黒木欠畑(堀西)
須賀神社
「須賀(すが)神社」の創立年代は不詳であるが、現在は黒木欠畑の氏神として崇敬されている。天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』に記載されている「堀齋藤村」の、「桂林寺」持ちであった「天王社」が須賀神社の前身であったと推測され、同村の小名であった「黒木ノ庭」の守護神として崇敬されてきたと思われる。なお、堀齋藤村の小名には欠畑ノ庭も記載されている。明治維新の神仏分離の時に上知し無格社となり、祭神は「牛頭天王(ごづてんのう)」から「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」に変更された。
現在の黒木欠畑自治会館はかつて堀山下地区にあった尋常小学校を須賀神社境内へ移築したものである。
須賀神社 | 社号柱 |
鳥居 | 社殿 |
石碑 | 石碑 |
境内 | 欠畑・黒木自治会館 |
桂林寺
「桂林寺(浄土宗)」は江戸時代に秦野市内にあった浄土三寺の内で最も古く、寛永10年(1633年)頃にできた「諸宗末寺帳」には小田原大蓮寺の末とある。『風土記稿』によると堀山下村にあった小庵を当所に移転したとあり、天正6年(1578年)に亡くなった円誉が中興開山したとされることから、円誉が桂林寺として現在地に寺の礎の確立を図ったものと推測される。
境内の「秦野念仏講中」の碑によると嘉永7年(1854年)に堀斉藤村を始め、曽屋・十日市場・平沢・渋沢・千村・羽根・東田原・西田原・柳川・菖蒲など、盆地内の多くの村人が念仏講を組織してこの供養塔を建立したことが分かり、この寺が当時盛んであった念仏講の人々を中心に秦野盆地内の信者を集めていたことが伺える。
月光山桂林寺 | 本堂 |
祭礼の歴史
『風土記稿』によると江戸時代の祭礼日は6月7日で、桂林寺持ちの観音堂境内に御仮屋を建てて神輿を渡し、14日に帰座したと記されている。その後の祭礼日は7月18日になり、現在は18日に近い日曜日となっている。
かつては「黒木欠畑青年会」が組織され、酒一升を持って入会し、年齢は30歳までであった。現在は青年会は解散となり、平成20年頃に「須佐王会」が組織され、囃子や神輿の運営を行っている。
夜宮準備 (集合9:00)
ここからは令和元年(2019年)7月20日(土)に行われた夜宮の様子を紹介する。祭礼の準備は一週間前の7月13日(土)にも行われ、朝9時から宮提灯の設置と幟立てが行われ、幟立てはクレーン車を使って幟竿を道路の両脇に立て、小さなの幟旗は近隣の氏子宅へ設置する。夜宮の準備は朝9時から始まり、午前中は須佐王会が山車の組み立てを行う。
8時半にお宮に着きました | まだ誰も来ていません |
先週の土曜日に提灯や幟竿 | 幟旗などの準備が行われました |
8時50分頃になるとダンプが | 到着しアオリを下す |
9時になると会館の鍵が開き | 倉庫のシャッターが開けられ |
中から山車の部材を運び出し | 境内に並べて行く |
荷台に土台を組み | 柱を立てていく |
一旦後方へずらし | 手摺を嵌める |
ハンマーでホゾを入れ込み | 金具を通して |
インパクトレンチで固定 | 山車を前方へ押し込み |
後方のアオリを閉めると | 軒桁を持ち上げ |
カケヤで柱に固定 | 使っている部材は太そうです |
小屋梁を渡し | 束を立て |
棟木を上げて | 上棟です |
金物で補強し | 破風を取り付ける |
垂木を取り付け | 簾の屋根をのせ |
ビスで固定 | 紅白テープを巻いていく |
こちらは簀の子を運び出し | 社殿へ移動 |
今年は天候が心配なため | ビニールシートを被せ |
軒下で固定 | 山車を再び後方へずらし |
横に板を渡すと | 電球の配線と |
提灯を取り付けていき | バッテリーを載せます |
キャブの前面には紅白幕 | 横板はのし紙の下地になります |
荷台周りにも紅白幕 | 電球の点灯確認 |
山車の準備がほぼ終わり | 12時になると会館内へ |
昼食を頂きます | 午後はいよいよ本山車の準備 |
午後は13時30分に自治会員が集合し、本山車と神輿の準備が行われる。
午後は12時50分から作業再開 | 大きな高張提灯です |
山車へ弓張提灯を運び | キャブ側に取り付ける |
締太鼓は角棒を一本固定し | 挟むだけのシンプルな枠です |
高張提灯にビニールを被せる | 準備を終えた山車は |
移動して道路側へ停車 | 締太鼓を増し締め |
会館から大太鼓を運び | 山車へのせる |
配達が来ました | 神事で使われるお神酒や供物 |
こちらは高張提灯を担いで | 坂道を下り |
交差点付近の | 道路の両側に設置 |
大太鼓を柱に結び付ける | 13時30分になると |
自治会員が集合し | 準備が始まる |
山車の倉庫へ移動し | 資材を取り出していく |
一方、半数は | お宮へ移動し |
社殿から賽銭箱を出して | 境内に馬を置く |
倉庫の資材は運び出して | 道路側の屋根下に移動 |
社殿では全ての扉を | 外します |
屋内から子供神輿を | 運び出し |
社殿横へ | 子供神輿はもう一基 |
社殿からおろし | 馬の上へ |
社殿から弓張提灯を運び出す | こちらは榊の準備です |
倉庫前では板を並べ山車の | 土台にロープを巻き付ける |
2本のロープに曳手がつき | ゆっくりと引いていく |
秦野市で本山車を | 所有している地区は |
黒木欠畑と落幡だけです | 板を車輪に合わせながら |
再び押していく | 黒木欠畑の財産ですね |
山車を出すと神輿の | 輿棒を運び出し |
社殿へ | 移動 |
社殿内の大神輿の棒穴へ | 轅を差し込み |
肩を入れて | ゆっくりと引き出し |
担ぎ棒を一旦抱えて | 向拝虹梁を潜る |
馬の上におろすと | 輿棒を抜いて |
社殿側から | 入れ直し |
楔で固定 | 拝殿を掃除 |
竹を積んだ軽トラが出発 | 御旅所へ向かいます |
倉庫はすっかりカラです | 本山車に階段を設置 |
社殿では白い幕を掛ける | 会館内では榊の準備 |
軽トラに明日の宮入り前に | 取り付ける脇棒を積み |
お宮を出発 | 神酒所へ向かいます |
お宮を離れ御旅所では | 神籬の設置作業 |
距離を測って杭を打ち込み | 竹に注連縄を渡す |
境内の本山車では注連縄を | 渡して弓張提灯を取り付ける |
拝殿では胡床を並べる | 御旅所に戻ると |
竹を杭に固定 | 結び方にコツがある様です |
忌竹が終わると今度は | 2本の竹に注連縄を渡し |
敷地の入口に | 竹の鳥居を設置します |
本山車の飾り付けを終え | 神輿には注連縄と榊が |
残った2個の高張提灯は | 軽トラックへ積んで |
御旅所へ運びます | 社殿では祭壇の準備 |
担ぐ方の子供神輿を | 広い場所に移動させ |
拭き掃除と | 榊で飾りつけ |
担がない方も掃除します | 向拝柱にも注連縄を張る |
倉庫から輿棒を運び | 子供神輿に差し込みます |
鳥居にも注連縄を渡す | フェンスでは幟旗を整える |
役員が被る麦藁帽子です | 子供神輿では捩り掛け |
道路では電柱に注連縄を張る | 山車に締太鼓を設置 |
天候が心配なので本山車と | 神輿にブルーシートを被せる |
2基の子供神輿も | シートで覆います |
社殿の扉を閉め | 16時50分に自治会員が集合 |
麦藁帽子を配り | 準備を終えた自治会員は解散 |
夜宮 (開始17:00)
準備が終わると17時から夜宮が始まり、囃子を演奏しながらトラック山車が黒木欠畑地区を3回巡行する。
準備が終わると | 山車を前に移動させました |
蚊取り線香の準備です | 17時になると太鼓が始まる |
本山車のシートを外し | 提灯のLEDローソクを点灯 |
倉庫のシャッターを | 下します |
昔は青年が引っ張っていました | 17時25分頃に一旦中断し |
子供達はアイス休憩 | 山車の弓張提灯も点灯します |
両サイドの提灯は発電機で点灯 | 子供達が再び山車に乗り込み |
ライトが見える様に幕を上げ | 17時50分頃に山車が出発 |
交代の叩き手を乗せた | 軽自動車と共に巡行へ向かう |
境内では軽食を取りながら | 須佐王会が待機 |
山車は40分弱巡行すると | 18時30分頃に境内に到着 |
バックで入り | 子供達は山車を降りて |
暫しの休憩 | その間に山車では |
大人を中心に太鼓を叩く | 子供達も順番に参加し |
18時50分頃になると | 再び境内を出発し |
2回目の巡行に向かいます | 天気は大丈夫そうです |
40分弱の巡行を終え | 19時25分頃に戻ってきました |
すっかり暗くなりました | 子供の時間が終わり |
夜は大人の時間です | 本山車では弓張提灯を外す |
19時45分頃になると | 3回目の巡行に出発 |
山車は20分程で巡行を終え | 20時5分に広場に到着 |
宵宮の巡行は終了です | 急遽バーベキューが始まりました |
巡行が終わっても | 山車では太鼓が続きます |
私も飛び入り参加しました | 太鼓は9時過ぎまで叩き |
宴が続きます | 22時45分頃に夜宮を切り上げ |
消灯 | 明日は愈々大祭本番です |
このあとは大祭準備へ。
囃子と山車
黒木・欠畑地区に伝わる祭囃子は「大太鼓1」・「小太鼓2」で構成され、かつては笛が入っていたが戦後に途絶えてしまい、平成の後期になって寄の弥勒寺祭囃子保存会から笛を習って取り入れている。演奏する曲目は1曲で、平成18年(2006年)発行の『神奈川県の民俗芸能』には「ショウデンバヤシ」と記載されているが、地元では特に決まった呼び名はなく、リズムから「テンテコマッツァン」などと呼ぶことがある。
太鼓の練習は1年を通して毎月1回のペースで行われ、例大祭の2週間前は木曜日を除いた毎日行われる。かつては軽トラックに太鼓を載せて叩いていたが、現在はトラックに櫓を乗せた山車で巡行している。
トラック山車(正面) | トラック山車(側面) |
締太鼓は角棒で挟み込み | 大太鼓は柱に結び付ける |
太鼓は立って叩く | 笛も入ります |
太鼓の練習は自治会館と | 社殿前でも行われる |
囃子 |
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黒木欠畑には高さが約3mある檜造りの山車が残されており、屋根は唐風、前後左右に青龍・朱雀・白虎・玄武などの彫刻が施されている。一つの木材から鳥籠と中の鳥が彫られているなど緻密な細工が多く、秦野市で曳く形式の山車が現存しているのは黒木欠畑と鶴巻の落幡だけである。制作年代が記された棟札などは残されていないが、伊勢原市の宮大工の見解では江戸時代後期には、既に製作されていた可能性が高いとされている。
かつてはこの山車に太鼓・笛・踊り手が乗り、青年がこれを曳いた。まず神輿を担いである程度進むと神輿を置き、次に山車を神輿のそばまで曳いてまた神輿を担ぐ。これを繰り返しながら地区を回った。現在は夜宮と大祭の時に自治会館前の広場に出して飾り付けをするだけである。
山車(正面) | 山車(側面) |
唐風の屋根 | 籠の中の鳥 |
どれも見事な | 彫刻です |
神輿
黒木欠畑には大神輿(以下須賀社神輿)が1基と子供神輿2基(中型と小型)があり、この他にも大型の神輿が1基あるが祭礼時に担がれることはない。須賀神社神輿の制作年代および製作者は不詳である。また、平成28年頃までは子供神輿を2基担いでいたが、現在では子供の数の減少もあり小型の子供神輿1基だけとなっている。
黒木欠畑での神輿の掛け声は「オイサ」で、秦野市内での一般的な担ぎ方である「セリ」とは掛け声が異なる。また、差し上げ前に神輿を上下に振るのもセリでの差し上げ方との違いである。輿棒は二点棒にトンボを付けた状態で担ぎ、宮入り前に脇棒を2本追加して四点棒にする。
須賀神社神輿 | 捩り掛け後 |
提灯取り付け後 | 宮入り前は四点棒に |
中神輿(子供神輿) | 小神輿(子供神輿) |
神輿を上下に振ってから | 差し上げる |
掛け声 |
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大祭準備 (集合7:30)
ここからは令和元年(2019年)7月21日(日)に行われた例大祭の様子を紹介する。例大祭当日の集合時間は8時になっているが、役員だけは7時30分に集合して幟上げなどの準備を始める。
大祭当日は役員だけ7時半集合 | 神輿からブルーシートを外す |
自治会館の鍵が開き | 幟を出して |
竿に上げて行く | 太鼓からもブルーシートを外す |
本山車から | ブルーシートを外す |
西側の幟が上がり | 続いて東側の幟上げ |
会館のシャッターを開ける | ブルーシートを折り畳む |
山車を前方へ移動 | 倉庫から幟旗が出てきました |
東側の幟も上がり | 2本の幟が靡きます |
今日も配達が来ました | なんと金目鯛です |
自治会館内から | 花飾りを持ち出し |
フェンスに立て掛けると | 等間隔に取り付けて行く |
こちらが受付になります | 山車にのし紙を貼っていく |
お返しは須佐王会のタオル | 金一封を初めて見ました |
花飾りは本山車にも | 軒下に付けて行く |
子供神輿のシートも外される | 社殿の扉も開きました |
全体の集合時間の8時になり | 朝礼が行われる |
本山車に弓張提灯を取り付ける | 朝の準備がスタート |
須佐王会は神輿の準備 | 社殿の扉が取り外される |
会館前を掃き掃除 | 木札を頂きました |
神輿では捩り掛け | 社殿内では供物の準備 |
須佐王会のメンバーが移動し | 捩り掛けを手伝います |
拝殿を掃除 | 供物用のお神酒を運ぶ |
社殿前を掃き掃除 | 捩り掛けは露盤から蕨手へ |
輿棒に渡し | 蕨手の下で纏めます |
続いて白い晒を広げ | 露盤に巻き付ける |
祭壇の準備ができました | 晒は露盤から蕨手へ |
最後に轅へ渡し | バチで締め上げる |
鳳凰を渡し | 露盤へ差し込み |
晒で翼と | 露盤を固定します |
続いてトンボの取り付け作業 | 育成会は半纏と襷の確認 |
須佐王会は飲み物の準備 | 9時前に宮司が到着し |
ヒの掛かった氏子を | お祓いします |
灰色の祭禮の半纏を着た | 方たちが社殿へ向かう |
轅の繋ぎ部は晒で覆う | これから御霊遷しの |
リハーサルが行われます | 宮司を絹垣で覆って神輿へ |
リハーサルも初めて見ました | 固定は金物が使われます |
子供達が集まり | 半纏が配られる |
発輿式 (開始9:20)
準備が終わると9時20分から発輿式(はつよしき)が執り行われ、最初に本殿から神輿へ御霊が遷され、堀山下の八幡神社の宮司を祭主として神輿前で神事が執り行われる。
9時20分になると | 関係者が社殿へ向かい |
神事が始まります | 宮司が本殿へ向かい |
本殿から御霊を取り出し | 絹垣で覆って移動し |
神輿に御霊を遷すと | 神輿前で神事が始まる |
最初に一同拝礼 | 神輿を修祓 |
続いて参列者をお祓い | 須佐王会を修祓 |
最後に境内の氏子をお祓い | 続いて祝詞奏上 |
続いて宮司から玉串奉奠 | 氏子総代 |
須佐王会 | 最後に育成会が拝礼 |
一同拝礼で神事が終了 | 子供達が境内に上がります |
神輿渡御・午前 (宮立ち9:55、御旅所着10:20)
9時35分に発輿式が終わると、幟旗と子供神輿が先にお宮をお立ちし、続いて一本締めで大神輿がお立ちする。最後に囃子の山車が境内を出発し、一行は御旅所へ向かう。なお、宮立ち後は社殿内で式典が執り行われ、式典後は宮司と自治会関係者が自治会館で直会を行う。午前中の渡御は須賀神社から御旅所までで、関係者はいったん解散して各自で昼食を取る。
御霊入れが終わった神輿は | 胴部に晒を巻きます |
子供神輿を御祓いし | 子供達を記念撮影 |
幟旗を持った子供達が | 最初に境内を出ます |
もう直ぐ宮立ちです | 玉垣上に提灯用の紐を渡す |
須佐王会はお発ち前に | 記念撮影 |
お神酒で乾杯し | 輿棒に付きます |
子供達が神輿に付き | 担ぎ上げて |
お宮を出発 | 坂道を下ります |
続いて須佐王会が一本締め | 神輿を担ぎ上げると |
階段を降り | 鳥居を潜って |
いよいよ出発です | 山車では太鼓を叩く |
大神輿がお立ちすると | 最後に山車が出発 |
一行は坂を下ると | 十字路の交差点を |
左折し東南方向へ | 越後屋を通過 |
先頭の子供神輿は | 幟旗に先導されています |
ここで後方の山車が | 大神輿の前に移動 |
午前中は氏子だけで担ぎます | 太鼓は立って叩きます |
私も肩を入れました | 御旅所前まで来ました |
子供神輿は既に到着 | 大神輿は向きを変え |
神輿を一旦抱えて | 竹の鳥居を潜る |
敷地の中央へ進むと | 正面を玄関へ向け |
神輿を差し上げて | そのまま後退 |
山車は道路で待機 | 担ぎ手は肩を入れ換え |
抱えて神輿を | 神籬内へ納めると |
神輿を差し上げて | 馬の上におろす |
軽トラックが到着し | 飲み物を配ります |
叩き続ける山車のお囃子 | 神輿には賽銭箱と祭壇が |
午前中の渡御は御旅所まで | 一旦解散となります |
山車がバックで敷地内へ | 奥の方へ止まります |
祭壇には | 供物を並べる |
11時前に須佐王会も解散 | 私はお宮行きの山車に |
乗り込み | 御旅所を出発 |
途中で右折し | 荷物を取りに会員のお宅へ |
後ほどこちらの纏が登場します | 11時10分に自治会館に到着 |
会館内では直会が続く | 私は須佐王会のメンバーと昼食 |
会館内で仮眠を取り | 13時30分になると |
山車へ乗り込み | お宮を出発 |
お立ち式 (開始14:00)
午後の神輿渡御に際して御旅所ではお立ち式が執り行われる。なお、午後からの渡御は神輿担ぎの応援として堀山下の山下睦と、囃子の付き合いがある松田町寄の弥勒寺祭囃子保存会が参加する。
御旅所へ戻ってきました | 須佐王会が飲み物の準備 |
お神酒が用意してあります | 応援の弥勒寺祭囃子保存会 |
供物が届きました | 朝の金目鯛です |
子供達も集まり始める | 供物の再確認です |
宮司が到着し | 準備が整うと |
14時丁度に | 神事が始まります |
最初に一同拝礼 | 修祓 |
神輿と | 参列者をお祓い |
献饌 | 祝詞奏上 |
玉串拝礼は宮司から | 各団体の代表者が続きます |
御旅所の世帯主の方です | 黒木自治会長 |
欠畑自治会長 | 組長代表 |
交通指導員 | 須佐王会 |
最後に育成会 | 撤饌 |
最後に一同拝礼 | 子供神輿をお祓い |
神輿渡御
●御旅所 (出発14:30)
14時10分頃にお立ち式が終了し、お神酒を頂いてから幟旗と子供神輿、囃子の山車と大神輿が御旅所を出発する。
各自でお神酒を頂き | 神輿から祭壇と |
賽銭箱を移動 | お囃子の演奏が始まる |
神事の道具を積んだ | 軽トラがお宮へ戻ります |
幟旗を持った子供達と | 子供神輿が出発 |
御旅所を出て右折し | 東南方向へ進んで行く |
続いて大神輿に肩を入れ | 一本締めて |
担ぎ上げると | 神籬を出て |
御旅所を出発 | 黒木欠畑地区を渡御します |
●宮入り (到着19:30)
黒木欠畑地区の巡行を終えた大神輿は鳥居を潜って宮入りし、社殿前で差し上げて輿をおろすと、一本締めて神輿渡御が幕を閉じる。
神輿は鳥居を潜り | 石階段を上がって |
一気に社殿前に押し寄せ | 上下に大きく振って差し上げ |
馬の上におろして宮付け | 一本締めて無事に渡御を終える |
式典・片付け・直会
神輿が宮入りすると提灯と捩りを外し、御霊を神輿から本殿に遷して、社殿内で式典が執り行われる。式典後は神輿を社殿内に収め、自治会館で直会が行われれる。
須佐王会は直ぐに神輿から | 提灯を外します |
参拝客が帰路に着く | 山車は社殿横に停車 |
幟竿から | 幟をおろす |
神輿では脇棒と | トンボも外して |
倉庫へ運んでいく | 続けて捩りも外します |
御霊遷し前に行うのは | 珍しいです |
19時50分頃に御霊が遷される | 会館では担ぎ手が直会 |
19時55分からは社殿内で | 式典が執り行われる |
山車が境内へ入ります | 神事が終わると |
轅を抱えて | 神輿を移動 |
轅の先端を台車に載せ | 奥へずらしていく |
最後に輿棒を抜いて | 倉庫へ移動 |
神輿をしまい終わると | 社殿周りの後片付け |
山車は明日解体されます | 倉庫内も後片付け |
直会を終えた山下睦を | お見送り |
露天商も店を畳みます | 社殿の扉を閉め |
自治会館へ移動 | 弥勒寺もお見送り |
直会が続きます | 黒木欠畑の皆様お疲れ様です |
翌日の7月22日(月)の8時30分からは後片付けが行われ、後日に残払い(ザンバライ)が行われる。
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