田県たがた

田縣神社

  「田縣(たがた)神社」は五穀豊穣の神である「御歳神(ミトシノカミ)」と子孫繁栄の神である「玉姫命(タマヒメノミコト)」の二柱を祀り、世に名高い小牧長久手の合戦に際し、豊臣秀吉が前線の砦を築いた久保山の西麓の俗称「縣(あがた)の森」に鎮座している。
  創建年代は詳らかではないが、延長5年(927年)に完成した『延喜式』には「尾張国 丹羽郡 田縣神社」と記され、貞治3年(1364年)の『尾張国内神名牒』にも「従三位上 田方天神」とあり、古くから格式の高い神社であったことが伺える。

田縣神社社号柱
鳥居手水舎
拝殿本殿
由緒斎館
奥宮の鳥居絵馬縣け
奥宮鈴も男性の陰茎
狛犬狛犬
社殿内には様々な男茎型(おわせがた)が奉納
恋愛・子宝・安産・縁結び夫婦円満・商売繁盛・厄除開運
珍宝窟どこもかしこも男茎型
他にも様々な石の男茎型が奉納
授与所・社務所休憩所・豊年祭写真展示場
藤棚
車祓い所境内

御輿

  田縣神社の御輿には「鳳輦(ほうれん)」・「御前御輿(ごぜんみこし)」・「陽物御輿(ようぶつみこし)」という3種類がある。 鳳輦とは当社の祭神「御歳神」の御神像を御輿に納めた御輿、御前御輿とは祭神「玉姫命」の背君である「建稲種尊」の御神像を御輿に納めた神輿である。陽物御輿はお供え物の「大男茎形(おおおわせがた)」を御輿に納めたもので、御輿のみの重量は約100kg、木曽檜で造られた陽物の大男茎形(直径約50〜60cm、長さ約2m50cm)の重量は約250〜300kgである。

鳳輦御前御輿
陽物御輿


豊年祭

  田縣神社では毎年3月15日に「豊年祭(ほうねんまつり)」が行われ、平成28年(2016年)3月24日に「田縣神社豊年祭の御輿行列(お練り)」が小牧市の無形民俗文化財に指定されている。この祭は直径60cm・長さ2m余りの大男茎形(男性の性器)を毎年新しく檜で作成し、それを厄男達が御輿に担ぎ、御旅所から行列をなして当社に奉納し、五穀豊穣・万物育成・子孫繁栄を祈願する祭である。また、五つの小ぶりな男根をかたどったもの(男径形)を五人衆と呼ばれる5人の巫女たちが抱えて練り歩き、それに触れると「子どもを授かる」と言われている。
  豊年祭は尾張国の学者(地誌家・郷土史家)であった津田正生(つだまさなり)が著した、文化13年(1816年)成立の『尾張国地名考』に江戸時代の祭の様子が記録されている。それによると祭は正月15日に行われ、前日には神宮寺である久保寺で祈念穀の札をまとめて村中に配り、田毎に水口を祭る。また、男茎形(おわせがた)を作る。祭当日は久保寺で富くじがあり、久保寺から榊・神酒神供・本地仏(将軍地蔵)・藁人形の座像(裃、太刀を帯び、一尺八寸ほどの木製で朱色の大男根が付き、若者2,3人で担ぎ上げる)の順に持ち出され、田方の森(田縣神社)まで「於保辮能固(おおへのこ)、縣の森の於保辮能固」と換叫しながら練り歩く。神社に到着後、社内に本地仏・藁人形を入れ、神酒神供を供えて神拝するとある。
  現在は『尾張国地名考』に記録された当時とは、執り行われる日や有り様が若干変化している。また、明治維新以降は神仏分離により行列の出発地(御旅所)が久保寺に代わり、一年交代で久保一色の氏神である神明社と熊野社となっている。しかし、田縣神社まで男茎形を担いで練り歩き、神社に供えるという形態を伝える祭として貴重であり、種もみを仏寺から神社へ地域を練り歩いて手渡すという古い神事の形態を伝えるこの祭は文化財として意味のあるものと考えられるという理由から、御旅所を出発して男茎形(現在は大男茎形)が田縣神社に奉納されるまでの御輿行列と、その出発前に行われる御前祭(ごぜんさい)を無形民俗文化財として指定されている。

解説看板境内で差し上げられる陽物御輿


籤取式

  「籤取式(くじとりしき)」は豊年祭に先だって当日奉仕する五人衆と綱持を決定する儀式で、田縣神社本殿に斎行される。心身を清めた宮司が神前にて籤(くじ)を引き、御神意をうかがい、五人衆5名と綱持若干名が厳粛かつ公正に選出される(全員女性)。



斧入祭

  「斧入祭(おのいれさい)」は豊年祭に先立って執り行われるこの祭りは、豊年祭にお供えする大男茎形(おおおわせがた)を彫り上げる最初の神事である。使用される原木はその年々により若干の相違はあるが、長さ2m50cm、直径50〜60cm、重量300kg程の樹齢200年から250年の木曽檜(きそひのき)である。3月3日当日に役員をはじめ奉製に従事される者、御輿の担ぎ手である42歳の厄男の代表者達および五人衆(男茎形を持つ女性)と綱持が参列して、田縣神社境内にて神事が行われる。


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