上山下
八幡神社
応神天皇(誉田別命)を祭神とする「八幡神社」は、弘安年間(1276〜87年)に高麗神社より勧請されたと伝えられる。はじめは武神として崇められた八幡神も、やがて村の鎮守として農業神的な性格と村人の除災招福を願う神として、その神威は高まっていた。応永2年(1390年)には「住吉社(例祭6月晦日)」を摂社として祀り、村の鎮護とともに八幡神も家内安全から厄除・海運また安産の神としてますます村人の篤い信仰を集めるようになった。天正19年(1591年)の社領一石の御朱印に続き、江戸期慶安2年(1648年)にも一石八斗の加増があった。
天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると小名上山下の鎮守として「八幡宮」の名があり、末社は「山王」であった。また、上記住吉社の末社として「稲荷」とある。
鋳造された鐘は昭和16年(1941年)に第二次世界大戦により国に提供しその音が途絶えていたが、平成5年(1993年)に地域の繁栄を祈念して大鳥居・鐘楼および梵鐘が完成し、今日に至っている。
八幡神社 | 神社由緒 |
鳥居 | 鳥居 |
鐘楼 | |
拝殿 | 覆殿 |
水鉢 | |
境内 |
例大祭
例祭日は4月15日であったが、その後は4月の第2土曜日に変わった。