御門
八坂神社
八坂神社の祭神は「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」・「稲田姫命(いなだひめのみこと)」・「八柱御子神(やはしらみこがみ)」である。創立年代は不詳であるが、牛頭天王を祀ってあったことから「御門(みかど)」という地名になったとの伝説がある。
天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』には「牛頭天王社」を曾屋村の小名であった御門の鎮守とし、槻樹(囲り八尺三寸)を神木とした。幣殿・拝殿・神楽殿等があり、鐘楼には享保12年(1727年)鋳造の鐘を掛けていた。末社には「弁天」・「蘇民将来(そみんしょうらい)」・「稲荷」が記されている。石灯籠には享保3年(1718年)と刻まれていて、その往時が偲ばれる。明治4年(1871年)の『八坂神社明細帳』によると勧請年紀は不詳で、旧号は牛頭天王と唱えていたが、慶応4年(1868年)9月中鎮守府御伝達所において「八坂大神」と改称したとある。
明治6年(1873年)7月に曽屋村7社合併の時に曽屋神社へ合祀されたが、御門の氏子の信仰が篤く、合併後も正月9日、5月5日、9月9日の中祭などの神事を執行し、鳥居、狛犬、手水屋などの献納や神楽殿の建築などもなされ、独立の希望高く、昭和51年(1976年)9月に神社庁の承認を得て八坂神社を新たに創立し、翌年宗教法人となった。
社殿前に残る燈籠には「享保元辛酉歳 湖東日埜住 天(矢?)野文右衛門」と銘が刻まれている。この天(矢?)野家が近江国(滋賀県)日野より秦野へ来て、金目川の水を頂き、造酒屋を営まれたという。
八坂神社 | 鳥居 |
狛犬 | 燈籠 |
拝殿 | 覆殿・幣殿 |
社務所(神楽殿) | 輿堂 |
社務所玄関 | 水鉢 |
幟の支え柱 | 境内 |
御門の歴史
八坂神社の氏子範囲である御門の名称は現在の住所表記ではなくなっており、旧御門地区の区画は新たな町の成立によって分かり難くなっているが、金目川の西側に位置する元町と本町3丁目の一部、金目川の東側に位置する曽屋の一部から構成されている。
元町8にある光明山龍門寺(天台宗)には、天慶3年(940年)に藤原秀郷と甥の平貞盛らに討伐された平将門の冥福を祈って、後世の人がこの寺を建てて寄進したという寺伝が残っている。また、秦野の地には平将門が居を構えたという説があり、元町の龍門寺辺りに館を構えたと伝えられている。館のあったところを「御門」といい、付近には「祇園」・「加茂」・「河原町」などの地名が残っている。
光明山龍門寺(天台宗) | 本堂 |
準備(幟立て・神輿清掃)
御門では大祭の1週間前に準備が行われ、幟立てや神輿の清掃、そして太鼓の山車の組立てや社務所の提灯付け等が行われる。ここでは平成28年(2016年)7月17日の日曜日に行われた準備の様子を紹介する。準備は早朝の7時頃から始まり、昼食を挟んで14時30分頃まで続けられた。
大祭の1週間前 | 準備は8時スタート予定ですが |
7時前から | 太鼓を叩く準備が始まる |
社殿横に太鼓をセットし | 囃子を演奏 |
輿堂では | 扉を開ける |
境内に軽トラが到着し | 荷台から |
葉の付いた枝を降ろし | 社殿前へ置く |
輿堂から竹を | 運び出し |
こちらも社殿前へ | 幟竿からカバーを外す |
神輿の馬も | 社殿前へ |
こちらの馬は | 社務所前へ |
大きな木の台を | 2個運び出し |
並べて置くと | 小物を運んで |
台の上へ | 並べて行く |
太鼓の練習が続く中 | 雑巾で馬や |
幟竿などを | 拭き掃除 |
竿にはバケツで水を掛けて | 汚れを落とす |
ここで轅がお宮に到着 | 社務所前へ降ろします |
境内では草刈りが始まる | もう直ぐ幟立てが始まります |
轅がもう一本 | 担ぎ運ばれ |
境内に到着 | 社務所前に降ろす |
支柱の間に挟んでいた | 柱を抜き取る |
轅も雑巾で拭き掃除 | 刈った草を集めます |
太鼓は休憩を挟み | 再び叩き始める |
葉の付いた枝は | 束にして竹に差し込む |
こちらの梯子は | 何に使われるのでしょうか? |
輿堂からは | 子供神輿が運び出され |
社務所前に置かれた | 台の上におろす |
輿堂内では作業が続く | 幟竿の先端に付けるようです |
輿堂から | 鉄パイプを運び出し |
奥にあったもう1基の | 子供神輿を運び出す |
最後に残ったのは大人神輿 | 境内に並ぶ2基の子供神輿 |
先ほどの轅を担ぎ上げ | 大人神輿の棒穴へ |
ここで時刻が集合時間の | 8時になったので |
神輿の作業を中断し | 祭典委員長の挨拶 |
太鼓の方も演奏を止め | 太鼓と台を社務所へしまう |
本日の準備の流れを | 委員長から説明し |
いよいよ幟立てがスタート | 幟竿を運び |
東と | 西の支柱前に置く |
ここで青年会は輿堂へ移動し | 轅に肩を入れる |
幟竿の先端に竹を取り付け | 幟を吊るす部材を差し込む |
輿堂では神輿を担ぎ上げ | 前進して |
社務所前へ輿をおろす | 幟を吊るす縄を通し |
竿を引く縄を結びつける | 神輿では古い注連縄を外し |
新しい縄を渡す | 神輿を皆で掃除 |
幟立ては | 最初に東側から |
始めは人の手だけで | 出来るだけ竿を起こし |
ここで先程の3つの梯子が登場 | 後ろから順番に |
竿の下へ入れ | 3つの梯子を並べると |
竿を持ち上げながら | ゆっくりと |
前方へ | 移動して行く |
幟立ての取材は | 初めての経験です |
神輿ではハタキで埃を落とす | 梯子は支柱に近づき |
先頭の梯子が抜け | 2本の梯子で押し上げる |
3本のロープもバランスを | 取りながら引き上げる |
ロープを支柱に巻き付け | 最後の1本の梯子で押し上げる |
幟竿が垂直に立つと | 貫を横に通して固定 |
6分程で1本目が立ち上がる | 貫は楔で固定 |
続いて西側の幟に | 取り掛かります |
根元にボルトを通し | ロープを掛けると |
竿を持ち上げ | 梯子を入れる |
一年間の汚れを | 念入りに取り除く |
近年では金属製の竿を | 常設する所が多くなりましたが |
御門では現在も | 人力のみで幟を立てています |
息の合った作業で | 竿を立ち上げ |
貫を差し込んで | 竿を支柱に固定 |
聳え立つ2本の幟竿 | 社殿から大幟を運び出し |
東側から | 幟を取り付け |
ロープで | 引き上げて行く |
西側も同様に | 大幟を取り付ける |
社殿では扉を外し | 古い注連縄を取り外す |
大人神輿に人を集め | 社殿の入口に座布団を敷く |
轅に肩を入れ | 神輿を担ぎ上げると |
参道へ向かい | 社殿前に神輿を寄せる |
神輿を少しずつ | 下げ |
社殿内に神輿を入れると | 座布団の上に置きます |
神輿から轅を抜いて | 社務所前の馬の上に置く |
西側の幟が上がっていく | 社殿横では注連縄の準備 |
社務所前から | 子供神輿を運び |
社殿へ運ぶと | 大人神輿の隣に置く |
轅は | 輿堂へ収納 |
境内中央では | 各組の代表者が列を作り |
社殿横に並べられた | 注連縄を受け取る |
東西の大幟が揃いました | 注連縄を受け取ると |
社務所へ移動し | 祭礼関係の備品を受け取る |
神輿用の飾り金物の掃除 | 水鉢の両脇には竹を立てる |
御門では祭典委員が組織され | 八坂神社例大祭を運営します |
社殿前や | 輿堂 |
境内を | 掃き掃除 |
輿堂から | 金属製のパイプを運び出し |
奥の倉庫からは | べニアを運び出す |
どうやら | のし紙の掲示板のようです |
中央の倉庫の扉を外し | 中から |
運搬用の車を | 移動 |
荷台の上の | 白い枠を降ろし |
エアーでゴミを飛ばして | 雑巾で拭き掃除 |
白い枠を荷台へ戻し | ボルトで固定 |
社殿では外した扉を | 元通りにはめ直す |
ここで片町地区の軽トラが到着 | 1年間預かっていた片町の |
子供神輿を荷台へ載せ | 軽トラは片町地区へ引き返す |
掃除を終えた荷車は | 元の倉庫へ入れる |
飾り金物の | 磨き作業を終え |
鳳凰を担いで | 社殿へしまう |
境内の西側では | 掲示板の設置作業 |
10時15分頃になると | 休憩を取ります |
休憩中に | ダンプが到着 |
荷台には境内にまく | ビリ砂利を積んでいます |
10分程で休憩を終え | 作業を再開 |
こちらは鳳凰に付ける | 稲穂飾りの作成 |
ここで急遽、枝切り作業に | 同行させて頂くことに |
軽トラに乗り込み | お宮を出発 |
最初の現場に到着しました | 家主に挨拶をして |
作業開始 | 道路にはみ出した枝を切る |
高さがあるので | 梯子を用意 |
神輿渡御の妨げにならない様 | 枝を切っていく |
荷台の両サイドにベニアを立て | 切った枝を積んでいく |
問題なく神輿が通れそうです | 1箇所目でかなりの枝の量です |
細かい落ち葉なども | 念入りに掃除し |
荷台へ乗り込むと | 次の現場へ移動 |
次のお宅では | 軽トラを利用して |
上部の枝を切り取り | そのまま荷台へ載せる |
軽トラをバックさせ | 後方の枝も切り落とす |
軽トラを移動させ | ここでもきちんと掃き掃除 |
荷台がいっぱいになったので | 一旦お宮へ戻り |
社殿の裏手に | 枝をおろす |
荷台を空にすると | 再び枝切りに出発 |
砂利を敷き終わった境内では | 輿堂前に台を移動し |
輿堂から軽トラ山車の | 部材を運び出す |
これから | 山車の組立てが始まります |
土台の四隅に柱を立て | ここで昼休憩の時刻 |
12時から社務所にて | 昼食を取り |
12時40分に再び作業開始 | ここで大きなトラックが到着 |
社務所前に止まる | 土台をボルトで固定 |
トラックに | 木の枠を上げる |
山車では柱に桁と | 梁を載せ |
束を立てる | 社務所では木の枠を吊り下げ |
トラックをバックさせ | 木枠をもう一つ設置 |
トラックは提灯付けの為でした | 山車では棟木をのせ |
前後に破風を | 取り付ける |
提灯を右から埋めて行く | 屋根材を |
山車の上部に被せ | ビスで固定 |
左端は梯子を使い | 木枠が提灯で埋まる |
トラックは役目を終え | 神社を出発 |
残る木枠は一つ | さらに下に付くようです |
組み立てを終えた山車は | 社殿と輿堂の間へ移動 |
山車をおろして | ブルーシートで被う |
使い終わった木箱は | 輿堂へ |
この木箱は | 祭礼中も活躍します |
道具をしまい終えると | 輿堂の扉を閉める |
提灯枠を固定し | 中央からバランスよく並べて行く |
今日の準備はこれで終了 | 来週はいよいよお祭りです |
宵宮準備
ここからは平成28年(2016年)7月23日の土曜日に行われた、八坂神社例大祭の前日の宵宮について紹介する。宵宮では早朝7時前から準備が始まり、神輿の捩り掛けや式典の準備を中心に作業が進められる。準備の間には祭礼を知らせる触れ太鼓として、太鼓の山車が御門地区を巡行する。なお、大きい方の山車は宵宮前日の太鼓の練習の時に、組み立て作業を行った。
時刻は6時40分ですが | 太鼓の準備は既に始まっている |
昨日組まれた山車です | 軽トラ山車に提灯を付ける |
社殿では扉を外す | 御門の朝は早いです |
軽トラ山車に | 発電機を載せる |
柱に座布団を巻き | 大太鼓を結びつける |
社殿内には日曜日に納めた | 大小の神輿 |
社務所から締太鼓を運び出し | 軽トラ山車の枠へセット |
輿堂では扉を開け | 木の台を運び出し |
社務所前へ移動 | 軽トラ山車と大きい方の山車の |
発電機をロープで固定 | 台を2つ並べます |
神輿の馬は | 西側の掲示板前へ |
轅を取り出し | 先ほどの馬の上へ |
2本目も運び出し | 掲示板の前へ |
2本の轅を | 箱台輪の棒穴へ |
通します | 準備を終えた山車では |
2台共にブッツケから | バカッパヤシを叩く |
社殿では前棒に肩を入れ | 担ぎ上げる |
ゆっくりと前にずらし | 後ろの轅にも肩を入れ |
参道で | 馬の上におろすと |
神輿から轅を抜き | 輿堂へしまう |
ここで大きい方の山車が | お宮を出発し巡回へ向かう |
子供神輿も社殿から外へ | 社務所から轅を取り出す |
こちらが渡御用の轅のようです | 他の轅も社務所から出し |
濡れたタオルで | 拭き掃除 |
鳥居には注連縄を張る | 綺麗になった轅を |
棒穴へ差し込む | こちらの方が明るい色です |
短い轅も | 2本運び |
縦の轅の上に渡す | 子供神輿にも轅を通す |
馬を箱台輪から外し | 楔で箱台輪と轅を固定 |
子供神輿にも横棒が付く | 軽トラ山車は境内で演奏 |
日曜日に掃除した | 荷車を出す |
大人神輿には | 蕨手を取り付ける |
巡行していた山車が | お宮へ到着 |
いよいよ | 捩り掛けが始まります |
社殿内から鳳凰を運び出し | 露盤に足を差し込む |
晒を折り畳むと | 鳳凰から捩りを掛けて行く |
晒はさらにもう1本 | 社務所では提灯の準備 |
荷車のタイヤには | コンプレッサーで空気を入れる |
子供神輿では横棒を固定 | 大人神輿では対角に捩り掛け |
輿堂にも注連縄を張る | 水鉢は竹で飾り付け |
子供神輿にも鳳凰を付ける | こちらも気持ち前傾姿勢です |
子供神輿を馬からおろし | 台の上に移す |
子供神輿でも晒を折り畳み | 捩り掛けが始まる |
社殿では注連縄を張り | 幕を取り付ける |
子供神輿も鳳凰からスタート | 大人神輿では3本目の晒 |
子供神輿はベテランの青年会員 | により手際よく作業が進む |
大きい山車に叩き手が | 乗り込み太鼓を叩く |
社務所には大量の提灯 | こちらは神輿に飾る榊の準備 |
大人神輿では4本目の晒 | 社殿では椅子を並べる |
山車がお宮を出発し | 再び町内を巡行 |
捩りは蕨手から | 轅に |
1年に1回 | 思い出しながらの作業です |
仕上げはバチを入れ | 均等に捩じっていく |
大人神輿の捩り掛けが完了 | 今にも飛び立ちそうです |
子供神輿も最後の仕上げ | 蕨手に小鳥を差し込む |
荷車に紅白幕を巻く | 大人神輿のバチに |
鈴を付けると | 神輿を一旦持ち上げ |
馬を箱台輪の下にずらし | 横棒を縄で固定 |
軽トラ山車では太鼓を叩き | お宮を出発 |
再び巡行に向かいます | 社殿では祭壇の準備 |
子供神輿にも鈴を付ける | 神輿用の榊です |
巡行中の軽トラ山車が | お宮の前を通過 |
神輿の鳥居に榊を飾る | 轅に楔を打ち直す |
社務所から大きめの提灯を出し | 神輿の四隅に取り付ける |
軽トラ山車が | 再び境内の前を通り過ぎる |
捩り掛けを終えた子供神輿も | 榊を飾り付ける |
荷車を押し | お宮の外へ移動して行く |
巡行していた山車が | お宮に到着 |
神輿に注連縄を回し付ける | こちらは稲穂飾りづくり |
大人神輿と子供神輿の | 鳳凰に稲穂飾りを取り付け |
ここで尾尻青年会が挨拶 | 私も取材でお世話になりました |
こちらは竹の先端に | 提灯を取り付ける |
一台の軽トラが到着 | 荷台には大量の麦藁 |
軽トラ山車が戻って来る | 飾りつけを終えた神輿を |
担ぎ上げて | 180度旋回 |
正面を社殿側へ向ける | 軽トラ山車がお宮に到着 |
麦藁は倉庫へしまう | 何に使われるのでしょうか? |
神輿はギリギリまで社殿へ寄せ | 馬の上におろす |
山車が巡行へ出発 | 祭壇は準備が整う |
青年会は10時前に一旦解散 | 軽トラ山車も巡回に出発します |
宵宮式典 (開始10:00)
宵宮では10時から八坂神社の社殿にて式典が執り行われ、出雲大社の宮司を祭主として神事が執り行われる。式典後は神輿を白い幕で覆い、御霊が本殿から神輿へ遷されると、社務所にて直会が開かれる。
9時15分頃に軽トラ山車と | 大きい方の山車が |
お宮に戻って来る | 宮司と式典の打ち合わせ |
式典の出席者が集まり始める | 受付でご祝儀を渡します |
のし紙を掲示板へ張る | 式典5分前になり |
出席者が社殿へ | 宮司も祭壇へ向かい |
椅子に着席すると | 10時に太鼓の合図で |
式典が始まる | 境内にも出席者が並ぶ |
一連の | 神事が終わると |
出席者は社殿を出て | 神輿を白い布で |
一周 | 覆います |
神輿へ渡る板にも布を敷き | その布は本殿まで伸びる |
宮司により本殿から | 神輿に御霊が遷され |
御霊遷しが終わると | 神輿から布を外していく |
10時35分頃に太鼓を叩き | 山車がお宮を出発 |
御門地区の | 巡行に向かう |
式典後は社務所へ上がり | 直会が開かれる |
発輿祭 (開始11:40)
11時40分からは神輿渡御の出発に際し、境内で発輿祭が執り行われる。
11時過ぎに山車が戻って来る | 子供神輿に祭壇を用意 |
御霊入れが済んだ大人神輿は | 担ぎ上げて |
180度旋回し | 正面を鳥居側へ向ける |
大人神輿にも祭壇を設置 | 青年会が集合し |
祭典委員長から渡御の説明 | 関係者に木札が配られる |
鳥居前では神職により厄払い | 11時40分になると神職による |
竜笛の演奏で | 発輿祭が執り行われる |
初めに修祓 | 大人神輿をお祓い |
続いて子供神輿をお祓い | 宮司や |
参列者をお祓い | 大きい方の山車と |
軽トラ山車をお祓い | 続いて子供神輿に御霊を遷す |
宮司により祝詞奏上が行われ | 各団体の代表者による |
玉串拝礼 | こちらは祭典委員長です |
子供神輿でも | 子供たちによる玉串拝礼 |
宮司から子供達へ | 挨拶があり |
社務所前で | 立ちお神酒を頂く |
宵宮渡御
八坂神社の例大祭における神輿渡御は宵宮と大祭の2日間に跨って行われ、太鼓の山車2台と共に大人神輿と子供神輿が御門地区を渡御していく。以下に、宵宮渡御の様子を紹介する。
●宮立ち (出発12:10)
神輿渡御は祭典委員長の挨拶で幕を開け、子供神輿と大人神輿の順で八坂神社を出発する。
子供神輿と | 大人神輿では記念撮影 |
祭典委員長から挨拶があり | いよいよ宮立ちです |
宮昇殿の曲で | 子供神輿からお立ち |
鳥居を | 潜り |
お宮を出発 | 山車に先導され西へ向かう |
続いて大人神輿に肩を入れ | 社殿前を出発 |
参道を | 進み |
鳥居前で | 肩からおろし |
慎重に鳥居を潜ると | 宮立ちです |
右折して子供神輿の後を追う | 最後尾は軽トラ山車が続く |
いよいよ・・・ | 宵宮渡御の始まりです |
囃子
御門に伝わる祭り囃子は「御門祭囃子保存会」によって伝承されている。御門に伝わっている曲目は「オハヤシ(バカッパヤシ)」・「ミヤショウデン(宮昇殿)」・「ジショウデン(地昇殿)」の3曲で、オハヤシは「ブッツケ」から始まり、祭礼中の殆どで叩かれる曲である。ミヤショウデンは神輿の宮立ちと宮入りの際に演奏され、「アガリ」と呼ばれる繋ぎの曲でオハヤシに移る。ジショウデンは火渡り神事が始まる時に演奏され、ミヤショウデンと同様にアガリでオハヤシに繋げられる。
囃子の構成は締太鼓2つと大太鼓1つで1カラとなり、かつては笛と鉦が入っていたが、一時期囃子が途絶えたこともあって、現在は伝承されていない。祭礼中は2台の山車で巡行し、大きい方の山車は平成16年(2004年)に、もう1台の軽トラックの山車は平成20年(2008年)に新調された。神輿の渡御行列では基本的に大きい方の山車が行列を先導し、軽トラックの山車が最後尾に付く。
囃子の構成は締太鼓2個と | 大太鼓が1個 |
大きい方の山車は | 平成16年(2004年)に新調 |
軽トラックの山車は | 平成20年(2008年)に新調 |
囃子 |
---|
平成28年(2016年)度の太鼓の練習は6月13日の月曜日から始まり、月・水・土の週3回を例大祭まで社務所にて毎週行われた。以下に6月25日の土曜日に行われた練習の様子を紹介する。
太鼓の練習は社務所にて | 月水土の17時から21時まで |
付き合いで来ていた曽屋の | 一番組が太鼓を披露 |
尾尻と御門も加わり | 太鼓の交流 |
再び御門の子供たちの練習 | 大人も入ります |
練習を終え | 後片付け |
畳を掃き掃除して | 締太鼓を緩める |
最後に祭囃子保存会の | 副会長より挨拶があり |
社務所の雨戸を閉め | 練習を終える |
神輿
露盤上の大鳥は大正10年(1921年)に、中郡大磯町の錺師「三武岩吉師(当時77歳)」によって製作され、神輿本体(素木造り)は昭和9年(1934年)に二宮梅沢の「西山友吉宮師」によって製作された。この年代の差異は八坂神社にそれ以前にも神輿があったことを意味している。その神輿は榎本豊後が天保7〜11年(1836〜40年)に京都白川家で修業を行った際、神田明神の神主と一緒だった縁で、神田明神の中古神輿を譲り受けたものである。昭和23年(1948年)に八坂神社の社殿修理費用のため、伊勢原市善波の三嶋神社へ売却された。
御門の八坂神社神輿の造営から60年が経つと、その損傷の激しさから宮本青年会によって解体修理が行われることとなった。通常、解体修理を行う場合には漆などの専門家の指導が必要であるが、秦野市尾尻の漆器業であった菅沼好雄氏(当時51歳)が、神輿好きの縁で協力を申し出た。修理も当初は屋根だけの予定であったが、全面的に行うことになった。
平成6年(1994年)10月初旬に解体作業が始まり、屋根の飾りをはじめ本体の龍の彫り物、細かい木組み部分などを合わせると、部品の総数は五千個以上になった。八坂神社の社務所では週末と休日を除く毎晩、都合のつく仲間が10人以上集まって部品磨きなどが行われた。屋根の鳳凰飾りを直して磨き上げるのには2ヶ月も掛かったという。翌年の平成7年(1995年)4月9日に本体と屋根を合体させ、約半年に及んだ作業を終えた。
御門八坂神社神輿 | 捩り掛け後 |
提灯取り付け後 | 前傾姿勢が特徴の鳳凰 |
子供神輿 | 捩り掛け後 |
提灯取り付け後(女神輿として) | 預かっている片町の子供神輿 |
神輿の台車 | 専用のフレームを載せる |
掛け声 |
---|
祭礼の歴史
『風土記稿』には例祭が6月7日より14日まで続いたとある。乳牛区有文書の嘉永3年(1850年)の「議定一札之事」によると、以前から6月7日の祭礼には屋台を引き出し、その際に怪我人が出ると難町で経費の全額を負担してきたが、それでは経費の負担が困難になり、強いては祭礼も出来なくなる恐れがあるため、今後は難町で半金、残る半金を三町で負担するという取り決めがなされた。署名者は上宿総代与右衛門・片町総代長兵衛・金堀塚総代源兵衛・中宿総代松五郎・又吉・仁左衛門・下宿総代兵右衛門・清六・伝七・乳牛総代岡右衛門・幾右衛門・清兵衛等であった。また、文久元年(1861年)の「曽屋村若者仲間の取り決め」によると、七日の祭礼には神事が済むまで禁酒し、昔の仕来たりのように正午刻(12時)に祭礼を済ませる。最も、屋台が先の時は前後の見計らいをするとある。これを見ると祭礼には御門だけでなく、これを取り巻く多くの町内が参加していたことがわかる。
明治6年(1873年)7月に御門の八坂神社は曽屋神社へ合祀されたが、合祀の間は曽屋神社の祭礼日に神輿が渡御した。この頃の祭礼日は7月10日で、御門にあった神輿は7月9日に御霊入れのため曽屋神社へ出輿し夕刻に御還座した。翌10日には町内を一巡し、大竹3本に標縄を張った本町四ツ角に、曽屋神社のもと乳牛に鎮座していた八幡・加羅古神社の乳牛神輿、そして八坂神社の神輿の計3基が夜に揃い曽屋神社へ宮入り道中した。三基揃いの御渡りは勇壮であったが、御霊返し後の帰還は御門の担ぎ手のほか曽屋の担ぎ手も加わり、人が多すぎて全く動けず世話人泣かせであったという。御門へ帰輿するのは大抵翌朝であった。
昭和51年(1976年)9月に御門の八坂神社は曾屋神社から分祀されたが、現在の例大祭は曾屋神社と同じ7月20日前後の日曜日となっている。
大休止(宮付け19:55)
火渡り神事を終えた神輿は鳥居から境内へ入り、境内を駆け回ったのちに社殿前で差し上げて輿をおろす。宵宮渡御の最後に八坂神社へ戻るかたちにはなるが、ここでは宮入りという認識ではなく、宵宮から大祭に跨ぐ神輿渡御の休憩場所の一つとして捉えられていることから、御門地区では大祭の神輿渡御までの間を「大休止(だいきゅうし)」と呼んでいる。
19時50分に太鼓が叩かれ | 火渡り神事を終えた神輿が |
鳥居を | 潜って |
宮入り | 社殿前で右折し |
境内を1周 | 神輿は勢いを増し |
社務所まで押し寄せると | 境内を大きく |
回っていく | 撮影している私が |
身の危険を感じるほど | 物凄いスピードで |
暴れまくります | 近くに寄ることが出来ません |
担ぎ手の砂利を蹴る音が | 非常に印象的です |
社殿前で神輿を誘導すると | 暴れていた神輿は |
社殿へ向かい | 豪快に |
差し上げ | 興奮冷めやらぬ担ぎ手を |
宥めるかのように | 神輿を後退させ |
神輿を馬の上におろす | 高張提灯を立て掛けると |
神職からお祓いを受ける | 社務所前では豆腐を用意 |
祭典委員長が轅に上がり | 挨拶を終えると |
青年会は直ぐに神輿から | 提灯を外していく |
社務所前では豆腐を頂く | 手際よく作業を進めます |
20時には尾尻青年会と | 下大槻青年会をお見送り |
神輿では提灯を掛ける | 縄も外していく |
山車を境内へ入れます | 社殿横には子供神輿 |
軽トラ山車も境内へ | 社務所では直会が開かれる |
山車から太鼓を外し | 社務所へ運んでいく |
神輿では轅に肩を入れ | 馬を抜くと |
180度旋回し | 正面を鳥居側へ向けて |
輿をおろし | 高張提灯を立て掛ける |
片付けを終えると | 社務所へ上がって直会に参加 |
明日はいよいよ・・・ | 大祭です |
大祭準備
ここからは平成28年(2016年)7月24日の日曜日に行われた大祭の様子を紹介する。祭典委員長と祭典副委員長、そして青年会の一部のメンバーは、宵宮の晩からお宮にお籠りし、大祭当日は朝6時前から神輿の準備作業に取り掛かる。また、祭囃子保存会も6時半頃には太鼓の取り付け作業に取り掛かり、神輿渡御前の巡行に向けて準備を進める。
朝6時にお宮に来ましたが | 青年会は既に |
捩り掛けを始めています | 御門の朝はとにかく早い |
昨晩のお籠りは | 寒かったようです |
捩り掛けを終えると | 次は横棒の取り付け |
轅を上げて | 馬を箱台輪の下へ移動 |
鳥居には | 新しい榊を飾り付ける |
境内に馬を準備し | 社殿横から |
子供神輿を移動して | 馬の上におろすと |
こちらも新しい榊を飾り付ける | 山車の方も準備が始まる |
神輿の四隅に提灯を取り付け | 子供神輿では埃を払う |
横棒をロープで巻き付け | カケヤで締め上げて行く |
新しい榊が並べられる | こちらは宵宮で使用した榊 |
山車では大太鼓の取り付け | 保存会のメンバーも揃い |
山車に | 締太鼓をセット |
時刻はまだ6時50分 | 太鼓の準備も早いです |
境内と | 社殿では掃き掃除 |
緩まない様にきつく締め上げる | 子供神輿の榊付けが完了 |
山車巡行
前日の宵宮では神輿渡御が始まるまでの間に、太鼓の山車が御門地区を巡行していたが、大祭当日も同様に神輿渡御までの間に太鼓の山車が御門地区を巡行する。
●1回目(出発7:05、到着7:55)
太鼓の山車は朝7時過ぎに出発し、1回目の巡行を行う。
時刻は7時になりました | 火渡りの灰も集めます |
山車に叩き手が乗り込み | 私も同伴させて頂く事に |
軽トラ山車が先に出発 | 先導の山車も出発し |
ブッツケから | バカッパヤシを演奏 |
元町地区を | 巡行していく |
やな井旅館を通過し | 本町3丁目を抜けると |
片町通りに出て左折 | 台町交差点を通過し |
台町自治会館前を通過 | 天野石材前で左折し |
再び本町3丁目に入り | 山口屋酒店を通過 |
宵宮の神酒所を通過 | 十字路で左折すると |
お宮側から軽トラ山車と合流 | 元町地区を巡回し |
末広町との境を下り | すえひろこども園を通過 |
十代橋を渡り | 金目川を越えると |
自治会館の近くを通り | 秦野二宮線を左折 |
直ぐに右折し | 宵宮で渡御した地区を巡行 |
神酒所のしもいいでら公園 | 今日は天気が良さそうです |
曽屋高の裏を抜け | 二車線の道路に出て左折 |
増田屋の裏を抜け | 名古木の交差点を左折 |
今度は県道の西側を | 巡行し |
天王下橋を渡り | 金目川を越えると |
坂道をのぼり | お宮の横を通過 |
突き当りを右折し | お宮を離れ |
元町地区を | 巡回すると |
県道704号に出て左折 | 本町四ツ角交差点を左折し |
片町商店街を進み | 本町1丁目に入る |
右手には東道太鼓連の山車 | ここは合同渡御で通る道です |
まほろば大橋の手前を | 左折 |
奥に見えるのは尾尻の宵宮で | 渡御した秦野駅です |
水無川沿いに走り | イトーヨーカドーを通過 |
秦野瓦斯株式会社を通過し | 新常盤橋を左折 |
ここは河原町になります | 秦野二宮線を北上し |
河原町交差点を左折 | 直ぐに右折し |
セブンイレブン秦野河原町店に | 到着 |
10分程停車し | 買い出しを終えると |
山車に乗り込み | セブンイレブンを出発 |
バス通りを北西に走り | ブッツケからバカッパヤシ |
右折して本町3丁目に入り | 後方から軽トラ山車が合流 |
十字路を右折し | お宮に到着すると |
境内に | 山車を止める |
山車が境内に戻ってくると、社務所では提灯の準備が進められていた。2回目の出発の間に青年会が山車に上がって太鼓を叩いたが、祭礼中、青年会は神輿渡御の運営に当たるため、渡御中に太鼓を叩くことはほとんどできない。
捩り掛けを終えた神輿 | 大祭の渡御を待ちます |
社務所では提灯の準備 | こちらは燃えてしまった提灯 |
10本ずつ束ねて行きます | のし紙で埋まる掲示板 |
私のも貼って頂きました | 軽トラ山車が巡行に出発 |
大きい方の山車では | 境内で太鼓の演奏 |
祭礼中は神輿の運営で | 太鼓を叩く機会が無い青年会も |
保存会と一緒に | 太鼓を楽しみます |
こちらはのペアは | 昨年の祭典委員長と |
今年の祭典副委員長です | 力強い演奏を披露 |
珍しい光景に | 皆さん動画を撮影 |
●2回目(出発8:35、到着8:50)
40分程お宮で停車していた山車は2回目の巡行に出発する。山車の巡行では御門の氏子地区以外の範囲も移動する。
保存会が | 青年会と交代し |
山車がお宮を出発 | 2回目の巡行に向かう |
坂を上っていくと | 巡行中の軽トラ山車と遭遇 |
元町を抜け | 県道704号を左折 |
本町四ツ角を | 左折して片町通りへ |
ここは合同渡御のコースです | 片町通り交差点 |
台町交差点 | 台町自治会館を通過 |
一般車両と同じ速度で走ります | 河原町交差点を左折 |
弘法橋を渡って金目川を越え | 左手にはノジマとトイザらス |
ここで軽トラ山車が | 追い抜きます |
クリーンセンター入口で左折し | 御門自治会館近くを通過 |
金目川を渡り | すえひろこども園を通過 |
左折して | 元町地区に入り |
お宮に | 帰ってきました |
山車の巡行では神輿渡御で | 通らない道も巡行します |
●3回目(出発9:10、到着9:40)
3回目の山車の巡行では台町へ向かい、交流のある台町の太鼓連と叩き合いを行う。
叩き手は手にテーピングを巻く | 3回目は休む間もなく |
軽トラ山車と共に | お宮を出発 |
十字路を左折 | テーピングは必需品ですね |
本町3丁目を抜けると | 正面には天野石材の駐車場 |
片町通りを横断し | そのまま駐車場へ入ります |
御門は台町と | 交流があるようです |
台町の子供神輿 | 東の方から太鼓の音が聞え |
河原町の山車が現れると | 天野石材を通過 |
後方には子供神輿が続き | バス通りを練り歩く |
御門と | 台町の叩き手が準備を始め |
御門からブッツケ | 太鼓の叩き合いが |
始まります | 奥には台町の軽トラ山車 |
御門の軽トラ山車でも | 太鼓を叩く |
他の地区と交流を持つことで | 叩き手のモチベーションが上がりマス |
祭り囃子が活気付くことを | 願います |
しかし・・・台町太鼓連の | 山車は大きいです |
台町の子供神輿が | 駐車場を出発 |
バス通りを出て右折 | 台町の山車も |
駐車場を出発 | 最後の台町の軽トラ山車が |
出発し、台町一行は | 河原町方面へ巡行していく |
台町を送り出した御門は | バス通りを左折して西へ進む |
台町自治会館前には | 中ぐらいの神輿が |
さらに直進すると | 左手にもう一台神輿が |
片町通り交差点を通過し | 本町四ツ角交差点で右折 |
県道704号の左手は寿町です | 山車は右折して |
元町地区を抜け | 梶山写真館を通過 |
すえひろこども園を通過し | 十代橋を渡ると |
加藤道場で右折 | 宵宮の神酒所で左折し |
田んぼ沿いに直進し | 右手にはトイザらスとノジマ |
店舗前で左折すると | 正面から軽トラ山車が現れ |
そのまますれ違うと | 秦野二宮線に出て左折 |
だんだん御門の地理が | わかってきました |
クリーンセンター入口で左折し | 金目川を渡ると |
末広町との境を進み | 左折して元町地区へ |
十字路を左折し | お宮に到着 |
祭囃子保存会の皆様、山車に | 載せて頂き有難うございました |
大祭式典(開始11:10)
大祭では11時10分から境内で式典(発輿祭)が執り行われ、修祓や祝詞奏上、玉串拝礼などの神事が執り行われる。
2基の神輿には | 祭壇が準備されています |
式典まで一旦解散します | 時刻は10時50分 |
山車では | 青年会を中心に |
太鼓が叩かれる | 10分程で止め |
時刻は11時 | こちらは神輿渡御の打ち合わせ |
境内に関係者が集まり | 祭典役員が鳥居前に整列 |
11時10分に式典が開始 | 神職の竜笛の演奏があり |
最初に | 修祓 |
大人神輿 | 子供神輿 |
大きい方の山車と | 軽トラ山車をお祓い |
最後に参列者をお祓い | 次に祝詞奏上 |
参列者は頭を下げる | 最後に玉串を |
拝礼し | 式典が終了 |
大祭渡御
式典が終わると宵宮に引き続き、神輿が御門地区を渡御する。以下に大祭の渡御の様子を紹介する。
●子供神輿お立ち(出発11:20)
宵宮では子供神輿と大人神輿は続いて宮立ちしたが、大祭では大きい方の山車に先導され、子供神輿が一足先にお宮を出発する。
子供神輿を社務所前から | 境内の中央へ移動 |
社殿横から | 神輿の台車を移動し |
鳥居を潜って | 西の方へ向かう |
子供たちが神輿に集まる | 先導の山車が宮昇殿で |
お宮を出発し | 鳥居付近で待機 |
子供たちが肩を入れ | 担ぎ上げると |
鳥居を潜り | お宮を出発 |
山車に先導され | 西へ向かって練り歩く |
●大人神輿お立ち(出発11:50)
お宮にはお立ち前から尾尻青年会と下大槻青年会の担ぎ手が応援に駆け付け、子供神輿のお立から30分後に大人神輿が八坂神社をお立ちする。
大人神輿は続けてお立ちせず | 青年会は社務所前へ移動し |
豆腐と | お神酒を準備 |
応援の尾尻青年会と | 下大槻青年会が到着 |
祭典委員長が轅に上がり | お立ち前の挨拶 |
挨拶が終わると | 社務所前で立ちお神酒を頂き |
担ぎ手は | 轅に肩を入れる |
神輿を担ぎ上げ | 参道を進みます |
軽トラ山車が先に出発 | 神輿を一旦肩からおろし |
鳥居を | 潜ると |
いよいよお宮を出発 | 軽トラ山車が先導します |
大祭では直ぐに右折し | 坂を下って |
天王下橋を通って | 金目川を渡る |
これから御門地区を | 練り歩きます |
※大祭渡御の様子は下記の大祭渡御の前半と後半、合同渡御のページを参照。
大祭渡御(前半)
合同渡御(御門編)
大祭渡御(後半)
●女神輿/火渡り神事〜宮入り (開始19:45)
大祭渡御では宵宮渡御と同様に、境内前で火渡り神事を行ってから宮入りとなる。宵宮では大人神輿だけであったが、大祭では女神輿も火渡り神事を行い、大人神輿より先に宮入りとなる。女神輿も大人神輿と同様に境内を走り回り、社殿前で差し上げて宮付けとなる。
麦藁に火をつけ | 火柱が上がると |
女神輿が | 炎の上を |
走り抜ける | 神輿を囃す祭囃子保存会 |
社務所前で引き返し | 再び炎の上を渡っていく |
流石に女神輿は火渡り神事を | やらないと思っていましたが |
大人(男)神輿顔負けの | 火渡りを披露します |
2往復目を終えると | 藁は投入されず |
残り火の上を渡ると | そのまま左折して鳥居を潜り |
宮入り ここでも | 大人神輿に引けを取らず |
境内を勢いよく | グルグルと |
走り回ります | 女神輿を見守る観客 |
女神輿は拝殿に押し寄せ | 豪快に差し上げる |
神輿をおろすと | 社殿横に移動 |
次はいよいよ・・・ | 大人神輿の火渡りです |
●大人神輿/火渡り神事〜宮入り (開始19:50)
女神輿が無事に宮付けされると、今度は大人神輿が火渡り神事を行う。因みに、火渡り神事は3往復を目安に行われている。火渡り神事を終えると神輿は鳥居を潜って宮入りし、境内を走り回ってから社殿前で差し上げられ、輿を下して三本締めで神輿渡御に幕が下りる。
女神輿が宮付けされると | 再び麦藁が投入され |
宵宮に引き続き大人神輿の | 火渡り神事が始まります |
2箇所の炎を | 渡っていく |
藁を投げ入れ | 神輿は社務所から引き返し |
1往復 | 散らばった藁をかき集める |
炎の状況を見極めながら | 担ぎ手は勢いを付けて |
火の上を | 歩いていく |
宵宮と比べ | 観客が増えています |
火渡りは | 2往復目を終える |
火の勢いは | 宵宮より強そうです |
火渡りは | 3往復目に突入 |
ここで | 祭典委員長から合図があり |
どうやら | 宮入りの様です |
3往復目を終えると | 提灯に誘導され |
燃え残った藁の上を通り | 左折して |
鳥居を潜ると | 宮入り |
直ぐに社殿には向かわず | 宵宮と同様に |
勢いよく | 境内を |
走り回る | その勢いは |
宵宮以上です | 敷地を目いっぱい使い |
時計回りに | グルグルと |
回っていく | 神輿は4周目に突入 |
勢い余って | 社務所に激突しそうです |
祭典役員は社殿前で待機 | 神輿の勢いは収まらず |
ついに | 5周目に突入 |
社務所前ギリギリに | 走り抜け |
参道へ入ると | ようやく社殿へ向かい |
ギリギリまで神輿を寄せると | 例大祭最後の |
差し上げ | 神輿をおろすと |
直ぐに馬を入れ | 無事に宮付けされました |
直ぐに神輿の近くに | 担ぎ手を集め |
神職がお祓い | お馴染みの豆腐を準備 |
祭典委員長が轅に上がり | 最後の挨拶 |
三本締めで | 神輿渡御に幕が下りる |
●還御祭 (開始20:05)
神輿が無事に宮付けされると、神輿から本殿へ御霊が遷され、社殿内では還御の神事が執り行われる。神事が終わると社務所へ移動し、宮司らを交えて直会が行われる。青年会や祭囃子保存会のメンバーは神輿と山車の片づけを終えてから、社務所の直会に参加する。
三本締めが終わると | 青年会は神輿に集まり |
神輿を白い幕で覆うと | 神輿から御霊が抜かれる |
社務所前では豆腐を頂く | 御霊遷しが終わると |
青年会は白い布を外し | 直ぐに提灯外しに取り掛かる |
社殿では代表者が出席し | 神事が執り行われる |
境内では尾尻青年会と | 下大槻青年会を見送る |
提灯を外し終わると | ロープを外す |
神事は5分程で終了 | 神輿では捩りも外していく |
子供神輿でも作業を始める | 大人神輿では |
鳳凰を抜き | 社殿内へしまう |
蕨手などの飾り金物を外す | 鳥居前では幟を降ろす |
作業を終えた神輿を | 担ぎ上げ |
90度旋回して | 再び輿をおろす |
輿堂から別の | 轅を出します |
社務所では直会が開かれる | 神輿から |
渡御用の | 轅を抜き |
別の轅を | 入れると |
神輿を | 担ぎ上げて |
輿堂前へ | 移動 |
輿堂の中へ | 納めます |
飾りつけを外し終えた山車が | お宮に入る |
神輿にカバーを掛けると | 轅を抜き取り |
お宮の外へ運んでいく | 大人神輿の次は子供神輿 |
大人神輿の隣に置き | カバーを掛けます |
山車では太鼓の枠や幕を外し | 軽トラ山車の櫓を |
荷台からおろす | 大きい方の山車も同様に |
荷台からおろし | 社務所前におろします |
小物を輿堂へしまうと | 本日の片付けは終了 |
社務所に上がって | 直会に参加 |
御門の皆様有難うございました | 明日は片付けです |
大祭の翌日の月曜日は後片付けがあり、幟り倒しや山車の解体、供物である餅を切り分けて氏子へ配る作業などが行われる。
戻る(秦野市の祭礼)