 同責任総代が続けて挨拶 |
新社殿を建築した八木建設に | 宮司から感謝状が贈呈される |
続いて来賓祝辞として | 大山阿夫利神社の宮司と |
四之宮前鳥神社の宮司が挨拶 | 式典も後半に差し掛かり |
テント裏から酒樽(菰樽)や | 酒枡が運ばれる |
台の上に酒樽を置き | 鏡開き(鏡抜き)の準備が整う |
代表者が6名が酒樽の蓋を | 木槌で割って開封 |
酒枡に清酒を酌み | 会場でも乾杯の準備 |
準備が整うと来賓中の | 宮司が代表で乾杯の挨拶 |
独特な音頭で乾杯し | 拍手が沸き起こる |
用意された料理を頂き | ここからは祝宴の時間 |
食事を始めてまもなくすると | 垣澤社中からアナウンスが入り |
囃子が奏でられると | 面を被った踊り手が |
廻廊を踊りながら登場 | 観客が社殿前へ集り始める |
演目の第一幕は | 寿式三番叟付五人囃子 |
バチを持つ道化(べろ)を先頭に | 笛の道化(ひょっとこ)が続き |
鼓役の岡目(おかめ)を挟んで | 鉦を手にした道化(一文字)と |
拍子木を持った道化(えへん)の | 五人囃子が廻廊から登場 |
次々と拝殿へ上がり | 踊りながらゆっくりと |
拝殿内を回り | おかめを中心に奥側へ座る |
五人囃子に合わせて | 踊り手が中央で舞う |
踊りが終わると一礼し | 五人囃子は踊りながら |
次々と拝殿を | 後にする |
廻廊を廻り | 退場していく |
最後に踊り手が | 拝殿を出ると |
観客に一礼をし | 廻廊を廻って退場していく |
第一幕が終わり次の第二幕は | 休憩を挟んで天之磐扉 |
神楽は第一幕の「寿式三番叟付五人囃子(ことぶきしきさんばそうづけごにんばやし)」と、第二幕の「天之磐扉(あまのいわと)」が休憩を挟んで奉納され、最後に閉会となって記念式典は終了となった。
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