名古木
御嶽神社
「御嶽神社」の祭神は「倭建之命(やまとたけるのみこと)」で、境内社は「第六天社」・「蔵王社」・「八幡社」・「天王社」・「大口社」、また、境外摂社の「浅間神社」の祭神は木花開那姫このはなのさくやひめ)である。
創立年代は不詳だが、往時「御嶽社」・「第六天社」・「蔵王社」を鎮守としていた。当時草山の地に安政6年(1859年)まで周囲十年尺の老松があって、この大樹は旧矢倉沢往還に沿い、旅人は皆これを目標として通り、今は枯死して無く一本松と称した。古伝に倭建之命東征の時大樹の下に腰を据え、大山丹沢富士を一望されたことにより、御嶽社を建立されたと伝えられる。
当村名主「井上支一郎」子孫宅古文書によれば、現境内地に7百年を越える老杉8本ありとある。この老杉は昭和8年(1933年)に台風により倒木し、8百年以上の古木であった。
明治6年(1873年)には「御嶽社」・「第六天社」・「蔵王社」を合祀上地して「御嶽神社」と改称し、村内小社を境内社として名古木(慶長年代まで「ナコノキ」と言い、その後村名を「ナガヌキ」と称している)の鎮守となった。大正4年(1915年)に幣帛供進村社に指定されたが、昭和8年(1933年)に台風で大破し、翌9年に陛下より恩賜資金を賜り再建された。昭和40年(1965年)より鳥居・神楽殿・社務所を建設し、昭和54年(1979年)には銅板葺にした。
石碑 | |
鳥居 | 燈籠 |
上手舎 | 神楽殿 |
拝殿 | 本殿・幣殿 |
社務所 | |
神社由緒 | 境内 |
名古木会館 | 浅間神社 |
浅間神社は浅間山三頂にあり、善波トンネル南出西に六坪の下拝殿がある。貞享の頃より富士浅間参拝者の出発守護祈願、5月15日には氏子弁当持参の花見祭を行ってきたが、御嶽神社と同氏子のため境外摂社とする議が纏まり、境外摂社とした。
太鼓
神輿
名古木の歴史
永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」には「奈古木(なこの木)」、『風土記稿』では「名古木(ナコノキ)村」と記載されている。『風土記稿』にある小名は「斎玉」・「小金沢」・「西沢」・「上原」であり、天保5年(1834年)の戸数は93であった。
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