上愛甲
神明神社
旧社地は東名高速道路にかかる愛甲橋東側であったが、東名高速道路の建設により現在地に遷座した。現在の社地は上愛甲公民館の敷地にあり、愛甲三郎季隆の館跡といわれる場所の一角に遷座している。境内の館跡にあった「甲(かぶと)稲荷社」も移された。
天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると、「神明社」は「宝蔵院」持ちであった。
神明神社 | 鳥居・社殿 |
由緒 | 甲稲荷社 |
愛甲三郎館跡 | 上愛甲自治会館 |
囃子
上愛甲の太鼓は上愛甲囃子保存会によって伝承されており、昭和30年ぐらいに伊勢原市の三ノ宮へ教わりに行ったのが始まりではないかと伝えられている。「ハヤシ」はコバチなしとコバチを入れる叩き方の二通りがあり、コバチを入れない叩き方が正調であるという。「ミヤショウデン」は神社へ戻るときの叩き方で、神社境内での演奏でも最後にミヤショウデンを叩いてからハヤシへつなげる。上愛甲では三ノ宮だけではなく他所の太鼓を真似ていろいろな曲を叩いており、神明社の例祭ではこれらのいろいろな曲を披露している。
これとは別に『厚木の民俗U―祭礼行事―』での記述では、「オハヤシは上古沢の兄弟の人が師匠として来て、太鼓を子供達に教え、今も子供会がやっている。この2人の師匠は太鼓が非常に上手かったという。」という記述がある。
神輿
神輿は平成に入ってから購入した
例大祭
昔は7月21日であったが、今はこの日に近い日曜日に行う。宿の人はオクマサンを祀るが、上愛甲の人はオシンメイサンに力を入れた。一時はオクマサンよりオシンメイサンの方が賑やかだった。昔(旧社地)は神楽殿があったので、前日掃除をした。幟はない。
大祭当日は今も昔も神主(毛利氏)がお祓いをする。昔は御神楽があったが、今はカラオケが行われる。また、昔はお面、金魚すくい、綿あめなどの露店が多く出たが今は出ない。
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