西田原
八幡神社
西田原の「八幡神社」の創立年歴は不明だが、応永年間(1394〜1427年)の京都金閣造営の年に大藤小太郎が当社の大修理をし、三社造の本殿を造ったと伝えられている。祭神は「誉田別之命(ほんだわけのみこと)」・「大雀之命(おおささぎのみこと)」・「大国主之命(おおくにぬしのみこと)」で、境内社は「秋葉社」・「疱瘡神社」・「山神社」である。
天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると、西田原村の鎮守を「八幡宮」としており、拜拝殿と神楽殿が建ち、天正19年(1591年)11月に社領一石五斗の御朱印を賜っている。若宮権現を相殿とし、別当は「長楽寺」持ちであった。神体は木像で、本地観音は鉄の鏡に鋳出されている。末社には「秋葉」・「天王」・「山神」・「疱瘡神」があり、その他には村持ちの「山神社」と村民持ちの「稲荷社(2社)」があった。
明治6年(1873年)7月30日に村社に列せられ、大正4年(1915年)に神饌幣帛共進の神社に指定された。昭和37年(1962年)には年輪728を数えた神木老松が枯損し伐採した。昭和39年(1964年)に氏子崇敬者多額の資を献じ現在の社殿を再建し、神輿倉・社務所等も完成し現在の神域となった。
| 八幡神社 | 鳥居 |
| 神社由緒 | 神楽殿 |
| 石階段 | 新築記念碑 |
| 手水舎 | 社務所 |
| 拝殿 | 本殿・幣殿 |
| 石祠 | 神輿蔵 |
| 小屋 | 境内 |
西田原の歴史
永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」には西田原の記載はないが、「東田原」の記載がみられることから永禄の頃には西田原もあったと思われる。しかし、観応元年(1350年)の古文書には「田原村」とあることから、この頃はまだ分村していなかったと考えられる。『風土記稿』にある「西田原村」の小名は「高場」・「上宿」・「谷戸」・「裏宿」・「池端」で、天保5年(1834年)の戸数は84であった。
『風土記稿』にある西田原村の「上宿」と「裏宿」は商家のあったことを示す地名で、曽屋村の延宝8年(1680年)の古文書によると、田原村の市場は北条氏直の頃に設立されたものであり、その後に曽屋村の十日市場町へ引き取って云々とある。田原にはここ以外に宿のつく地名が見当たらないことから、田原村の市場はこの辺りにあったと推測される。
祭礼準備 (開始8:30)
ここからは平成25年(2013年)に行われた例大祭の前日の様子を紹介する。大祭の前日は朝8時30分から準備が行われ、神輿や山車の準備の他にも、幟揚げや注連縄張り、境内の掃除などが行われる。それぞれ担当の準備が終わると順次解散となり、午後の準備がある者は昼食のために12時に一旦解散となる。
| 神楽殿の舞台上には | 縄の束が |
| 氏子総代代表が到着 | 境内に氏子が集り始める |
| 拝殿の扉が開けられ | 8時半に拝殿前へ集合 |
| 氏子総代代表により | 準備の説明が行われ |
| いよいよ準備開始 | 階段を降りて各自の持ち場へ |
| 神酒所に立てる竹を分けて | 神楽殿の舞台上へ運ぶ |
| 神楽殿の倉庫前では | 太鼓の山車の組み立てが始まる |
| 境内の入口では | 幟を揚げる準備が進む |
| 神楽殿を挟んで | 境内では掃き掃除 |
| 太鼓の櫓の柱を立てる | 社殿横の神輿蔵では |
| 子供神輿を抱えて移動し | 馬の上におろす |
| こちらは蔵から出された品々 | 続いて大人神輿を引き出し |
| 社殿下から短い輿棒を出すと | 棒穴へ差し込む |
| 社殿では祭壇の準備 | 櫓の組み立ても進む |
| 大人神輿を抱えるも、人手が | 足らず、急遽私も応援に |
| 拝殿前まで移動しました | こちらは先ほどの子供神輿 |
| 石階段の手摺を抜き取る | 高々と上がる2本の幟 |
| 9時頃になると神楽殿へ集り | 町内に張る注連縄の説明 |
| 神酒所用の竹や紙垂 | そして縄を配り |
| 軽トラックへ積んでいく | 数が多いので列ができています |
| 太鼓の櫓では屋根を載せ | 山車が完成 |
| 大人神輿では屋根の拭き掃除 | 縄を積んだ軽トラックが出発 |
| 縄がだいぶはけてきました | 境内の手水舎にも注連縄を張る |
| トラックがもう1台到着し | バックして神楽殿へ寄せる |
| 荷台に土台を置き | ほぞで繋いでいく |
| 注連縄の配布が終わると | 社殿横から輿棒や馬を運んで |
| 神楽殿前で樽神輿の準備 | 場所を境内の中央に移し |
| 箱台輪に輿棒を通していく | 櫓では柱を立てる |
| 箱台輪の上に酒樽を載せ | 横にも輿棒を2本渡す |
| 櫓ではアオリを閉め | 奥から屋根を出す |
| 鳥居の注連縄に紙垂を付ける | 樽神輿では紅白の晒を広げ |
| それぞれネジって | 紅白一対で一本の縄状に縒る |
| 櫓では屋根を載せ | ほぞで固定していく |
| 樽神輿で晒から縄を作るのは | 珍しいのではないでしょうか |
| 屋根を乗せた山車は | 社殿側へ移動 |
| 5基分の縄作りは大変そうです | 神輿愛好会の会長自ら指導 |
| 山車では紅白テープを巻く | 社殿では祭壇の準備 |
| 神社正面の民家では | 注連縄張りの真っ最中 |
| 境内は縄だらけ | 社務所前では花の取り付け |
| こちらは掲示板の準備 | 樽神輿は捩り掛けへ移る |
| 掲示板は杭を打って | 筋交いで固定する |
| 花を付けた竹は | 山車の横へ移動 |
| 山車に乗せるベンチ椅子と | 小太鼓用の枠 |
| 飾り付けを終えた樽神輿は | 神楽殿へ移動する |
| こちらは白のみで縄を作り | 捩りを掛けていく |
| 古い紅白テープは剥いでいく | 山車の横にはベニアを2枚 |
| 並べて固定する | 樽神輿に花を飾りつける |
| 枠に新しい紅白テープを巻く | 捩り掛けは終盤に差し掛かる |
| 大人神輿では運搬用の | 短い轅を抜き取り |
| 子供神輿を移動させて | 縁の下から |
| 担ぎ用の轅を取り出して | 棒穴へ |
| 入れる | もう一本も入りました |
| 子供神輿にも | 轅を挿入 |
| 楔を鉈で作り | 轅が抜けないように固定 |
| 山車には紅白幕を回す | 完成した5基の樽神輿 |
神輿捩り掛け (開始13:00、終了16:30)
昼休憩を終えると13時に社殿前へ集合し、神輿愛好会を中心に各自治会の神輿世話人達が大人神輿と子供神輿の捩り掛けを行う。まず最初に大人神輿を社殿の中へ入れ、お神酒で身を清めてから作業が開始される。
| 鈴緒の縄を上に逃がす | 大人神輿では金物の補修 |
| 箱台輪の材質が非常に硬く | 釘がなかなか入っていきません |
| 金物の修理を終え | 輿棒を抱えて馬を抜くと |
| 180度旋回して | 神輿の正面を境内側へ向ける |
| 神輿をギリギリまで下げて | 向拝の注連縄を避けながら |
| 慎重に奥へ移動 | 拝殿の狭い入口を |
| 通り抜け | 一旦床へ下ろす |
| もう一度轅を持ち上げ | 角材を入れて |
| 神輿の傾きをなくすと | 外へ出てお神酒を注ぐ |
| 氏子総代代表の挨拶があり | 捩り掛け前に身を清めます |
| 社殿へ戻り晒を出す | 手水舎では麻を水で湿らす |
| 神輿の両側に晒を伸ばす | 晒はかなりの量です |
| 神輿用の提灯は社殿から出し | 社務所へ運んでいく |
| 中では捩り掛けが始まり | 露盤上に御団子を作っていく |
| 四方の蕨手へ晒を渡すと | 御団子状にした晒の束を崩す |
| 複雑で私には分かりませんが | かなりの経験が必要のようです |
| 蕨手に伸びた2本の晒を | それぞれ捻ると |
| 縄状にしていく | 3人の息を合わせます |
| 蕨手まで綯うと | 蕨手の付け根に結んで固定 |
| 右奥の野筋へ移動し | 同様に縄を綯って蕨手に固定 |
| 手際よく | 捩り掛けが進められる |
| 同時進行で組物付近に | 注連縄を回し紙垂を固定 |
| 捩り掛けは最後の4ヶ所目 | 蕨手に固定して屋根部は終了 |
| 神輿を外側へずらす | 紙垂が増えていきます |
| 蕨手から伸びる晒は横の環と | 轅に渡して巻いていき |
| ほどけないように結ぶと | 短い丸棒を2本さす |
| "どっこい"とは違い鈴は付かず | 環は捩り掛けに利用します |
| 社務所前では先導用の提灯を | 棒にセットして蝋燭を入れる |
| 捩り掛けはまだ続くようです | 四箇所の鳥居には榊を付ける |
| 本殿側を始点とし | 2本の晒を捻っていく |
| 後方では絡まないように | 同じ方向へ捻っていく |
| 今回は最初から | 縄状にするようです |
| 始点側が指示を出し | 全員が息を合わせます |
| 綯えた縄は手繰り寄せ | 後方の人が前進します |
| こちらは稲穂を取り出し | 鳳凰が銜えるように加工 |
| 縄を綯え終わると | 今度は胴締めに移ります |
| 胴回りに一周させ | 縦の捩りを調整しながら |
| 緩みがなくなるまで | 締め上げていく |
| かなり念入りに | 時間を掛けて行います |
| 稲穂を銜えた大小の鳳凰 | 最後に縄を結んで固定し |
| 余った部分を折り重ね | 麻紐で結んで固定すると |
| 大人神輿の捩り掛けは終了 | 最後に四隅へ提灯をつける |
| 幣殿側は轅にタオルを掛け | 拝殿側では轅を手で持ち |
| 奥へずらすして | 幣殿へ神輿を下ろす |
| 大人神輿の捩り掛けが終わると | 外の子供神輿を移動し |
| 社殿前で神輿を縦にする | 大人神輿と違い |
| かなり楽に入ります | 拝殿に入ると |
| 子供神輿を90度旋回し | 大人神輿の轅上に下ろす |
15時頃に大人神輿の捩り掛けが終わると、今度は子供神輿を社殿の中へ移し、16時30分頃には子供神輿の捩り掛けも終了する。捩り掛けが終わると社務所へ移動し、翌日の大祭についての打合せが行われる。
| 山車巡行の取材から戻ると | 子供神輿の捩り掛けは |
| 最後の胴締めが始まり | 大人神輿と同様に |
| 念入りに締め上げていく | 外にはテントとテーブルが設置 |
| 縄を結んで固定し | 折り重ねた部分を麻縄で固定 |
| これで終わりと思いきや | さらに縄を綯うと |
| 鳳凰を露盤へ差し込み | 縄を渡していく |
| ここでは確認作業のみで | 鳳凰を露盤から抜き |
| これで2基の神輿の | 捩り掛けが終了 |
| 一同は社務所へ移動し | 愛好会会長から当日の説明 |
| 氏子総代代表の挨拶で | 乾杯 |
太鼓山車巡行 (開始13:30、終了17:30)
多くの神社祭礼では大祭の前日を宵宮と称して何らかの行事を催しているが、西田原では準備だけで特に宵宮としての行事を行っていない。しかしながら、2台の囃子の山車は触れ太鼓として西田原地区を巡行する。
| 12時を過ぎても | 太鼓の準備が続く |
| 奥の倉庫から | 太鼓を運び出す |
| 太鼓に続いて | バチも運びます |
| 茣蓙の上に太鼓を並べ | スパナで締めていく |
| 30分程で昼食を終えると | 枠に小太鼓を収め |
| 細い竹を2本 | 胴とボルトの間に通していく |
| もう一カラも締めていく | 小太鼓をロープで固定する |
| 小太鼓の次は | 大太鼓を山車の上へ載せる |
| 籠にまとめられたバチ | 大太鼓をロープで柱に固定 |
| もう1台の山車にも大太鼓と | 小太鼓を載せ |
| 小太鼓を先に枠へセットし | 竹とロープで固定する |
| 両端の出っ張った竹は | 鋸で切り落とす |
| 13時になると子供達の姿が | 大太鼓を柱に固定 |
| 子供達が山車の周りに集る | 出発前に大人が太鼓を叩きます |
| 山車の巡行に向けて保存会の | 会長から注意事項を説明 |
| 13時半頃になると2台の山車へ | 子供達が乗り込み |
| 巡行に向けて | 太鼓を叩き始める |
| 1台目がバックして | 境内を出発すると |
| 2台目も同様に | 境内を出発 |
| 1台目は境内横の道を進み | 右折して西へ向う |
| 2台目も境内横を南下し | 今度は突き当たりを左折して |
| 東へ向っていく | 2台の山車は別行動 |
| 1時間ほど経つと | 山車が1台お宮へ戻り |
| 境内へ山車を止める | 再び出発するので |
| 今度は私も山車へ同伴 | 再び太鼓を叩き |
| 15時15分頃に | 再び境内を出発 |
| 正面には巡行中の | もう一台の山車がすれ違い |
| 東へ向って進んでいく | 私の乗った山車は右折し |
| 西へ向うと | 左折して住宅地へ入っていく |
| この辺りは地理が分からず | 方向感覚が分かりませんが |
| 神社の南側を | 回っているようです |
| 注連縄が張ってあります | うぐいすの家の前で左折 |
| こちらは注連縄張りの | 真っ最中です |
| 北へ進んでバス通りに出ると | 十字路をそのまま直進 |
| 北上すると | さらに十字路を直進し |
| しばらく進むと | 老人ホーム田原の里を通過 |
| 秦野カントリークラブへの入口 | 牛舎でしょうか?を通過 |
| この辺りは昔からの | 民家が多いようです |
| 右手には田畑が広がる | 奥の方にもう1台の山車の姿が |
| 途中で右折して | 秦野市立谷戸児童館を通過 |
| Y字路で | 右手に折れ |
| 十字路の先には | もう1台の山車の姿が |
| どうやら休憩中のようです | その山車の横を通過し |
| 南へ進むと | 直ぐに右折 |
| バックして切り返すと | 来た道を引き返し |
| もう1台の山車の先に | 止める |
| しばらく休憩を挟むと | 太鼓を叩き始め |
| 16時に再び出発 | 北へ引き返し |
| 左折 | もう1台の山車は南へ向う |
| 左折して | 来た道を引き返し |
| 牛舎 | カントリークラブへの入口を通過 |
| 田原の里で一旦山車を止め | 再び出発 |
| 十字路を直進し | 次のバス通りを |
| 右折して西へ進むと | 右手に神社の幟が |
| お宮の前まで来ると | 右折し |
| 境内に到着 | 16時20分にもう1台も到着 |
16時20分頃になると2台の山車がお宮へ入り、境内で休憩を取ると17時頃に再び出発して、17時30分頃まで西田原地区を巡行する。
| 社務所での取材を終え | 巡行中の山車を走って追いかけ |
| 再び乗せてもらいました | 上宿下自治会付近を回り |
| 信号の交差点を右折し | 上宿下バス停を通過 |
| 西田原上宿公民館 | 上宿会館前バス停を通過し |
| 直進してお宮まで戻り | 境内横の道へ右折 |
| 後方にはもう1台の山車が | 2台の山車が巡行を終え |
| 17時半に境内へ到着 | 拝殿では戸締り |
| 子供達に明日の説明をして | 弁当を配布 |
| 家が近い子は歩いて帰るが | 残りは山車に乗り込み |
| 家まで送っていきます | 境内を出発 |
| もう1台の山車では小太鼓を | 枠から外しボルトを緩める |
大祭の前日は18時までには解散する。この後は例大祭(午前)へ。
囃子
現在は「西田原太鼓保存会」が西田原地区の祭り囃子を継承しているが、その前身は「西田原太鼓連」であった。太鼓連の発足時期は不詳であるが、太鼓の購入時期については昭和の初期頃と推定され、大太鼓は昭和20年(1945年)に新調されたものである。かつての祭礼では上宿会館前と神社境内の2ヶ所に、丸太を持ち寄って太鼓櫓を作って叩き鳴らしたものであった。他部落の祭礼に招待されたときには、太鼓を背負って応援へ行ったこともあり、東田原、羽根、菩提などと太鼓の付き合いがあった。特に菩提の囃子は「菩提太鼓」と呼ばれ、秦野の囃子の中では起源が古いものであると、西田原では考えられているようである。
西田原太鼓保存会の発足は昭和54年(1979年)で、会員により部落内で寄付金を100万円集め、本町の富樫氏の紹介により海老名市の太鼓師廣崎賢太郎商店から、小太鼓2と大太鼓1の一カラを購入した。現在は太鼓連の時代に購入した太鼓と合わせ、二カラの太鼓を2台の山車に取り付けて、大祭とその前日に西田原地区を巡行する。なお、太鼓の練習は3月の土日を利用して行われる。
囃子で使われる楽器は「小太鼓2」と「大太鼓1」の1カラで構成され、笛は昔からなかったといい、西田原に伝わっている囃子の曲目は「まつりばやし」と「宮昇殿(みやしょうてん)」の2曲である。まつりばやしは別名「ばかっぱやし」とも呼ばれ、小太鼓の「ぶっこみ」または「ぶっつけ」から入り、山車が西田原地区を巡行するときに叩かれる曲である。宮昇殿は神輿の宮出しと宮入りの時にだけ叩かれ、宮昇殿から「きざみ」に入って「まつりばやし」に繋がる構成になっている。まつりばやしは秦野地区ではよく聞かれる調子で、テンポが早く小バチが多く入っているのが特徴である。
| 西田原の2台の山車 | 2カラ分の太鼓 |
| 構成は小太鼓2と | 大太鼓1 |
| まつり ばやし |
|---|
神輿
西田原には大人神輿と子供神輿が1基ずつあり、明治初期の作という説もあるが、実際の製作年代は不詳である。曽屋神社祭礼でもと乳牛(ちうし)鎮座の八幡・加羅子神社に神輿がなかった頃は当社の神輿を貸し出したともいう。かつては「ヤートーサッセ」とか「明日はねぇぞ」の掛け声で神輿を担いでいたが、担ぎ手が酔っていたのでよく神輿をひっくり返していたという。
近年では秦野でよく見られる「セリ」という担ぎ方で、「オヤ」または「ソヤ」などの様々な掛け声で氏子区域を渡御し、その距離は戦前を遥かに凌ぐという。渡御中にご祝儀を頂くとその家の前で神輿を差し上げるのが慣例となっており、西田原では幾度となく大人神輿と子供神輿を差し上げる姿を目にすることができる。
西田原にはこの他にも各自治会が所有する、昭和50年(1975年)頃に製作された樽神輿が5基あり、大祭当日に大人神輿の行列とは別行動で、それぞれの自治会の範囲内を小学生くらいの子供達によって渡御される。
| 八幡神社神輿 | 胴回りの様子 |
| 宮出し前 | 宮入り前 |
| 子供神輿 | 自治会所有の5基の樽神輿 |
| 掛け声 |
|---|
例祭日の変遷
『風土記稿』によると八幡宮の例祭は8月15日とあるが、大正期までの変遷については不詳である。昭和10年(1935年)の初め頃までは3月18日で、この頃は東田原に鎮座する東田原神社および朝日神社と合同祭礼を行っていた。揉め事が多いこともあり一度4月16日に改日したが、この時期は煙草関係の農繁期の都合で昭和20年頃(1945年)に3月28日に改めた。現在は3月の最終日曜日が例祭日となっている。
戦前は氏子総代や草山宮司により大祭が執行され、神輿渡御、余興として御神楽が神楽殿にて奉納された。戦後は復員兵士が続々と帰宅すると、若者の手により祭礼が執行されるようになり、太鼓はもとより、素人演芸会や田舎芝居、剣劇や舞踊なども流行した。
例大祭(午前)
ここからは平成25年(2013年)3月31日に行われた例大祭の様子を紹介する。天候は前日の準備に引き続き生憎の曇りであったが、大きく崩れることなく例年通り大祭が執行された。
●準備(開始8:30)
大祭当日は午前8時30分より準備が始められ、太鼓の山車は触れ太鼓として西田原地区を巡行するため、9時40分頃に八幡神社を出発する。
| 例大祭当日 | 8時前は人影がありません |
| 大祭で使われる馬 | 金棒2本と纏 |
| 最初に姿を見せたのは親子 | お宮に参拝 |
| 前日に組み立てた山車が | 1台だけ到着 |
| 浴衣を纏った役員が1名到着し | 社務所の鍵を開ける |
| 山車の上では | 締太鼓を張る |
| 8時半になると | もう1台の山車が到着 |
| 徐々に人が増えてきました | ドラム缶で火を焚きます |
| もう1台の山車でも締太鼓を張る | 締めた太鼓を枠にはめ |
| 竹を2本通して | 縄で枠に固定 |
| もう1台の山車も同様に | 締太鼓を枠へ固定 |
| 8時40分に拝殿の扉が開かれ | 参道へ馬を並べる |
| のし紙を掲示板へ貼っていく | こちらは馬を雑巾で拭く |
| 式典用の板や | 階段や手摺を雑巾拭き |
| 昨日準備したテントは | 足を伸ばす |
| 山車の方では神楽殿から | 前日作っておいた花を出す |
| 9時前になると社殿前に集合し | テント下でお神酒を注ぐ |
| 乾杯して前日同様に身を清めて | から神輿の作業へ取り掛かる |
| 最初に子供神輿を持ち上げ | 拝殿から出すと |
| 東側に移動し | 馬の上におろす |
| 次の大人神輿は高さがあるので | 2本ある鈴緒の縄を持ち上げる |
| 大人神輿を持ち上げて幣殿 | から拝殿へ移動して一旦置き |
| 再び持ち上げて | 扉から外へ出す |
| 注連縄の下を潜ると | 階段の手前で一旦おろし |
| 再び持ち上げて | 向拝を出ると |
| 馬を入れて | 大人神輿を参道へおろす |
| 鳳凰を手渡し | 露盤の上へ差し込む |
| 続いて小鳥を手渡し | 蕨手の上へ差し込んでいく |
| 手水舎で縄を湿らす | 山車では大太鼓の取り付け |
| 前日に用意しておいた | 綯った晒で鳳凰を固定 |
| 丸太を2本の轅の上に渡し | 先ほど湿らした縄で固定 |
| 山車では花を刺していく | こちらは宮入前につける提灯 |
| 丸太を結んだ縄を隠すように | 上から晒で覆っていく |
| 子供に半纏を配る太鼓保存会 | 子供神輿も同様に丸太を固定 |
| この日は雨が心配なため | シートで覆って紐で固定 |
| 大人神輿はさらに大きな | シートで覆って養生します |
| 半纏を着た子供の叩き手が | 2台の山車へ乗り込んでいく |
| 社殿では国旗を出し | 向拝の柱へ固定 |
| 社殿内では掃除機をかける | 反対側にも国旗を設置 |
| 神楽殿前では樽神輿の打合せ | テーピングを巻く叩き手 |
| こちらは氏子総代代表が太鼓 | 保存会と神輿愛好会と打合せ |
| 社務所から座布団を運び | 式典用に拝殿へ並べていく |
| 9時40分になると | 2台の山車が動き出し |
| 式典前に巡行へ出発 | 境内を出て |
| 西と | 東へ分かれます |
| 東側の通りでは露天商が準備 | 神楽殿前では樽神輿の準備 |
| 上宿西から神輿を下ろし | リヤカーに乗せて |
| 社殿側へ移動 | 続いて屋根の付いた上宿下 |
| 手で抱えて移動 | 上宿上も神輿を移動 |
| タイヤ付きの台車は | 上宿下の神輿用 |
| 上宿上も舞台から下ろすと | 抱えて移動 |
| こちらは上宿中自治会 | 上宿上は馬に神輿を下ろす |
| かわいらしい台車は | 谷戸池端自治会 |
| 上宿中が舞台から神輿を下ろし | 抱えて移動 |
| 上宿上と上宿下の間に | 上宿中が入り、右隣は上宿西 |
| 最後は谷戸池端の樽神輿 | 一番右端におろし |
| 5基の樽神輿が並ぶ | 神輿を担ぐ子供用の半纏 |
| 社務所前の受付 | 寄贈された昨年の大祭の写真 |
| 10時頃になると宮司が到着し | 式典の準備に取り掛かる |
| 半纏を着る子供達 | 氏子総代代表が板を持って |
| 上宿下の樽神輿の上に置く | 宮司は正面の扉を確認 |
| 手拭を頂きました | 露天商の準備が進む |
| 40分ほど巡行した山車が | 境内へ戻る |
●樽神輿式典(開始10:25)
各自治会の樽神輿が境内に並べられると、10時25分から樽神輿の式典が行われる。式典が終ると10時40分頃に樽神輿は境内を出発し、それぞれの各自治会地区へ移動し渡御する。
| 各自治会の氏子総代と | 宮世話人が石段を降り |
| 宮司も後に続く | 神輿を社殿側へ向ける上宿中 |
| 宮司が各自治会の子供達に | 玉串拝礼の手順を説明 |
| 氏子総代と宮世話人が整列し | 子供神輿の式典が始まる |
| 最初に発御の儀 | 5基の樽神輿を右手の |
| 谷戸池端から順番にお祓い | 続いて子供達をお祓い |
| 今度は樽神輿に | 御霊を入れていく |
| 続いて上宿下の樽神輿前で | 祭主である宮司が祝詞を奏上 |
| 氏子総代代表により | 玉串拝礼 |
| 続いて自治会の代表者が | 玉串拝礼 |
| 最後に各自治会の子供の | 代表者が玉串を供え |
| 拝礼をして神事が終了 | 宮司から注意事項の説明 |
| もう一台の山車は入口で待機 | 氏子総代代表の挨拶で |
| 式典が終了し | これから樽神輿が宮立ちする |
| 先ず最初に真ん中の上宿下が | 台車に載せたまま移動開始 |
| 神楽殿の西側を通過し | 鳥居を潜って下自治会へ向う |
| 続いて上宿西自治会と | 谷戸池端自治会が出発し |
| 神楽殿の東側を通る | 続く上宿中自治会と |
| 上宿上自治会は樽神輿を担ぎ | 神楽殿の中央を |
| 進んでいく | 神楽殿を通過する谷戸池端と |
| 上宿上自治会 | 上宿中が鳥居を通過 |
| 残る3自治会も鳥居へ向い | 谷戸池端と |
| 上宿上が続けて鳥居を潜り | それぞれの地区へ向う |
| 最後の上宿西はリヤカーなので | 引き返して西側の道を通り |
| 右折して西地区へ向う | 準備の整った露店商 |
●例大祭式典(開始11:00)
樽神輿が出発すると各団体の代表者が社殿へ集り、11時より式典が執り行われる。社殿内での神事が11時30分頃に終わると、社殿から大人神輿へ御霊を遷し、今度は神輿前で神事が執り行われる。式典は11時45分頃に終了し、渡御行列に参加する関係者は社務所前に設置されたテントで昼食を取る。
| 大人神輿では晒で縄を作り | 前方の轅へ結んでいく |
| 社殿の東側では渡御中の | 上宿上の樽神輿の姿が |
| 神職により太鼓が打たれると | 各団体の代表者が社殿へ向う |
| シートを固定する紐を外す | 拝殿で正座をして着席 |
| 宮出しに向けて大人神輿を | 覆うシートを外す |
| 11時より | 式典が始まる |
| 東地区の茶色の半纏を纏った | 担ぎ手が石階段を上り |
| 社殿の東側で待機 | テント下では昼食の準備 |
| 社殿での式典が終わると | 御霊を持った宮司が管蓋で |
| 覆われ神輿の前へ移動 | 神輿へ御霊を遷す |
| 神輿に餅を供える | 羽根から担ぎ手が到着 |
| 中央にお神酒を供える | 神輿愛好会は御札を配る |
| 式典は社殿から神輿へ移り | 修祓の儀 |
| 参列者をお祓い | 境内側をお祓い |
| 続いて祭主である | 宮司が祝詞を奏上 |
| 玉串拝礼は | 祭主である宮司から |
| 続いて氏子総代代表が | 玉串を供えて拝礼 |
| 神輿愛好会会長と | 太鼓保存会会長も玉串奉奠し |
| 式典が終了 | テント下へ移動し |
| 昼食をとります | おかずはコロッケに |
| 数種類のおにぎり | 神輿渡御に向けて腹拵え |
例大祭(午後)
大祭の午後は神輿と囃子の山車の行列がお宮を出発し、7時間ほど掛けて西田原地区を渡御する。
●宮出し(出発12:00)
昼食を終えると神輿愛好会と太鼓保存会は記念撮影を行い、神輿愛好会会長の一本締めで12時に神輿が社殿前を出発する。
| 神輿愛好会が記念撮影し | 会長の挨拶で |
| 一本締め | 太鼓保存会も記念撮影を終え |
| 轅に肩を入れ | 神輿を担ぎ上げる |
| 神職が行き先をお祓いし | 大人神輿が急勾配の |
| 石階段をゆっくりと | 降りていく |
| 子供神輿も移動開始 | 境内を練る大人神輿 |
| 山車では宮昇殿を演奏 | 子供神輿も石階段を降りる |
| 東側に寄る大人神輿 | 境内を練る子供神輿 |
| 大人神輿が神楽殿を通過 | 子供神輿も後に続く |
| 鳥居に向う大人神輿 | 山車も移動を開始 |
| 鳥居前まで来ると | 神輿を下ろして抱えます |
| カメラマンが多い西田原 | 鳳凰を当てないように |
| 慎重に鳥居を潜る | 1基目の山車が右折 |
| 大人神輿も右折し後に続く | 続いて子供神輿も鳥居を潜り |
| 同じく右折 | 金棒と纏もお宮を出発 |
| 一行は西へ向う | 最後にもう1台の山車が |
| お宮を出発し | これから長い渡御が始まる |
お宮を出発した一行は宮入りまで14箇所の休憩所を経て西田原地区を渡御するが、渡御経路は隔年で反転する。渡御の様子は下記のリンク先で前半と後半に分けて紹介しているが、到着および出発の時刻は予定されているものではなく、実際の時間を表記した。
・神輿渡御(前半)
・神輿渡御(後半)
●子供神輿宮入り(到着19:00)
長い渡御を終えた一行はいよいよ宮入りとなるが、宮入りは子供神輿が先に行う。子供神輿はそれまで先導を務めてきた山車を追い抜くと、鳥居を潜って神楽殿の中央を進み、そのまま石段を登って社殿前で神輿を差し上げて宮付けとなる。
| 子供神輿が先に宮入するので | 先導の山車を追い越し |
| いよいよ宮入です | 東側の露店は4つ |
| 境内の正面まで来ると | 鳥居を潜ります |
| 照明がないので周囲は真っ暗 | 神楽殿の中央を |
| 抜けて | 境内をそのまま直進 |
| 急な石階段を | 慎重にあがります |
| 石段を登りきると | 社殿前で神輿を差し上げる |
| 神輿をおろし | 社殿の東側へ移動 |
| 神輿蔵前で輿をおろし | 子供神輿が無事に宮付け |
●大人神輿宮入り(到着19:10)
子供神輿の宮入りが終わると、宮昇殿の曲で大人神輿の宮入りとなり、まつりばやしの激しいリズムに合わせて境内をしばらく練ると、石段を慎重に登り、子供神輿と同様に社殿前で神輿を差し上げる。神輿が馬の上におろされると社殿の照明が消され、御霊が神輿から社殿へ遷されると、神輿愛好会会長の三本締めで無事に神輿渡御が終了となる。
| 鳥居前を先導の山車が通過 | 西側の道へ右折し |
| 境内へ向って | 進んでいく |
| 大人神輿が境内前に到着し | 石段を上がると |
| 神輿を肩からおろして抱え | 鳥居を通過 |
| 露店前を通過し | 神楽殿の東側を |
| 通って中央の広場へ | 2台の山車も境内に到着 |
| 神輿は境内を縦横無尽に | 錬り回る |
| 石階段では神輿愛好会と | 氏子総代の提灯を掲げる |
| 神輿は直ぐには社殿へ向わず | 境内をしばらく |
| グルグルと暴れ | ようやく社殿のほうへ向く |
| 石段へ差し掛かり | 急勾配の階段を |
| ゆっくりと | 登っていく |
| 無事に石段を登りきると | 社殿前で神輿を |
| 差し上げ | 馬を入れて |
| 輿をおろす | 社殿の照明を消してから |
| 御霊を神輿から社殿へ遷し | 再び照明が点けられます |
| 神輿愛好会会長が轅に上がり | 三本締めで無事に渡御を終える |
●式典と直会
神輿渡御が終わると神輿と山車では片付け作業が行われ、社殿では各団体の代表者が参列して19時20分頃から式典が執り行われる。大人神輿と子供神輿の捩りを外して神輿蔵へ納めると、神輿関係者は社務所前のテントへ移動して直会となる。一方、式典を終えた氏子総代や宮総代らは、宮司と共に社務所へ移動して直会となる。
| 渡御が終わり神輿と | 山車では片付け作業が始まる |
| 神輿では東地区の担ぎ手が | 率先して作業を進めます |
| テントでは直会の準備 | 社殿では各団体の代表者が |
| 集まり式典が執り行われる | 子供神輿を広い場所へ移動 |
| 大人神輿から晒が | 全て取り除かれました |
| 子供神輿でも | 晒を解いていきます |
| 大人神輿の台輪から | 轅を抜いて |
| 社殿の軒下へしまうと | 移動用の短い轅を入れ |
| 手で抱えて | 社殿の東側へ移動 |
| 神輿蔵へ向かい | 慎重に |
| 神輿を納めると | 短い轅を抜いて |
| 軒下へしまう | 最後に子供神輿を納め |
| 神輿関係者はテントへ移動 | 愛好会会長の挨拶に続き |
| 乾杯の挨拶で | 直会が始まる |
| 2台の山車は境内を出発 | 解体作業は明日になります |
| 神輿愛好会は協力団体を | 一本締めで見送ります |
20時頃には解散となり、残りの片付けは翌日の8時30分から行われる。
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