上惣領かみそうりょう



神社の紹介

  「愛宕神社」は上惣領の鎮守で、昔は秋山一族で祀る「天王社」であった。鎮座創立年月は不詳だが、祭神を「火皇産霊神(ほむすびのみこと)」とする。天正(1573〜93年)には当地に「愛宕権現」・「秋葉社」・「午頭天王社」があり、愛宕権現は小字八沢の鎮守であった。地頭田沢久左衛門の尊崇が篤く、多くの寄進があった。
  この愛宕権現は明治3年(1870年)に愛宕神社と改称し、明治6年(1873年)には雑社と定められた。明治45年(1912年)5月5日に小熊の熊野神社に合祀され、その後の社殿は焼失して秋葉社と牛頭天王社の石祠だけが残った。この合祀は土屋村の鎮守として熊野神社の格をあげるために、村内のいくつかの神社と共に合祀したものである。合祀された日には小熊から来た神輿にミタマ(御霊)を入れて、矢沢部落の人達が担ぎ、子供達は日の丸の小旗を振って送ったという。その後、七五三の祝いや婚礼後の宮参りなどの時には小熊の熊野神社まで行っていたが、やはり遠すぎるのと矢沢まで神輿が渡御してくるのが大変だったため、部落の総意として昭和24年(1949年)4月2日に再び神霊を迎え分祀した。
  複祀した当初は経済的な事情から簡単な社を建てておいたが、昭和27年(1952年)4月24日に現在の銅葺の拝殿を再建した。現在の鳥居から上の階段はその時に新造したものである。昭和42年(1967年)には同じく銅葺の幣殿と覆殿が完成し、昭和50年(1975年)代に鉄製の鳥居が建立された。昭和63年(1988年)12月4日には手水舎と手洗鉢が、平成元年(1989年)4月には狛犬一対が寄進されている。
  当社は防火・厄除けの神として尊崇され、矢沢の鎮守となっている。神社の境内には「第六天」と「山の神」が祀られている。また、文化9年(1812年)の「秋葉社(社殿向かって右)」と「牛頭天王社(社殿向かって左)」の石祠が現存する。

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愛宕神社社号柱
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鳥居手水舎
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石祠狛犬
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拝殿覆殿・幣殿
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境内


上惣領

  上惣領はかつては惣領分内の矢沢部落であり、昭和初期頃に県道南金目・中井線が開通し、その後に上惣領と改めたものである。「矢沢」の名は「八沢」に由来するといわれ、沢の多い山間に位置する集落である。隠れ里のような環境にあったことから、戦国時代の末期に武田家の家臣が住み着いたという伝承がある。上惣領には5つの「組」である「中入」・「下屋」・「中手」・「中川」・「上屋」があり、これらは「部落」と呼ばれることはなく、部落と呼ぶのは上惣領全体に対してである。



例大祭

  例祭日は4月24日であったが、最近では4月24日近くの日曜日になった。祭りの前日に宮番が宮世話人と共に幟立てをし、宮番は5つの部落(組)が交代であたった。祭りは村人全員が参加し、神主がやって来て祝詞をあげて祭典を行った。
  合祀される10年前(明治30年代の後半頃)まで祭典には競馬も行われていて、馬場は100m位の真直ぐな道の終わり際が山の陰へまわっていたという。
  祭りの翌日は幟倒しをしてから、神社の境内で酒を飲んでハチハライをする。

太鼓

  矢沢(上惣領)には太鼓はなかったが、昭和50年(1975年)頃に青年の要望で作られた。太鼓連が自動車に乗って太鼓を叩く。太鼓はヨミヤでも叩かれる。



神輿

  かつては子供神輿が矢沢のムラ中を回った。



若い衆と青年会

  昔の青年は尋常高等科2年を修了する15・16歳になると、若い衆仲間である「土屋村矢沢青年会」に入り、青年会には長男だけではなく一家から何人の男が参加してもよかった。15歳になった息子がいると若い衆の新年会の時に、組の役員に連れられて行き仲間に入る。青年会館は天宗院の近くにあった。
  青年会では作物の品種改良のための試作なども行ったが、部落の日常の仕事や行事などにも大きな働きをした。例えば祭りの芝居を頼むことになれば、舞台を掛けるのは若い衆であった。草葺(クサブキ)屋根を葺き替える人や修理をする人は、青年達が部落の共有地で刈っておいたカヤを買った。屋根葺きの材料は麦カラを主にして、枯れたカヤも用いた。傷んだ部分をサシガヤで修理するところが多く、やはり麦カラやカヤを用いたが、カヤの方が持ちは良かった。共有地のカヤを買いたいという申し込みのあった家へは、青年達が天秤棒で担いでカヤを運び、売り上げ代金は青年会の基金とした。
  冬の間の火の番も若い衆の仕事で、数人が1組になり青年会館に集まり、夜半の11時頃と2時頃の2回にそれぞれ1時間ほど部落内を見回った。上惣領内での火事は多くなかったという。


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