前高森まえたかもり

八幡神社

  「八幡神社」は前高森の鎮守で、祭神は「誉田別命(ほんだわけのみこと)」である。建仁年間(1201〜03年)に糟屋有秀草創。承応2年(1653年)8月に細野三郎兵ヱ、黒川兵右エ門等が現地に社殿を建立した。その後、寛文・延宝・元禄・宝永・享保・宝暦等の年間、或は郷内の安全を祈り社殿の改修を行った記録がある。天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によれば高森村は北高森と前高森に2分されており、前高森の鎮守は「若宮八幡宮」と称していた。明治6年7月に村社となった。
  旧社殿は弘化2年(1845年)8月に妻木主計頭、笹子条作、茂田与左ヱ門ならびに総村中にて改築したものであった。平成18年(2006年)12月に成瀬第二特定土地区画整理事業により、現在の位置に神社が移設竣工された。

八幡神社社号柱
鳥居鐘楼
拝殿幣殿・覆殿
太鼓の承伝について石祠など
境内前高森公民館


例大祭

  本祭の祭日は『風土記稿』によると旧暦の8月7日で、明治20年(1887年)の『下糟屋村外六ケ村地誌』によると10月6日になっている。その後は4月17日に変わり、現在は4月第3日曜日に行われている。昭和30年頃までヨミヤに幟を立て、神社の清掃や注連縄張り、太鼓の屋台の飾り付けなどをして、夜は義太夫や神楽を楽しんだ。また、昔は清酒を買うお金がなく、どぶろくを造って持ち寄ったという。現在の宵宮は太鼓保存会の準備が中心に行われる。
  大祭当日は伊勢原大神宮の宮司により9時から式典が執り行われ、宮出しは10時頃になる。巡行途中は休憩場所で子供達にお菓子やジュース、アイス等を配り、お昼は神社に戻らずに巡幸途中にある民家の庭を借りて昼食を取り、14時30分頃に宮入りをする。宮入り後は片付けをし、一週間後の土曜日には公民館で反省会が行われる。

式典お祓い(公民館前)
休憩(成瀬公民館前)アイスを配る(成瀬幼稚園前)
民家の庭を借りて昼食空で泳ぐ鯉幟

囃子

  村の祭礼は神霊を招き迎えて、これに供献侍坐しそれを慰め和ませんとするため太鼓など古くから用いられた。
  当地区の太鼓は悪霊や敵を避けるため、または反対に精霊を活発にするための「祭はやし」、舞や歌を高調させるための「宮聖天」、芝居や神楽などの間を持たせる「待聖天」、それぞれのつなぎとして「きざみ」が用いられた。現在は屋台のみが叩かれる。
  前高森太鼓保存会は昭和51年(1976年)に発足し、太鼓の革は三丁掛けを使用している。練習は宵宮前の5日間(連続ではない)に公民館で行い、小中学生を中心に太鼓を叩く。太鼓は一カラのみなので、練習で順番待ちをしている子供はタイヤを叩いて練習する。また、前高森太鼓保存会は伊勢原観光道灌まつりに参加する。

前高森の山車神輿と共に巡幸
叩き手は小中学生花山車も出る

  昔は太鼓が盛んで、他の地区で祭りがある時は花を掛けて叩かせてもらったという。遠いところでは東大竹三ノ宮まで出向いたという。また、昔は笛があったようだが、現在は伝承されていない。



神輿

  子供神輿は昭和50年代に地元の大工によって製作、寄付された。大祭当日は神輿を台車に載せて、子供達の「わっしょい」という威勢の良い掛け声と共に、前高森地区を曳いて回る。

子供神輿神輿は台車に載せる
神輿渡御大人が引張って速度調整

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