大庭おおば

大庭神社

  『延喜式』の神名帳に載る相模国高座郡六座のうちの「大庭(おおば)神社」は、藤沢市大字大庭に鎮座
  本殿(間口二間・奥行一間)と拝殿(間口三間・奥行二間)はいずれも銅葺き屋根で、拝殿には向拝や廻り縁もある。境内には享保年間(1716〜35年)の刻のある釣鐘のあった鐘楼もある。
  当社背後の北側にある参道を降りると「成就院」という真言宗の寺院があり、明治維新の神仏分離のときまではこの寺が大庭神社の別当寺であった。天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると成就院は「稲荷山」と号し、愛染王を本尊としている。開基を山名伊豆守と称し、文和3年(1353年)に亡くなったと伝えている。

大庭神社社号標
鳥居由緒
石段境内中腹
鳥居(柱)鳥居(笠木・高木)
鐘楼石碑
燈籠石碑
手水舎石碑
拝殿神額
本殿境内

  大庭神社の旧蹟といわれるところが別の場所にあり、それは「台(だい)ヶ谷戸(やと)」と称するところの小高い丘の上である。

大庭神社境内入口
大庭神社舊趾石碑鳥居
石段石碑
社殿境内

囃子



神輿

  



祭神

  



例大祭

  9月13日



大庭

  大庭部落は『和名抄』に載せられた高座郡大庭郷の原村で、きわめて古い村落である。中世には「大庭庄(おおばのしょう)」ならびに「大庭御厨(みくり)」の中心地であったが、近世ではずっと「大庭村」と称していた。江戸時代の大庭村は東西三十町(約3.3km)・南北二十三町(2.5km)あり、東は旧藤沢宿および鵠沼(くげぬま)・羽鳥(はどり)の旧二村、西は堤・遠藤の旧二村、南は辻堂・赤羽根の旧二村、北は旧石川村と藤沢宿であったが、今日の部落の境界もまず変化はないものと思われる。
  明治22年(1889年)に町村制が設けられたときに「羽鳥(はどり)・「辻堂」などの諸村とともに「明治村」となり、さらに昭和15年(1940年)に「藤沢市」に市制が敷かれたときに大庭部落も藤沢市に編入された。



  




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