片岡かたおか

宵宮

  例大祭前日の5月2日は宵宮が行われ、神輿の巡行はないが、町内を2台の車山車が巡行する。以下は宵宮の様子である。

●宵宮準備
  昼間から宵宮の準備が進められる。

境内の掃除露店は既に場所取り
発泡スチロールの箱を洗う氷の業者が到着
氷を切断し
割って箱に入れる
明治7年の幟を揚げていく
風になびく2本の幟ロープで固定

●太鼓準備
  宵宮では神輿の渡御は行われないが、車山車は触太鼓として片岡地区を巡行するため、山車には太鼓が設置される。

拝殿に保管された太鼓を運ぶ
枠にはめて棒を通す
大胴も車に載せ
台に置く紐で固定
子供達は半纏を羽織り準備完了

●車山車の宮出し
  太鼓の準備ができると18時10分頃から南北の山車2台が町内を巡行する。

境内に関係者が集まる宮総代の挨拶
神輿の提灯に明かりをつける子供達は山車に乗り込む
神輿殿前では食事の準備2台の車山車が
お宮を出発鳥居を潜り
北と南に分かれて巡行

●境内での神輿担ぎ(1回目)
  車山車が境内を出発すると、18時20分頃から神輿が境内のみで担がれる。

神輿の前で記念撮影神輿保存会会長の挨拶
新会員の紹介続いて宮総代の挨拶
担ぎ手が神輿に集まる会長の一本締め
輿棒に肩を入れ担ぎ上げる
境内を練りながら鳥居に向かう
箪笥を打ち鳴らす鳥居前で担ぎ手が反対を向き
社殿に引き返す拝殿前に到着すると
甚句に合わせて練る
再び鳥居に向かい担ぎ手が方向転換
境内を進み拝殿前に到着
2往復で輿を降ろす
食事の用意が整い宴会が始まる

●境内での神輿担ぎ(2回目)
  途中で食事や休憩を挟みながら、神輿は境内を往復する。

休憩を終えると2回目の神輿担ぎ
甚句に合わせて境内を練る
鳥居で折り返し拝殿に戻る
再び鳥居を目指す
拝殿に戻った神輿は甚句に合わせて練る
拝殿に迫る神輿を押し返し
2往復で再び休憩

●境内での神輿担ぎ(3回目)
  20時頃になると宵宮最後の担ぎを終える。

若者が集まってきたので先輩方は重い腰を上げ
宵宮で3回目の神輿担ぎ
掛け声に合わせ1往復
拝殿前では甚句が2回入り
その後は2往復目再び甚句に合わせて練る
勢いは止まらず3往復目
拝殿前で激しく練りこの日最後の担ぎを終える

●神輿の片付け
  境内での神輿担ぎが終わると南北2基の子供神輿は拝殿に、大人神輿は台車に載せて移動して神輿殿にしまわれる。

北の子供神輿を拝殿右奥に
南の子供神輿を左奥に置く
大人神輿では一本締め神輿を持ち上げ
神輿殿前へ移動台車に載せ
神輿殿へ納める
神輿保存会会長の挨拶続いて宮総代の挨拶で
解散宮世話人は拝殿前で記念撮影
外していた戸をはめる神輿殿もシャッターを降ろす

●車山車の宮入り
  20時30分頃になると片岡地区を巡行していた山車が宮入りし、お宮に到着後は直ぐに太鼓を拝殿に運ぶ。車山車は境内を出て、別の駐車場へ移動される。

町内を巡行していた2台の車山車が
宮入りし境内に宮付け
山車から締太鼓と大胴を降ろし
拝殿にしまう子供達は記念撮影
神輿殿前で休憩2台のトラックは
別の駐車場へ移動最後にお宮の戸締り

囃子

  片岡では近年になり「若竹太鼓連」を結成し、子供達への太鼓の継承に力を入れている。叩き手は小学生(3年生)から高校生くらいまでが中心で、練習は片岡自治会館において南北合同で大祭前の半月程行う。ちなみに、平成21年(2009年)の練習期間は4月12日から宵宮直前までの月曜日から土曜日で、時間は18時30分から20時までが小学生の練習、20時から21時までが中学・高校生の練習であった。練習では太鼓以外にもタイヤを使って練習をしているという。
  昔は演奏する曲目が「ハヤシ」のみであったが現在は「ミヤシロデン」を習得し、宮出し・宮入りの時にはミヤシロデン→キザミ→ハヤシの順で演奏する。このほかにも「ジショウデン」などの3曲も取り入れ、最後の宮入りの時にはこれら6曲をメドレー風に繋げて演奏する。また、笛と鉦は昔からなかったといわれるが、豊田から移住してきたという吹き手が平成21年(2009年)から片岡神社の例大祭に参加し、鉦も取り入れて片岡のお囃子に華やかさを加えている。この笛は伊勢原市笠窪の譜面から起こしたもので、現時点では「ハヤシ」のみが吹かれている。
  片岡には南北2つの山車があり、10時の宮出しから子供神輿と共にそれぞれの地域を巡行し、13時の子供神輿の宮入り後は大人神輿と合流して巡行を続ける。

南北の山車若竹太鼓連の幟
片岡北を巡行する山車片岡南を巡行する山車
囃子


神輿

  かつて片岡では子供育成会が東西南北の4ブロックで組織され、現在の南北2基の子供神輿以外にも、西に中型の神輿1基と東に樽神輿1基があったという。しかし、子供数の減少に伴い東は北に統合され、西は南に統合された。中型の神輿は女神輿などとして担がれた時期もあったというが、現在は例大祭で担がれることはなく、神輿殿にシートを掛けられた状態で保管されている。片岡にある4基の神輿は全て地元で製作されたもので、北の子供神輿は地元の大工、南の子供神輿は地元の板金屋が造ったという。大人神輿は昭和57年(1982年)の製作で、神輿の下には「昭和五拾七年」の文字が刻まれている。これらの神輿は素人にしては非常に立派な造りで、専門の宮大工が造る神輿にひけをとらない。

神輿殿境内に並んだ3基の神輿
大人神輿片岡北の子供神輿
片岡南の子供神輿今は担がれない中型の神輿


例大祭

  『風土記稿』によると例祭日は旧暦の8月9日であったが、片岡神社と改称されてからは4月12日や4月29日になり、近年では神輿を担ぐには日曜がいいということで毎年変えられ、昭和58年(1983年)に「憲法記念日」である5月3日となり現在に至る。
  片岡では「片岡神社」・「片岡神社神輿保存会」・「片岡南北自治会」・「片岡農業組合」・「片岡南北子供会」を始め、各種団体の協力や平塚市内の神輿愛好会の協力で、地域住民の触れ合い・交流の場として毎年盛大な例大祭が継続されている。また、平成14年(2002年)にはホリプロのテレビ映画のロケが片岡神社祭礼をモデルに行われ、『家族の絆』という映画が製作された。

●大祭準備
  大祭当日は早朝から準備が行われる。当日は「平塚秦野線」や「相模原大磯線」など主要な県道を通るため、交通指導員(平成21年は12名)と平塚市交通安全「母の会」(平成21年は9名)により、神輿や車山車の交通整理が安全に行われる。

幟を揚げ紐で固定
日の丸も揚げる
この日も氷の業者が来る露店の準備
拝殿では戸を外し南の子供神輿と
北の子供神輿を境内に移動
太鼓の準備掲示板にのしを貼る
花場(受付)で御祝儀をもらうとお返しにタオルを渡す
神主が登場し拝殿に上がる
式典の準備祭壇を整える
一方、神輿殿ではしまっていた神輿を
渡し板を敷いて曳き出す
そのまま曳いて拝殿前まで移動
神輿を持ち上げ馬に乗せる
2基の子供神輿を大人神輿の横に並べる
平成21年から始めた鏡抜き(鏡開き)の準備
台に乗せて準備完了
子供達が集まり始める交通指導員も準備が整う

●式典(開始9:00)
  神主は秦野市の出雲大社から来社し、式典が9時から執り行われる。式次第では祝詞奏上や玉串奉奠、神輿への御霊入れなどが行われる。

社殿で式典が始まる式典中は境内で待機
神主が御霊を持ち出し神輿に入れる
御霊入れが終わると神輿を担ぎ上げ
大鳥を鳥居側に向ける
神輿に祭壇を用意し供物を供える
神主の挨拶竜笛の合図で神輿の式典
大人神輿をお祓い南の子供神輿と
北の子供神輿もお祓い南北の車山車を
お祓い式典参加者をお祓い
子供達もお祓い子供神輿にも御霊を移す
続いて祝詞奏上玉串奉奠
南北の子供神輿でも玉串奉奠

  この後の宮出しから宮入りまでは神輿渡御を参照。

直会〜解散
  神輿が宮付けされると社殿内では式典が執り行われ、式典後は神主を交えて直会が始まる。一方、神輿の担ぎ手である応援団体は社殿横で直会となり、食事が終わった団体から一本締めで順次帰路に着く。応援団体の接待が終わると片岡神社神輿保存会で直会が行われ、その合間には再び太鼓の演奏が行われる。宵宮と大祭では大人達は神輿の準備・調整などで太鼓を叩く機会がないが、宮付け後は昔太鼓をたしなんだ大人達も交じえ、10時近くまで境内で賑やかに囃子が奏でられる。

宮付け後は社殿内で式典式典後は神主を交えて直会
裏では有効団体が直会順次一本締めで見送る
その際にタオルを手渡す見送りが終わり地元だけで直会
夜は再び2台の山車で太鼓を叩く
最後は大人も加わり
叩き収め神輿は台車で移動し
神輿殿にしまう神輿保存会は解散
太鼓はトラックから運び出し拝殿にしまう
若竹太鼓連も解散お宮も戸締りをして解散

  大祭が終了すると2基の神輿は拝殿に、大人神輿は神輿殿にしまわれ、太鼓も拝殿に運び込まれる。翌日の4日の午前中は後片付けが行われ、昼頃から鉢洗が行われる。



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