秦野市の祭礼
秦野市
昭和28年(1953年)10月1日に「町村合併促進法」が施行され、神奈川県でも「県町村合併促進審議会」が設置された。昭和30年(1955年)1月1日に秦野町・南秦野町・東秦野村・北秦野村の2町2村が合併して秦野市が新設され、同年4月15日に大根村(真田を除く)が編入合併した。同年7月28日には西秦野村が上秦野村と合併して西秦野町となった。秦野市と西秦野町の合併は話し合いの末、昭和38年(1963年)1月1日をもって実現することになり、現在の秦野市ができあがった。
大根地区
永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」をみると「落幡」・「大槻」・「北矢名」・「真田」の地名が記載されている。大根村と称したのは村を貫流している大根川に因んで名付けられたと推測され、大根川という呼称は鶴巻の小字地名としても存在していた。慶長8年(1603年)の落幡村(現在の鶴巻地区)の検地帳にもあることから、大根川は古くからあった地名である。
明治22年(1889年)に当時の「落幡村」・「南矢名村」・「北矢名村」・「下大槻村」・「真田村」の五ヶ村が合併して「大根村」が誕生した。昭和16年(1941年)の『神奈川県中郡大根村勢要覧』によると大字が5つ、小字が213であった。村の組織は大字を単位とした5つの行政区があり、それぞれの行政区はいくつかの部落会区に分かれていた。大根村の広さは東西に一里強、南北に一里弱といわれ、全体の戸数は633戸、人口は3954人であった。昭和30年(1955年)に大根村は秦野市へ合併したが、真田だけが中郡金目村(現平塚市)に合併した。
上(秦野)地区
四十八瀬川の西側に属する上地区は、起伏の多い山裾の土地とて小丘あり、沢ありの地形である。もとは足柄上郡に属し、同郡の都夫良野・上縄・中川などの地方を西山家(西ヤマガ)と称したのに対し、この地方の「柳川」・「三廻部」・「八沢」・「菖蒲」などの村々を東山家といった。これは鎌倉時代に当地方の支配者であった川村氏の影響で名付けられたと思われる川村山を隔てて、東西の山寄りの村々を指したと推測される。
明治22年(1889年)に菖蒲村・八沢村・柳川村・三廻部村が合併して足柄上郡上秦野村が誕生した。
北(秦野)地区
永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」には「横野」という地名があるが、「羽根」・「菩提」・「戸川」が記載されていない。しかし、北波多野という地名があることから、これら三村を総称して北波多野と呼ばれていた可能性もある。
明治22年(1889年)に菩提村・横野村・羽根村・戸川村・三屋村が合併して北秦野村が誕生した。
西(秦野)地区
西地区は四十八瀬川以東の盆地西部にある「千村」・「渋沢」・「栃窪」・「堀川」・「堀西」・「堀山下」からなっている。『風土記稿』には「堀郷に属す。郷中の堀斉藤、堀沼代、堀川、堀山下の四村は古は一郷なりしが、後分村せしより各郷名をとって堀某村と唱う。その年代は詳ならざれど、永禄の頃既に川村分、斉藤分、山下分と三区分に分ち唱うこと所見あり。堀沼城村は後に堀斉藤村より分村せしなり」とある。永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」には堀村がなく、徳川の正保図(1664年)には堀村のみが示してる。元禄図(1688年)になると四村が載せてあることから、正式に分村したのは正保後といえる。堀斎籐村と堀沼城村は明治20年(1887年)頃から堀西村となった。
明治22年(1889年)に堀山下村・堀川村・堀西村・千村・渋沢村と栃窪の飛地が合併して西秦野村が誕生した。昭和26年(1951年)6月に西秦野村は、上郡の相和村の栃窪を併合した。昭和30年(1955年)前後から渋沢駅を中心に発展し、人口も急増して過去の姿とは全く一変している。近年では駅周辺の地名も改名されて「曲松一・二丁目」・「若松町」・「荻ヶ丘」・「沼代新町」・「柳町一・二丁目」・「並木町」・「春日町」・「松原町」・「弥生町」などの新町名になっている。
東(秦野)地区
寺山方面は平安時代中期頃から波多野氏が居を構えたところで、蓑毛は大山の登山口として古くからあった。永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」には蓑毛・寺山・落合・なこの木(奈古木)・東田原が記されているが、正保図になると西田原があり、元禄図になると小蓑毛も記されている。
明治22年(1889年)に「蓑毛村」・「小蓑毛村」・「寺山村」・「落合村」・「名古木村」・「東田原村」・「西田原村」が合併して東秦野村が誕生した。
本町地区
本町地区は旧曽屋村にあたり、
明治22年(1889年)に曽屋村(十日市場含む)と上大槻村、下大槻村の飛地と名古木村の飛地を分合し、秦野町が誕生した。
南(秦野)地区
南地区からは縄文式の遺品が多く発見され、古くから人が居住したことを示している。文保2年(1318年)の古文書その他に南波多野庄の名が見えるが、村名はまだ見当たらない。それが永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」になると、「今泉村」・「平沢村」・「尾尻村」の村名が記されている。尾尻から分村した「大竹」は正保図(1645年頃)にはないが、元禄図(1695年頃)にあることから、正式に分村したのはこの間であると考えられる。
明治22年(1889年)の町村制施行によってそれまでの大住郡平沢村・今泉村・尾尻村・西大竹村と栃窪の飛地が合併し南秦野村が誕生し、昭和15年(1940年)の町制施行により南秦野町となった。南秦野町はおおむね現在の西大竹、南が丘、立野台、尾尻、室町、大秦町、今泉、今泉台、今川町、上今川町、清水町、緑町、鈴張町、新町、平沢の範囲であるが、西大竹、尾尻、今泉、平沢以外は市街地の拡大や宅地造成によって生まれた町名である。
とくに昭和2年(1927年)に小田急急行鉄道の大秦野駅(現秦野駅)が尾尻に開設されてからは、駅北側の大秦町・室町・今川町・上今川町には商店や住宅地が増えて旧観をとどめていない。平沢西部も平沢工業団地が造成されるとともに各種事業所が増え、南が丘と立野台の宅地造成によって西大竹や尾尻の様相が大きく変貌した。また、秦野駅南口の再開発が進んでいることもあり、尾尻や今泉の北部は大きく姿を変えて行っている。
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例大祭 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
1 | 鶴巻上部 | 石座神社 | 鶴巻2345 | 4/第1土 | 小1 | 1 | 19 | |
2 | 鶴巻中部・下部 | 落幡神社 | 鶴巻756 | 4/第2土 | ||||
3 | 北矢名 | 菅原神社 | 北矢名395 | 4/25に近い日 | ||||
4 | 南矢名 | 八幡神社 | 南矢名1815 | 4/15頃 | ||||
5 | 下大槻 | 健速神社 | 下大槻611 | 9/第1日 | 大1・中1・小5 | 5 | 下大槻・南平・宿矢名の合同 | 16 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例大祭 | 神輿 | 山車 | 備考 | |
1 | 戸川 | 八幡神社 | 戸川1070 | 4/第1日 | |||
14 | 羽根 | 須賀神社 | 羽根714 | 4/第1土 | 神輿は明王太郎作 | ||
37 | 菩堤 | 熊野神社 | 菩堤730 | ||||
38 | 菩堤 | 子ノ神社 | 菩堤1117 | ||||
39 | 菩堤 | 花鳥神社 | 菩堤1740 | 4/第1日 | |||
41 | 横野 | 加羅古神社 | 横野608 | 4/3に近い日 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例大祭 | 神輿 | 山車 | 備考 | |
春日町 | 浅間神社 | 5/3? | |||||
7 | 渋沢 | 渋沢神社 | 渋沢2179 | 4/15? | |||
28 | 渋沢 | 須賀神社 | 渋沢2277 | ||||
29 | 渋沢 | 神明神社 | 渋沢2629 | ||||
19 | 千村 | 白山神社 | 千村1115,1125? | 4/29? | |||
9 | 栃窪 | 栃窪神社 | 栃窪301 | 4/6? | |||
31 | 波多川 | 天津神社 | 堀西766 | ||||
30 | 堀川 | 八坂神社 | 堀川580 | ||||
32 | 黒木欠畑(堀西) | 須賀神社 | 堀西1118 | 7/18近休日 | 大1・(大1)・中1・小1 | 本1・トラック1 | 19 |
34 | 堀西 | 神明神社 | 堀西7384 | ||||
20 | 堀西(堀斎籐・堀沼城) | 御嶽神社 | 堀西653 | 4/? | |||
33 | 堀山下 | 社護神社 | 堀山下681-イ | ||||
35 | 堀山下 | 八幡神社 | 堀山下998 | 4/18に近い日 | |||
36 | 堀山下 | 山神社 | 堀山下1541 | ||||
2 | 堀山下 | 稲荷神社 | 三屋95 | ||||
40 | 曲松 | 稲荷神社 | 曲松1-3-11 | 大1・中1・小3 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例大祭 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
27 | 蓑毛 | 御嶽神社 | 蓑毛728 | 4/19に近い日 | ||||
小蓑毛 | 神明社 | |||||||
8 | 寺山 | 鹿島神社 | 寺山792 | 4/10? | ||||
6 | 落合 | 八幡神社 | 落合664 | |||||
10 | 名古木 | 御嶽神社 | 名古木459 | 4/第3日? | ||||
25 | 東田原 | 東田原神社 | 東田原576 | 7/第3日? | ||||
26 | 東田原 | 朝日神社 | 東田原1343 | 7/14? | ||||
12 | 西田原 | 八幡神社 | 西田原404 | 3/最終日 | 大1・小1・樽5 | 2 | 13 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例大祭 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
21 | 上大槻 | 菅原神社 | 上大槻899 | 1/25? | ||||
45 | 曽屋 | 曽屋神社 | 曽屋1-8-10 | 7/20前後の日 | ||||
山谷 | 加茂神社 | 4/第1日 | ||||||
曽屋 | 熊野神社 | |||||||
17 | 御門(元町) | 八坂神社 | 本町3-12-8(元町2899-2) | 7/20前後の日 | 大1・小1 | 2 | 合同渡御・火渡り神事 | 16 |
地区名 | 神社名 | 鎮座地 | 例大祭 | 神輿 | 山車 | 備考 | 取材年 | |
3 | 今泉 | 今泉神社 | 今泉314 | 4/16に近い日 | ||||
18 | 今泉 | 白笹稲荷社 | 今泉1089,1090? | |||||
4 | 今泉 | 八坂神社 | 今泉377 | 10/中旬日 | ||||
今泉 | 稲荷社 | |||||||
5 | 尾尻 | 八幡神社 | 尾尻420 | 4/21近い日(21日より後) | 大1・小5 | 大1・小1 | 16・17 | |
13 | 西大竹 | 嶽神社 | 西大竹281-1 | 4/11に近い土 | ||||
15 | 平沢 | 御嶽神社 | 平沢1223 | 4/第1日 |
祭名 | 開催地 | 住所 | 祭日 | 神輿 | 山車 | 備考 | |
1 | 秦野たばこ祭 | 秦野市街 | 秦野市 | 9/末 |
タイトル | 著者/編集 | 出版/発行 | 出版年 |
波多野の歩み 民話と伝説 | 池田多嘉蔵 | 神奈川新聞社出版印刷局 | 1972(昭47) |
尾尻八幡山 ―尾尻八幡山遺跡発掘調査報告書― | 日野一郎・杉山博久 | 尾尻八幡山遺跡調査団 | 1976(昭51) |
秦野 郷土のあゆみ | 秦野市企画部市史編さん室 | 秦野市役所 | 1977(昭52) |
秦野地方の地名探訪 | 石塚利雄 | 株式会社創史社 | 1980(昭55) |
秦野市史民俗調査報告書 丹沢山麓の講集団 | 秦野市管理部市史編さん室 | 秦野市 | 1982(昭57) |
秦野風土記 世間話と信仰(上) | 岩田与一 | 岩田与一 | 1985(昭60) |
秦野市史民族調査報告書5 盆地の村 | 秦野市管理部市史編さん室 | 秦野市 | 1986(昭61) |
秦野市史 別巻 民族編 | 秦野市 | 1987(昭62) | |
秦野市史 通史2 近世 | 管理部市史編さん室 | 秦野市 | 1988(昭63) |
秦野ふれあいの道がいど 西地区編 | はだのまちづくりフォーラム | 夢工房 | 1989(昭64) |
秦野の石仏(一) ―大根・南地区― | 秦野市教育委員会社会教育課 | 秦野市教育委員会 | 1998(平10) |
秦野市文化財調査報告書5 秦野の絵馬と奉納額 | 秦野市教育委員会 生涯学習課 文化財班 | 同左 | 2002(平14) |
秦野市文化財調査報告書6 秦野市の寺社建築 | 秦野市教育委員会 生涯学習課 | 同左 | 2002(平14) |
尾尻神輿保存会 発足25年活動の歩み 灯火の美 | 尾尻神輿保存会 | 同左 | 2005(平17) |
ふるさと秦野景観100選 | ふるさと秦野景観選定事業実行委員会 | 秦野市まちづくり推進課 | 2006(平18) |
※上記の文献は他のページでも引用していることがあります。