二十四軒町にじゅうしけんちょう

準備

  二十四軒町では平塚八幡宮の例大祭に合わせて、8月15日に町内だけで夏祭りを行う。夏祭りに向けての準備は8月13日の8〜12時に注連縄張や山車の組み立てが行われ、14日の16〜17時に会館前で安全祈願が行われる。宵宮は14日の18時から行われ、山車が町内を巡行する。以下に平成25年(2013年)8月15日に行われた夏祭りの様子を紹介する。

7時半頃から準備開始山車が自治会館前に到着
自治会館内では太鼓を締める
外では飲み物を冷やすためポリバケツに入れていく
テーブルは端へ寄せます山車にのし紙を貼っていく
軽トラにポリバケツを積み氷を割って
軽トラへ運びバケツへ入れる
アイスピックで氷を砕く軽トラは会館前を出発
会館内では神輿を抱え上げ
玄関から外へ運び出す
馬の上におろし轅を運ぶと
棒穴へもう一本の轅も
挿入氷で冷やされる缶飲料
会館内ではのし紙を書きますこちらは締太鼓の調整
奥に設置された祭壇神輿の位置を
少しずらします会館前では打ち水を
山車では梯子を掛け会館から締太鼓を運び出し
鉄の丸棒を通して枠へ設置大太鼓も運び出し
山車の上へ置いて台へタオルを当てる
締太鼓の次に大太鼓を設置
会館から提灯を運び神輿の四隅に付ける
大太鼓はロープで固定こちらは巡行で使うリヤカー
クーラーボックスに氷を入れてリヤカーに飲み物を積む


町内巡行(午前)

○二十四軒町自治会館(出発8:40)
  準備を終えると神輿に参拝し、お神酒で身を清めてから、一本締めで自治会館を出発する。

神輿ではお神酒の準備8時半になると
祭典委員長である町内会長から挨拶があり
神輿を道路の中央へ移動
二拝二拍手
一拝でお神酒を配り
身を清めます私も頂きました
子供達は山車へ向かい太鼓を叩く準備
祭典副委員長の音頭で一本締めると
子供達は太鼓を叩き担ぎ手が神輿へ向う
肩を入れ祭典委員長達が出発すると
神輿を担ぎ上げる山車と
神輿が自治会館をお発ち馬は担いで移動
最後尾はリヤカーを引きこれから町内巡行が始まります


@休憩所(到着8:45、出発8:50)

ここはどっこい神輿なので甚句が入ります
一行は住宅地を東へ進むと
直ぐに休憩場所となる笛の合図で
馬の上に神輿をおろす内輪で叩き手を仰ぐ親御さん達
5分ほど休憩を取ると山車が出発
続いて神輿が出発
甚句を交え次の休憩場所を目指す


A在宅介護支援おあしす総合相談センター前(到着9:00、出発9:05)

山車は平塚伊勢原線に出ると左折して伊勢原方面へ
神輿も続いて左折し県道61号を北へ進む
山車は交差点まで来るとすきや前で左折し
左車線へ寄る一方、神輿は
交差点まで来ると左折せずにそのまま直進し
横断歩道を渡ると江南不動産の前で左折
辰美屋葬儀店前で甚句を入れる
山車は反対車線で待機神輿は在宅介護支援
おあしす総合相談センター前で輿をおろして休憩
飲み物を配って5分ほど休憩すると
神輿は再び出発反対車線の山車も出発


B平塚宿高札場蹟(到着9:15、出発9:20)

神輿は西へ向かい平塚宿脇本陣跡を通過
商店街を練り歩く神輿山車は交差点を通過
わかば鍼灸整骨院前で甚句株式会社三興では恵のスチーム
神輿も交差点を渡るこちらは大正5年創業の老舗
和菓子・甘味処 「安栄堂」山口屋茶舗前で
甚句を入れて神輿を揉む
宿平塚高札場付近で山車と
神輿は休憩し水分補給
休憩中も山車では太鼓を叩く5分ほどで
神輿に肩を入れ休憩場所を出発


C休憩所(到着9:25、出発9:40)

旧東海道を練り歩く神輿反対車線を走っていた山車は
右折して石黒家具横を通過神輿も続いて右折
北へ向って進むと直ぐに十字路で右折
一行は細い道を東へ進む
住宅地をしばらく直進すると
十字路に出て左折ここは郵便局の裏になります
北へ向った一行は十字路で直ぐに右折
甚句を交え交差点の中央で
時計回りに一回転
ようやく右折し民家の前で
輿をおろすここでは子供達が山車を降り
ガレージの下へ向うとアイスを貰います
余ったアイスは大人にも
休憩中に奥のほうで太鼓の音が聞こえ
追って行くと見附町の山車が巡行中
休憩場所では甚句の指導どうやら初めて挑戦するようです
休憩を終え子供達は山車へ神輿もお発ちし
一行は次の休憩場所を目指す


D休憩所(到着9:45、出発9:50)

一行は直ぐにT字路で左折
甚句を交え北へ進む
ここではホースで水を掛けます
暫く直進するとT字路で右折
いよいよ甚句初挑戦です
声は良いようです上手く唄えたでしょうか・・・
休憩中は次の唄を覚えます
太鼓を叩き続ける子供達5分ほど休憩を取ると
山車が出発神輿も肩を入れ
休憩場所を出発今度は上手く唄えたかな・・・


E休憩所(到着10:00、出発10:05)

休憩所を出発した一行はT字路に突き当たり左折
甚句は唄い出しが難しいようです
北へ向って練り歩くとT字路に突き当たり左折
山車は平塚2丁目駐車場で
引き返し神輿が続いて
駐車場でUターン
山車はT字路を直進ここでも甚句が入ります
一行はT字路で左折し北へ向って進んでいく
次の十字路もそのまま直進
大先輩の甚句が入り住宅地を進むと
通りの途中で神輿をおろし
日陰で休憩しばらく休憩すると
山車が先に出発し大き目の通りに出ると
右折し、さらに平塚伊勢原線を右折
担ぎ手も神輿へ集り休憩場所を出発
後方には迂回した山車の姿が神輿は北に進むが
通りには出ずその場で旋回して
来た道を引き返すセェ〜♪


F大町自動車工業(到着10:15、出発10:50)

神輿は十字路まで引き返すと左に旋回
東へ進み平塚伊勢原線に出ると
麻生米殻舗の角を右折ホルモン専門店の角を
右折道路脇には山車が待機
神輿は奥へ進みT字路まで来ると
右回りに旋回して来た道を引き返す
甚句を入れて神輿を揉みます
ここでは大人が囃子を披露
神輿が山車の近くまで戻ると
笛の合図で輿をおろす
大町自動車工業で長めの休憩を取る
ブルーシートの上にみなさんで上がり
御馳走を頂きますデザートは冷凍パイナップル
30分ほどで軽食を終え子供達は山車に乗り込み
平塚伊勢原線に出て右折
続いて神輿に肩を入れ休憩場所をお発ち
甚句を交えながら次の休憩場所を目指す


G休憩所(到着10:55、出発11:05)

県道61号に出てESSO前を通過御祝儀のお返しはタオルです
市川自動車観光前で甚句を入れる
南へ進んだ神輿は直ぐに右折
休憩を取るためT字路にある倉庫前で
神輿をおろすここで芯出し綱を通します
太鼓を続ける子供達後ろにも芯出し綱を通す
10分程で休憩を終え休憩場所を出発
そのまま西へ向かい甚句を交えて練り歩く


H休憩所(到着11:15、出発11:20)

この辺りは前に通った道になります
甚句を交え一行は十字路を左折
甚句がよく入る二十四軒町旧東海道に出る手前で
左折し東へ進みます
一行は細い道を抜けていく
ここでも甚句♪山車が休憩場所に到着
神輿も後ろで輿をおろししばしの休憩
休憩を終えると山車は平塚伊勢原線に出て
右折神輿も山車の後を追う


I休憩所(到着11:30、出発11:40)

神輿は県道61号を右折し江南不動産前を通過
山車は交差点を右折信号で待機する神輿
西へ進む山車信号が青に変り
横断歩道を渡るとすき屋前で右折
HAIR PUNTOライスプラザ まかべ を通過
甚句を入れ八間通りバス停を通過
一行は信号のある交差点を通過
休憩場所まで来ると甚句に合わせて神輿を揉み
笛の合図で輿をおろす
日陰を借りている建物はhair resort B wave
昼食前の最後の休憩を終え神輿がお発ち
次は自治会館を目指す


○二十四軒町自治会館(到着11:45)

山車が十字路で左折続いて神輿も
左折し南へ進んでいく
山車は十字路で左折昼休憩まであと少し
甚句を入れ勢いづく神輿
十字路を左折すると自治会館は目の前です
最後の直線を甚句を交え
箪笥を叩き神輿は練り歩く
自治会館前まで来ると笛の合図で
馬を入れ午前中の渡御を終える

  この後は昼休憩へ。

囃子

  二十四軒町にはもともと祭りの囃子太鼓がなかったようで、昭和後期に町内の者が近隣地区の囃子を聞いて覚え、二十四軒町の子供達に教えたのが始まりとされている。曲は3曲あるが聞いて覚えただけであったので、「1番」・「2番」・「3番」という呼称で子供達に指導している。ちなみに一般的な囃子で使われている名称でいうと1番が「ミヤショウデン」、2番が「ニンバ(インバ)」・3番が「ジショウデン」に対応する。
  昭和の終わりから平成初期頃になると、中原から二十四軒町に移住した者が「屋台」の曲を伝えるようになった。ちなみに中原に在住していた時に習ったのは豊田の豊中の親戚からということなので、二十四軒町で最初に叩いた屋台は豊田系統ということになる。しかし、現在ではこの屋台という曲を叩く人がいなくなり、最初に取り入れた1番から3番の3曲のみを演奏している。

山車(正面)山車(側面)
太鼓は3つ横に並べる演奏の様子

  平成20年(2008年)4月には新宿地区の氏神である平塚八幡宮末社の若宮社に因んで、「二十四軒町若宮囃子太鼓保存会」を結成し、地元になかった曲や笛を取り入れるなど、新しい取り組みに力を入れている。二十四軒町若宮囃子保存会は5月5日に行われる国府祭や、8月15日の平塚八幡宮例大祭および翌16日の若宮社例大祭、これ以外にも平塚八幡宮や商店街のイベントなど数多くのイベントに参加している。



神輿

  二十四軒町の神輿は譲り受けたもので、作人札には「神輿師 寺川友三作 横浜井ヶ谷下町」とある。神輿は子供用のサイズであるが、ひと回り大きい箱台輪の上に固定し、長い輿棒を通して大人が担げるようになっている。担ぎ方は「どっこい」で、平塚甚句を入れて町内を巡行する。

神輿(正面)神輿(側面)
駒札作人札


二十四軒町

  慶長6年(1601年)に東海道へ伝馬制度が施行され、寛永12年(1635年)に参勤交代が行われるようになると東海道の交通量は激増し、各宿駅の人馬継ぎ立てを行う問屋場の仕事は煩雑を極めた。平塚宿においても東海道の交通量の増加に伴って問屋業務が多忙となり、その業務の円滑化をはかるためにもう一つ問屋場を新設することになった。その業務担当に白羽の矢が立ったのが八幡新宿村で、八幡新宿村の24軒を選んで平塚宿内に移転させたのが「二十四軒町」の由来である。
  記録によると移転先は東海道を挟んで南側に十二軒、北側に十二軒の宅地で、一軒分の土地は間口七間(約12.7m)・奥行二十間(約30m)の区画が与えられた。従来ここに居住していた住民十八軒は二十四軒の東に強制移転させたため、この東の地を「十八軒町」と呼び、造成された八幡新宿の飛地を二十四軒町と称した。ただし、二十四軒町は八幡新宿の飛地であるため、現在に至っても平塚八幡宮の氏子である。
  平塚宿に従来からあった問屋は慶長6年(1606年)に開設された「西組問屋場」で、慶安4年(1651年)に二十四軒町へ新設された問屋を「東組問屋場」といった。問屋場には問屋主人・名主・年寄・人足指・馬指・書役・見習など10余人が勤務し、東組みと西組は十日目交替で業務に当たった。二十四軒町内には脇本陣・高札場が設けられていた。

二十四軒町自治会館標札


平塚宿脇本陣(ひらつかしゅくわきほんじん)

  江戸時代、それぞれの宿場には幕府公用人や大名を泊める宿舎として本陣が設けられ、この本陣の補助的な役目をしたのが脇本陣であった。脇本陣はその宿場の中で本陣に次ぐ有力者が経営していたが、屋敷地や建物の大きさは本陣には及ばなかった。また、脇本陣は本陣と違って平常時は一般の旅籠(はたご)としての営業も可能であった。
  享和年間(1801〜03年)頃の宿場の様子を描いた『東海道分間延絵図(とうかいどうぶんけんのべえず)』によると、平塚宿の脇本陣は西組問屋場(にしぐみといやば)より西に描かれているが、天保年間(1830〜44年)には二十四軒町の北側の地で山本安兵衛が営んでいた。

平塚宿脇本陣跡石碑解説


平塚宿高札場(ひらつかしゅくこうさつば)

  高札とは切支丹(きりしたん)禁制や徒党の禁止など、幕府や領主の法令や通達を書き記した木札である。その高札を掲示した場所が高札場で、各宿場や村々に設けられていた。通常土台部分を石垣で固めてその上を柵で囲み、高札が掲げられる部分には屋根がついていたといわれる。
  平塚宿の高札場は二十四軒町の地にあり、規模は長さ二間半(約5m)、横一間(約1.8m)、高さ一丈一尺(約3m)であった。平塚宿には平塚宿から藤沢宿、あるいは大磯宿までの公定運賃を定めたものの高札なども掲げられていた。

平塚宿高札場の蹟石碑解説


昼休憩 (二十四軒町公園)

  午前中の町内巡行を終えた一行は、二十四軒町公園へ移動して昼食を取る。

自治会館に到着すると食事を軽トラックへのせ
自治会館を出発十字路を右折
妙安寺横を通りなでしこ幼稚園を通過すると
右手に見えるのが二十四軒町公園
東側にはフレッシュハウス山車は東側に止める
公園の奥の木陰にはブルーシートが敷いてあります
軽トラックからテーブルや食べ物
飲み物を運び皆で協力して昼食の準備
準備が整うとお昼ごはんになります
真夏の日差しは強いですが木陰は意外と涼しいです
南側は東海道本線が通り北側にはなでしこ幼稚園
デザートはスイカになります
山車の横ではかき氷を作ります
シロップを多めに掛けます抹茶を頂きました
休憩中に二十四軒町若宮囃子保存会のメンバーが
山車へ上がり演奏の準備
笛の前奏で囃子が始まります
軽快なリズムで公園に太鼓が鳴り響く
山車の横ではかき氷に子供の列ができる
囃子の披露が終わりブルーシト上を片付けると
暫く仮眠を取ります昼休憩を終え
軽トラックへ荷物を積むと
公園を出発
一足先に自治会館へ戻ります
公園内ではブルーシトを中央に移動し
小さく折りたたんでいく
続いて山車が移動し
叩き手を乗せるその他は歩いて移動
山車が公園を出発来た道を
引き返し自治会館に到着


町内巡行(午後)

○二十四軒町自治会館(出発13:45)
  昼休憩を終えた一行は再び自治会館から出発し、午後の巡行へ向う。午前中は自治会館から北側を巡行したが、午後は南側を巡行していく。

自治会館に戻ると直ぐに肩を入れ
午後の巡行が始まる


J富田工務店(到着13:50、出発13:55)

妙安寺前を通過し十字路を右折
南へ進みT字路で
左折細い道を東へ進む
甚句を入れ住宅地を練り歩く
富田工務店付近が午後最初の休憩場所
馬の上に神輿をおろすが山車はT字路で右折し
バックで奥のT字路まで進む
再び前進して引き返しT字路の角で待機
水分補給を終え神輿が
出発午後も引き続き暑いです


Kなでしこ幼稚園(到着14:05、出発14:10)

神輿は突き当りのT字路を右折山車は先の十字路で右折
甚句を入れ山車の後に続く神輿
マシュキ理容室がある十字路を左折
甚句を入れ幼稚園前で神輿を揉むと
敷地の横で神輿をおろす
夏はやっぱり打ち水ですね休憩を終え
なでしこ幼稚園を出発次の休憩場所へ向う


L西森不動産(到着14:15、出発14:25)

幼稚園を離れ十字路を左折
神輿では甚句を入れる突き当りのT字路を
右折すると目の前はJR東海道本線
午後も甚句に挑戦です突き当りを左折し
線路沿いに東へ進むと西森不動産前で
休憩水分をしっかり補給しないと
倒れそうな猛暑です出発が促され
疲労は溜まっていますが頑張って出発します


M休憩所(到着14:30、出発14:35)

一行は61号の手前で左折し角の氏子宅前で神輿を揉む
甚句を交え北へ進む山車はマンション前で左折
神輿も続いて左折
県道61号が町内の境のようです西へ進むと直ぐに休憩所
午後は休憩所の間隔が短くこまめに休憩を取る
山車にちょっとしたトラブルがありましたが
一行は休憩所を出発


N休憩所(到着14:40、出発14:50)

一行は突き当たりを右折さらに十字路を右折
甚句を交え町内を隈なく巡行
突き当りで左折し再び平塚伊勢原線沿いに出て
休憩を取る太鼓は頑張って叩き続けます
休憩を終え、ここから私も肩を入れることに


O休憩所(到着14:55、出発15:00)

61号を北へ進み途中で左折
休憩所はここを含めて残り2箇所
5分ほどで休憩を終え
最後の休憩所へ向う


P休憩所(到着15:05、出発15:15)

一行はそのまま西へ向い
十字路を直進ちょうどこの裏手に
自治会館があります甚句を交え
練り歩き最後の休憩場所に到着
長かった巡行も残りあと僅か
自治会館へ向けて出発します


○二十四軒町自治会館(到着15:25)

町内会会長の芯出しで神輿は西へ進み
突き当りのT字路で左折
南へ向かい十字路で左折
最後の直線となり甚句を入れて練り歩く
自治会館はもうすぐ甚句にも熱が入る
山車では既に太鼓を終えるが神輿が近づき
大人達により再び太鼓が叩かれる
担ぎ手も気合が入ってきました柄杓で水を掛けます
自治会館前に到着するが下がるように指示を出し
一旦神輿は後退し甚句を
入れて揉みます
神輿は再び自治会館前へ押し寄せ
笛の合図で輿をおろす
参加者を集め祭典副委員長の
三本締めで長かった町内巡行が幕を閉じる
頑張った子供達にはお菓子が配られる
さらに冷たいスイカも配られます
後片付けを終えると自治会館へ入り
直会が開かれる副会長と
町内会長より挨拶をいただき
乾杯の挨拶で直会が始まる


                   



その他の行事

●平成25年(2013年)8月15日・・・平塚八幡宮例大祭
                  (二十四軒町若宮囃子太鼓保存会編)
●平成26年(2014年)8月16日・・・若宮社例大祭
                  (二十四軒町若宮囃子太鼓保存会編)
●平成29年(2017年)5月3、5日・・・国府祭
                  (二十四軒町若宮囃子太鼓保存会編)



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