平塚市の祭礼
平塚市
現在の「平塚市」は江戸時代の54ヶ宿村が明治22年(1889年)の町村制の施行によって12町村となり、これらが昭和30年(1955年)前後に合併して成立した。町村名でいえば東海道の宿駅の一つであった「平塚宿」と「平塚新宿」が明治22年に合併してできた「平塚町」に、周辺部の「大野村(後の大野町)」・「豊田村(後に大野町に合併)」・「神田村」・「城島村」・「岡崎村(一部は伊勢原市へ合併)」・「金田村」・「金目村」・「旭村」・「土沢村(土屋村と上・下吉沢村)」が吸収合併される形でできあったといえる。
ひとくちに明治の町村制や昭和30年前後の町村合併といってもその経緯は単純ではないが、それまで独立した自治体であった各宿や村はその後も大字として存続している。昭和40年(1965年)代以降の住宅地増加に伴って新しい住居表示も行われ、このときに大字名がなくなってしまった地区もあるが、基本的には江戸時代の宿村名が現在も引き継がれている。また、大野・豊田・神田・城島・金田・岡崎・金目・土沢・旭日(小中・山背)といった旧町村名は、小・中学校名や学区、市立公民館、自治会等の各種団体組織などに引き継がれ、平塚市への合併と共に消えてなくなったわけではない。このように、現在の市域は江戸時代に形づくられた宿村や、明治時代なかばから太平洋戦争後まで続いた町村の名や領域を引き継いで構成されている。
平塚市域は地形的な条件の上からみていくと、おおむね4つの立地に分けることができる。まず、生産活動を指標にみていくと、旧須馬村や平塚町のように相模湾に面して漁業と畑作を中心とする地区。大野地区のように砂丘上にあって畑作を中心とする地区。神田・城島・豊田・金田・金目・旭地区のように金目川や渋田川・相模川沿岸にあって、広い水田地帯をもって稲作を中心とする地区。そして、旭地区西部や土沢地区のように台地・丘陵地にあって畑作を中心とする地区である。さらに、これらに加えて旧平塚宿は江戸時代には東海道の1つの宿駅であったが、明治末・大正初期生まれの古老の世代にあっては農業を営む家が多く、農村的な景観を併せ持っていた。
旭地区
旧旭村は現在の大字区域の「徳延」・「纏」・「河内」・「高村」・「根坂間」・「公所」・「日向丘」・「山下」・「高根」・「万田」・「出縄」を包括した地域である。大化の改新(646年)以降の郷制では、公所と根坂間が大住ノ郡片岡郷に属し、徳延・纏・河内が同郡川相郷に、高根・山下・万田・出縄が同郡高来郷にそれぞれ編入されていたと推定される。平安時代の旭地区は大住ノ郡片岡郷・川相郷・高来郷に含まれ、鎌倉時代に入ると旭地区の南は山下郷(山下・万田・高根・出縄・徳延・纏)と、北は坂間郷(根坂間・公所・河内)に分割された。江戸時代の旭地区においては11ヶ村の分村形態となり、「山下村」・「高根村(山下村から分村)」・「万田村」・「出縄村」・「根坂間村(元坂間村)」・「公所村(公所坂間村)」・「河内村(河内坂間村)」・「久松村」・「朝氏村(友牛村)」・「松延村」・「徳延村」となっていた。
明治9年(1876年)に松延村・友牛(朝氏)村・久松村が合併して「纏村」ができ、さらに明治22年(1889年)の町村制施行により根坂間村・公所村・河内村・徳延村とこの纏村の5ヶ村が合併し「小中村」となった。そして同年には山下村・高根村・万田村・出縄村の4ヶ村が合併して「山背(やましろ)村」となり、山背の名はこの地区が高麗山地の山背(やまうしろ)すなわち山の北側の意に因んだ。この2ヶ村は明治42年(1909年)4月1日に合併して「旭村」となり、「旭」の命名は山背村と小中村の各字数の合計である「九(4+5=9)」と「日」が組み合わさったもので、旭日昇天の願いが込められている。昭和28年(1953年)に町村合併促進法が施行され、翌昭和29年(1954年)7月15日に旭村は平塚市と合併した。昭和52年(1977年)には日本住宅公団の建設による「高村団地」の入居が始まり、新たに大字「高村」が誕生した。続いて山下に県営ならびに住宅供給公社による「山下団地」が建設され、さらに「日向丘」に大規模な分譲地が造成されるなど、丘陵地平野部が住宅地化しているのが現状である。
大野地区
旧大野町は現在の「東八幡」・「西八幡」・「四之宮」・「真土」・「中原上宿」・「中原下宿」・「東中原」・「新町」・「大原」・「中原」・「御殿」・「南原」を包含した地域である。永和4年(1378年)に日奉廣重は四宮庄の内の「今里」を鎌倉の浄光明寺領に寄進した。この「今里」は「真土」の古名であり新開地の意を含んでいるので、旧真土(新土)村の開拓が始まったのは鎌倉期末頃と考えられる。八幡は室町時代以前は前鳥庄に含まれていたが、相模国八幡宮の鎮座するところにより社名をもって地名となった。
明治22年(1889年)の町村制施行によって「四之宮村」・「真土村」・「八幡村」・「中原上宿村」・「中原下宿村」・「南原村」の6ヶ村と平塚駅飛地が合併して「大野村」となり、村名の「大野」は大きな野原を有するとの美称から生まれた。昭和19年(1944年)2月11日に大野村は町制を布き「大野町」となり、昭和28年(1953年)の町村合併促進法が公布されると、平塚市を中心に近接町村の合併の気運がとみに進んだ。これに先立ち大野町は中郡「豊田村」との単独合併を昭和31年(1956年)4月に実現し、さらに同年9月30日には「平塚市」に編入された。
金目・金田地区
●金目地区
旧「金目村」は現在の「真田」・「北金目」・「南金目」・「千須谷」・「片岡」・「広川」の各地区を包括した地域である。金目の地名は「金日(かなひ)」の転訛したものといい、金日は「金樋」から来たものともいわれている。また、金目は金目川の水利から起こった地名ともいわれ、金目地区の北西から南東へ蛇行しながら貫流する金目川は稲作を盛んにした反面、洪水の被害をたびたび起こしてきた。大化の改新(645年)以後の郷制によれば金目村の大磯丘陵に属する片岡と広川が「片岡郷」、同じく千頭谷と南金目の一部が「和田郷」、北金目台地の真田が「大服郷」、北金目と南金目の沖積低地を含む一部が「金目郷」とそれぞれ属していた。
明治4年(1871年)の廃藩置県には金目地区の旗本領は韮山県に属したが同年に足柄県に統合され、さらに同年に足柄県が廃されるに及び神奈川県へ移管された。この時、真田村・北金目村・南金目村は第22大区6小区に、広川村・片岡村・千須谷村は第22大区5小区にそれぞれ編入された。明治22年(1889年)の町村制施行により「北金目村」・「南金目村」・「広川村」・「片岡村」・「千須谷村」の各村が合併して「金目村」となったが、「真田村」は現在の秦野市である「落幡村」や「南矢名村」・「北矢名村」・「下大槻村」と合併して「大根村」となった。中郡大根村真田は昭和30年(1955年)に大根村から分離して昭和31年(1956年)4月に町村合併促進法により金目村に編入され、金目村は翌昭和32年(1957年)に平塚市と合併した。
●金田地区
金田地区は「入野」・「長持」・「入部」・「寺田縄」・「飯島」の大字から構成され、入野自治会・長瀬自治会・長持自治会・寺田縄自治会・飯島自治会の単位自治会を束ねる金田地区自治会連絡協議会が組織されている。なお、入部には人家はない。
金目地区の集落は鈴川と金目川の自然堤防上に発生したものと思われ、大化の郷制では「川相郷」に属していた。金目川は現在の流程とは異なり、飯島から金田地区内を北西から南東へ斜めに流れ、入野に至り鈴川に合流していた。従って金目川と鈴川の氾濫原を増大させ、後に大水田地帯を生んだ。鎌倉時代に入ると「長持郷」が新田氏の軍功により所領に加えられ、長持は当時「永用ノ郷」といわれ「永用」の転訛が「長持」になったという。江戸時代の宝永3年(1706年)以前の金目川は前述の通り、入野村の中ほどを貫流して東南方において鈴川と合流し、それから少し南方で玉川と合流していた。しかし、洪水の際は水位の高い金目川が水位の低い鈴川や玉川に逆流し、堤防を破潰して水害を頻発させていた。幕府は流域村々の請願を入れて金目川の改修に着手し、飯島村から長持村を経て南原村まで830間を直線的に掘割り、現在の流程となった。
明治4年(1871年)の廃藩置県により金田地区内の旗本領は韮山県、小田原藩領は小田原県、六浦藩領は六浦県に属したが同年に足柄県に統合され、明治9年(1876年)に足柄県が廃されるに及び神奈川県へ移管された。この時、長持村が第22大区5小区、入野・寺田縄・飯島の3村が第22大区6小区に編入された。明治22年(1899年)の町村制施行により、入野村・長持村・寺田縄村・飯島村・長持入部村が合併して「金田村」となり、村名の金田は水田の豊熟の金波にちなみ名付けたものといわれる。昭和31年(1956年)9月30日には町村合併促進法に基づき、金田村は平塚市と合併した。
神田・城島地区
●神田地区
旧「神田村」は現在の「大神」・「吉際」・「田村」・「横内」を含んだ地域である。大化改新(646年)以降の郷制で大神(吉際を含む)は大住ノ郡大上郷に、田村(横内を含む)は同郡埼取郷にそれぞれ属していたものと思われる。横内は中世以前に田村より分村し、吉際は中世になって大神より住民が西方の沼沢地を開拓して移住独立したとある。明治22年(1889年)の町村制施行により「大神村」・「吉際村」・「田村(横内は田村の小字)」は合併して「神田村」となり、この神田は大神と田村の合成の地名である。昭和31年(1956年)9月30日に神田村は町村合併促進法により「平塚市」と合併した。
●城島地区
神田村の西側に接していた旧城島村は現在の「城所」・「小鍋島」・「大島(枝大島)」・「下島」の地域である。大化改新以降後の郷制で城島は大住ノ郡仲島郷に属していたと考えら、この仲島郷は旧豊田村を包含する区域であった。徳川家康が関東入国の頃は城所村が旗本青山忠成に与えられたほか、下島村・大島村・小鍋島は直轄領であった。明治22年(1889年)の町村制施行により「城所村」・「大島村」・「小鍋島村」・「下島村」が合併して「城島村」となり、この「城島」は城所の「城」とその他3村の「島」の合成地名である。
土屋・吉沢地区
●土屋地区
旧土屋村は現在の「寺分」・「庶子分」・「惣領分」を包含した地域で、土屋の地名は寺分にある地下壙から転じた「土屋窪」から起こったといわれている。土屋地区は大化の改新(646年)以降の郷制で大住ノ郡和田郷に属していたと推定され、鎌倉時代に入ると土屋宗遠が土屋郷ほかの地の地頭となり「土屋郷」は「土屋庄」となった。更に建永元年(1206年)に定められた『建永式目』により、土屋庄は寺分・庶子分・惣領分に分割された。幕藩期から明治中期までは「土屋村」であった。
●吉沢地区
現在の吉沢地区は旧「上吉沢村」と旧「下吉沢村」を含んだ地域で、吉沢の地名の起こりは「橘沢」または「木津沢」の転訛であるというが、地形的に沢の多いところでもあるので地形名であると考えられる。大化の改新(646年)以降は土屋地区と同じ大住ノ郡和田郷に属しており、南北朝時代の観応(1350〜52年)以降に「橘沢(吉沢)郷」が起こり土屋郷から分郷した。吉沢は永正16年(1519年)頃に上・下の分割があったものと考えられ、天正18年(1590年)に徳川家康が関東に入国すると吉沢は徳川氏の直轄領となり、上吉沢村と下吉沢村が明確になった。
明治22年(1889年)の町村制施行により土屋村は上吉沢村・下吉沢村と合併して大住郡「土沢村」となり、明治29年(1906年)に中郡土沢村となった。さらに昭和31年(1956年)9月には町村合併促進法により平塚市と合併した。
豊田・岡崎地区
●豊田地区
旧豊田村は現在の「豊田本郷」・「豊田宮下」・「豊田小嶺」・「豊田打間木」・「豊田平等寺」・「南豊田」・「東豊田」・「北豊田」を含んだ地域である。明治22年(1889年)の町村制施行により、大住郡の「豊田本郷村」・「宮下村」・「小嶺村」・「平等寺村」・「打間木村」の5ヶ村が合併して大住郡豊田村となり、明治29年(1896年)に中郡豊田村となる。ちなみに『風土記稿』によると宮下村・小嶺村・平等寺村はもともと豊田本郷村の一部であったらしく、分村した時期は不明だが元禄図より村名が出現するとある。昭和31年(1956年)4月1日には町村合併促進法により、豊田村は隣の大野村と合併した。
●岡崎地区
岡崎村は現在の「岡崎」と「ふじみ野1〜2丁目」を包括した地域である。鎌倉時代の「岡崎庄」に含まれていた集落は現伊勢原市の「馬渡」と「大句」、現平塚市の「入山瀬」・「西海地」・「矢崎」・「大畑」・「丸島」であったと思われる。建保2年(1214年)に相模国大山寺の免田5町2反分として「丸島郷」が充てられた。明治22年(1889年)の町村制施行により、「馬渡村」・「大句村」・「西海地村」・「上入山瀬村」・「下入山瀬村」・「大畑村」・「丸島村」・「矢崎村」・「北大縄村」の9村が合併して大住郡「岡崎村」となり、明治29年(1906年)に中郡岡崎村と改称した。昭和31年(1956年)9月30日の町村合併促進法により岡崎村は、「大句」・「馬渡」地区が伊勢原町へ、残りが平塚市に編入された。昭和53年(1978年)になると大規模な団地「ふじみ野団地」が造成され、現在に至る。
平塚地区
平塚地区は現在の「唐ケ原」・「撫子原」・「虹ケ浜」・「花水台」・「黒部丘」・「菫平」・「龍城ケ丘」・「桃浜町」・「袖ケ浜」・「松風町」・「八重咲町」・「平塚」・「桜ケ丘」・「上平塚」・「中里」・「達上ケ丘」・「諏訪町」・「豊原町」・「富士見町」・「錦町」・「見附町」・「立野町」・「追分」・「大原」・「紅谷町」・「宝町」・「明石町」・「宮の前」・「浅間町」・「宮松町」・「西八幡の一部」・「老松町」・「馬入本町」・「八千代町」・「天沼」・「榎木町」・「中堂」・「堤町」・「長瀞?」・「須賀」・「高浜台」・「幸町」・「千石河岸」・「札場町」・「夕陽ケ丘」・「代官町」・「久領堤」を包括した地域である。これらの地域はかつて「平塚宿(本宿)」・「平塚新宿(新宿)」・「馬入」・「須賀」とされていたところを、新町名をもって付されたところである。大化の改新(646年)以降の郷制では旧市域の平塚・平塚新宿・須賀・馬入地区は「方見郷」に属していたと推測され、ちなみに「方見」は「潟辺(かたび)」の転訛で相模湾の沿岸地帯を指すといわれている。
「平塚宿」は慶長6年(1601年)に東海道の宿駅に制定され、慶安4年(1651年)には八幡村の分村である「八幡新宿村」を加宿した。この八幡新宿村は天正の頃は大住郡「八幡村」に属し徳川氏直轄領であったが、慶長の頃に分損して八幡新宿村となったものである。明暦元年(1655年)に八幡新宿は「平塚新宿」と改称し、明治5年(1872年)に宿駅伝馬制が廃止されると平塚宿は「平塚駅」と改称した。この平塚駅と平塚新宿は明治22年(1889年)4月に市町村制に基づき神奈川県大住郡「平塚町」となり、大字「平塚」・大字「平塚新宿」と呼ぶようになった。一方、同年4月1日に「須賀村」と「馬入村」が合併し地名を組み合わせて「須馬村」と称したが、昭和2年(1927年)に町制を施き「須馬町」となり、昭和4年(1929年)4月1日に平塚町と合併したので平塚町大字「須賀」・大字「馬入」となった。
平塚町は昭和7年(1932年)4月1日に神奈川県中郡から独立し、神奈川県のうち第4番目に市制を施行して「平塚市」となった。ちなみに1番目は横浜、2番目は横須賀、3番目は川崎である。
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | 出縄 | 粟津神社 | 出縄436 | 4/第2日 | 大1小1 | 1 | ||
2 | 上山下 | 八幡神社 | 山下401 | 4/15近日 | 小1 | 2 | ||
3 | 下山下 | 若宮八幡神社 | 山下198 | 4/第1土 | 小1 | 2 | ||
4 | 高根 | 岩戸分神社 | 高根116 | 4/第1日 | 小1 | 1 | ||
5 | 万田 | 愛宕神社 | 万田1131 | 4/第1日 | 大1小1 | 1 | ||
6 | 徳延 | 徳延神社 | 徳延369 | 4/第3土 | 2 | |||
7 | 根坂間 | 八剣神社 | 根坂間466 | 9/27近土 | 1 | |||
8 | 根坂間 | 八坂神社 | 根坂間404 | 7/15近日 | 大1小1 | 1 | ||
9 | 公所 | 公所神社 | 公所148 | 4/7近日 | 大1小1 | 1 | ||
10 | 河内 | 神明神社 | 河内146 | 10/第2日 | 小1 | 1 | ||
11 | 松延 | 松延神社 | 纏224 | 4/28近日 | 小2 | 2 | ||
12 | 友牛 | 八坂神社 | 纏553 | 4/28近日 | 小1 | 1 | ||
13 | 久松 | 纏神社 | 纏89 | 4/28近日 | 小1 | 1 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | 四之宮 | 前鳥神社 | 四之宮4-14-26 | 9/28 | 大1小3 | 1 | 前鳥囃子は平塚市重要文化財指定 | 08 |
2 | 四之宮 | 八坂神社 | 四之宮4-14-26 | 7/第2日 | 大2小3 | 1 | ||
3 | 真土 | 真土神社 | 東真土3-5-8 | 4/第2土 | 大1小1 | |||
4 | 中原 | 日枝神社 | 中原3-20-16 | 9/15直後日 | 大1(中1)小9 | 本5トラック4 | 08 | |
5 | 中原 | 東照権現社 | 中原3-20-16 | 4/17直後日 | 大1小7 | 3 | 09 | |
6 | 東真土 | 諏訪神社 | ||||||
7 | 南原 | 諏訪神社 | 南原2-16-10 | 9/10近土 | 小2 | 2 | ||
8 | 八幡 | 八坂神社 | 東八幡2-6-5 | 7/14近日 | 大1小5 | 2 | 09 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | 片岡 | 片岡神社 | 片岡1241 | 5/3 | 大1(中1)小2 | 2 | 08・09・19 | |
2 | 北金目 | 北金目神社 | 北金目1436 | 4/第3土 | 大1小3 | 3 | 24 | |
3 | 真田 | 真田神社 | 真田4 | 7/第2日 | 大1中1小1 | 1 | 眞田尊 | 08・12 |
4 | 千須谷 | 熊野神社 | 千須谷203 | 4/第1日 | 1 | |||
5 | 広川 | 八幡神社 | 広川618 | 4/上旬土 | 小1 | 1 | ||
6 | 南金目 | 南金目神社 | 南金目2416 | 10/第2日 | 大3小2 | 5 | 山車4基のみ宮入り | 17・18 |
7 | 飯島 | 八坂神社 | 飯島488 | 9/第2日 | 小1 | 1 | ||
8 | 入野 | 八坂神社 | 入野31 | 4/第1日 | 大1小1 | 2 | 神輿に文化9年再興の墨書 | 15 |
9 | 寺田縄 | 日枝神社 | 寺田縄1180 | 4/第1日 | 大1小1 | 2 | ||
10 | 長持 | 熊野神社 | 長持532 | 4/第1土 | 小1 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | 大神 | 寄木神社 | 大神2746 | 10/第1日 | 大1小1 | |||
2 | 田村 | 八坂神社 | 田村8-21-30 | 7/28直前日 | 大1小3 | 3 | 田村ばやしは平塚市重要文化財指定 | |
3 | 横内 | 御霊神社 | 横内(字中芝原)900 | 9/20近休日(第3日) | 大2小1 | 1 | 神輿は明治26年の明王太郎景元作 | 19 |
4 | 吉際 | 稲荷神社 | 吉際63 | 4/第3日 | 小1 | |||
5 | 大島 | 八幡神社 | 大島718 | 4/第3日 | 小1 | 2 | ||
6 | 城所 | 貴船神社 | 城所343 | 4/29 | 小1 | 2 | 09 | |
7 | 小鍋島 | 八幡神社 | 小鍋島965 | 4/第1日 | 小1 | 2 | ||
8 | 下島 | 八幡神社 | 下島626 | 3/13近土 | 1 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | 上惣領 | 愛宕神社 | 土屋3963 | 4/24近日 | 小1 | 1 | ||
2 | 早田 | 造化神社 | 土屋1958 | 4/第1日 | 小1 | 1 | ||
3 | 惣領分 | 八坂神社 | 土屋3100 | 4/第2日 | 大1 | 1 | ||
4 | 土屋 | 熊野神社 | 土屋227-1 | 9/最終日 | 大1小7 | 5(+1) | 隔年で巡行経路を反転 | 09 |
5 | 上吉沢 | 八剣神社 | 上吉沢758 | 10/第1日 | 3 | |||
6 | 上吉沢 | 八坂神社 | 上吉沢758 | 7/第3日 | 大1小1 | 1 | 台自治会館から出発 | 08 |
7 | 中吉沢 | 八坂神社 | 上吉沢758 | 7/第2土 | 大1小1 | 1 | 中吉沢自治会館から出発 | 08 |
8 | 下吉沢 | 八剣神社 | 下吉沢712 | 4/10近日 | 1 | |||
9 | 下吉沢 | 八坂神社 | 下吉沢712 | 7/第1土 | 大1小1 | 1 | 八坂神社は矢剣神社に合祀 | 08 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | 豊田 | 豊八幡神社 | 豊田宮下550-イ | 10/第1土 | 小9 | 8 | 8基の山車による競太鼓 | 12 |
2 | 岡崎 | 岡崎神社 | 岡崎3650 | 10/9 | 小5 | 5 | ||
3 | 丸島 | 駒形神社 | 岡崎2657 | 4/第2土 | 小1 | 1 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | 上平塚 | 八雲神社 | 中里138 | 7/25近日 | 大1小1 | 1 | 08 | |
2 | 諏訪町 | 諏訪部神社 | 諏訪町28-25 | 7/ | 小2 | |||
3 | なでしこ | 浜嶽神社 | 花水台30-6 | 8/第1日 | 大2小2 | |||
4 | 本宿 | 春日神社 | 平塚4-18-1 | 8/第1日と前日 | 大1 | |||
5 | 新宿・八幡・馬入 | 平塚八幡宮 | 浅間町1-6 | 8/15 | 大2小1 | 1 | 13 | |
6 | 新宿 | 若宮社 | 浅間町1-6 | 8/16 | 14 | |||
7 | 宝町 | 山神社 | 宝町9-21 | 5/第3日 | 大1小2 | 1 | ||
8 | 須賀 | 三嶋神社 | 夕陽60-27 | 7/20前後土日 | 大2小6樽1 | 2 | 09 | |
9 | 馬入 | 神明神社 | 中堂13-3 | 4/第2日 | 小2 | 1 | 市内で唯一の祗園ばやし |
祭名 | 開催地 | 住所 | 祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | ひらつか囃子太鼓 フェスティバル | 中央公民館・浅間緑地 | 追分1-20 | 3/中・下旬土 | ― | ― | 市外から参加あり | 09・10 |
2 | 土屋地区ふれあい夏まつり | 神奈川大学 | 8/ |
タイトル | 著者/編集 | 出版/発行 | 出版年 |
平塚の史跡と文化財めぐり | 平塚市文化財保護委員会 | 平塚市教育委員会 | 1969(昭44) |
新平塚風土記稿 | 高瀬慎吾 | 平塚市教育委員会 | 1970(昭45) |
平塚市文化財調査報告書 第10集 | 平塚市文化財保護委員会 | 平塚市教育委員会 | 1972(昭47) |
田村囃考 田村囃について | 高瀬慎吾 古尾谷正博 | 平塚市教育委員会 | 1972(昭47) |
石橋山合戦前後 | 中野敬次郎 | (株)名著出版 | 1976(昭51) |
田村ばやし | 田村ばやし保存会 | 同左 | 1977(昭52) |
家と村V -平塚市旧真田村- | 平塚市博物館 | 同左 | 1980(昭55) |
平塚市文化財調査報告書 第15集 | 平塚市文化財保護委員会 | 平塚市教育委員会 | 1980(昭55) |
平塚市史民俗調査報告書1 -神田・城島- | 平塚市市史編さん課 | 同左 | 1981(昭56) |
平塚市史民俗調査報告書2 -豊田・岡崎- | 平塚市市史編さん課 | 同左 | 1982(昭57) |
平塚市文化財調査報告書 第17集 (平塚勢誌) | 高瀬槇吾ほか | 今井政兵衛 | 1982(昭57) |
平塚市史民俗調査報告書3 -土屋・吉沢- | 平塚市市史編さん課 | 同左 | 1983(昭58) |
平塚市史民俗調査報告書4 -金目・金田- | 平塚市博物館 | 同左 | 1984(昭59) |
平塚市史民俗調査報告書5 -旭- | 平塚市博物館 | 同左 | 1986(昭61) |
平塚市文化財調査報告書 第21集 | 平塚市文化財保護委員会 | 平塚市教育委員会 | 1986(昭61) |
前鳥囃子と笛の伝承者 | 相原一郎 | 1986(昭61) | |
平塚市史民俗調査報告書6 -大野- | 平塚市博物館 | 同左 | 1987(昭62) |
平塚市史民俗調査報告書7 -平塚(旧市域)- | 平塚市博物館 | 同左 | 1988(昭63) |
馬入祭 木遣りと社儀理 | 相原一郎 | 平塚市教育委員会 | 1990(平2) |
平塚の石仏 11 | 平塚市博物館 | 平塚市博物館 | 1991(平3) |
平塚市文化財調査報告書 第27集 | 平塚市文化財保護委員会 | 平塚市教育委員会 | 1992(平4) |
平塚市無形文化財・前鳥囃子(ビデオテープ) | 平塚市文化財保護委員会 | 平塚市教育委員会 | 1992(平4) |
平塚市史12 別編 民俗 | 平塚市博物館市史編さん係 | 平塚市 | 1993(平5) |
平塚市文化財調査報告書 第28集 | 平塚市文化財保護委員会 | 平塚市教育委員会 | 1993(平5) |
図解 平塚の歴史<上巻> | 今泉義廣(監修) | (株)郷土出版社 | 1994(平6) |
平塚市文化財調査報告書 第32集 | 平塚市教育委員会 | 同左 | 1997(平9) |
ふるさと再発見 〜金目・岡崎を訪ねて〜 | 平塚市観光協会 | 同左 | 1997(平9) |
平塚市文化財調査報告書 第33集 | 平塚市教育委員会 | 同左 | 1998(平10) |
ふるさと再発見 〜神田・城島地区を訪ねて〜 | 平塚市観光協会 | 同左 | 1998(平10) |
平塚市博物館資料No.47 おしゃもっつぁん | 平塚市博物館 | 同左 | 1998(平10) |
土屋郷土史 | ささりんどうクラブ | 同左 | 1999(平11) |
平塚市地名誌辞典―大字・小字・新町名・地域名― | 小川治良 | 同左 | 2000(平12) |
土屋郷土史副読本 ぶらり土屋の里めぐり | ささりんどうクラブ | 同左 | 2001(平13) |
平塚市文化財調査報告書 第34集 | 平塚市教育委員会 | 同左 | 2003(平15) |
平塚の石仏 改訂版 4金目地区編 | 平塚市博物館 | 石仏を調べる会 | 2003(平15) |
平塚市文化財調査報告書 第34集 | 平塚市教育委員会 | 同左 | 2003(平15) |
神仏と祭りの伝承1 -神田・城島- | 平塚市博物館 | 平塚市博物館 | 2004(平16) |
平塚市の地名と伝承 | 小川治良 | 大原公民館 | 2004(平16) |
平塚のお祭り-その伝統と創造- | 浜野達也 | 平塚市博物館 | 2005(平17) |
近世平塚への招待-館蔵資料でみる23題- | 早田旅人ほか | 平塚市博物館 | 2005(平17) |
金目は語る | 金目教親会 | 同左 | 2005(平17) |
前鳥神社ものがたり | 今泉義廣/神代春彦 | 前鳥神社社務所 | 2006(平18) |
大神・至誠団の歴史 | 至誠団 | 同左 | 2006(平18) |
相州 土屋の里うた 唄と甚句と民謡と | 関野勝久 | − | 2006(平18) |
平塚の囃子太鼓 城所太鼓保存会(DVD) | 平塚市教育委員会? | 浜野達也(監修) | 2006(平18)? |
田村 八坂神社 社史 | 落合良延ほか | 宗教法人 八坂神社 | 2007(平19) |
かなひ(金目)の歴史 ガイドブック | 金目まるごと博物館 歴史・文化部会 | 金目まるごと博物館 | 2008(平20) |
広川の歴史 近村とのかかわりと共に | 広川歴史研究会 | 同左 | 2008(平20) |
30年のあゆみ 発足三十周年記念誌 | 三十周年記念事業記念誌部 | 日枝神社神輿保存会 | 2008(平20) |
裏宿はやしだいこ | 裏宿町内会 裏宿太鼓保存会 | 同左 | 2008(平20) |
馬入の歴史 | 馬入の歴史再発見事業活動委員会 | 同左 | 2008(平20) |
神奈川の宿場を歩く | 神奈川東海道ウォークガイドの会 | 神奈川新聞社 | 2008(平20) |
四之宮の歴史再発見 広報No.6 | 田邊純夫(前鳥神社囃子太鼓保存会副会長) | 四之宮の歴史再発見事業活動委員会 | 2008(平20) |
第2回ひらつか囃子太鼓フェスティバル(パンフレット) | ひらつか囃子太鼓フェスティバル実行委員会 | 同左 | 2009(平21) |
須賀の歴史・文化 須賀ものがたり | 須賀の歴史再発見事業活動委員会 | 同左 | 2009(平21) |
平塚の石仏 改訂版 6神田地区編 | 石仏を調べる会 | 平塚市博物館 | 2009(平21) |
平塚の石仏 改訂版 8金田地区編 | 石仏を調べる会 | 平塚市博物館 | 2013(平25) |
わが住む里の江戸時代―かねだ― | 金田地区地域史研究会 | 金田村史をつくる会 | 2017(平29) |
我が住むさと―金田のあゆみ― | 金田地区地域史研究会 | 金田村史をつくる会 | 2017(平29) |
平塚市史13上 別編 寺社(1) | 平塚市博物館市史編さん担当 | 平塚市 | 2018(平30) |
平塚における地名の由来について | 平塚市市民部地域づくり課 | ? | |
平塚紀行「響き 平塚の太鼓」(VHS) | ? |
※上記の文献は他のページでも引用していることがあります。