大島
神社の紹介
「八幡神社」かつては「八幡社」と称した。
八幡神社 | 鳥居 |
水神 | |
水鉢 | |
拝殿 | 幣殿・本殿 |
大島自治会館 | 境内 |
例大祭
天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると祭礼日は旧暦の8月18日であったが、その後は9月18から4月18日と変遷し、現在は4月第3日曜日である。
大祭当日は神社境内に幟が立てられ、神主を呼んで祝詞をあげてもらう。
天王さん
大島では八幡神社の境内に八坂神社を祀っていて、「天王さん」と呼んでいる。天王さんの祭礼日は7月25日で、子供達が神輿を担ぎムラ中を回ったといい、この日のことを夏祭りといった。しかし、年に2回も祭りをするのは大変であるということになり、夏祭りである天王さんの祭りは中止にした。今では神主を呼んで祝詞をあげてもらうだけである。
太鼓
昔は城島中の祭囃子の連中が集まって、祭囃子をして賑やかであった。また、他の村の祭りに大島からも出掛けていったという。
かつては太鼓連があり、太鼓連に入るには特に資格は問われず、小学校2・3年から加入し、30〜40歳の者も入っていた。若者の集まりでかつては山車を曳いたが、今は車で運んでいる。
神輿
大島
古来この付近一帯は沼地で浮洲のような地形だったため、それを島と考えて「大島」・「下島」・「小鍋島」と命名された。大島地区は枝大島および東・西・南・北の5つに区分されている。
青年団
青年団はワケーシュ(若い衆)ともいわれ、お宮の仕事を中心に祭りの采配を振るったという。また、他のムラの祭りにはこちらからも出かけていったという。大正半ばあるいは震災後頃には、お宮の境内に青年会所を作った。満15〜45歳まで加入していた。寄り合いは十輪寺を借りて行っていたとの話もあるが、青年会所ができる以前のことかもしれない。青年会所は戦後に廃止命令があったので、他の場所に移したりしたという。
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