東田原
東田原神社
「東田原神社」の祭神は「倭健命(やまとたけるのみこと)」と「誉田別命(ほんだわけのみこと)」である。古老の言伝えによると天正年間(1573〜92年)に氏子一同が協議して再興したという。同地には元観音堂があり、毎年3月18日には裏手にある競馬場で競馬をする行事があった。神仏分離となり、本像は同地金剛寺に遷し、小字名「御嶽」に因んで倭健命と誉田別命の二柱を奉遷すべく、時の村長室田才助、宮世話人西村権左衛門らが協議して上地して現在に至る。地方税法改正となり上地出願して国有林野法により境内地となったが、一切の書類はない。但し両氏の末孫2名により伝承されている。明治6年5月8日に八幡神社を合祀、明治6年7月30日に村社に列せられる。昭和55年に三棟一宇全部を銅板葺として改修した。
東田原神社 | |
鳥居 | |
拝殿 | 本殿・幣殿 |
境内 |
例大祭
例祭日3月18日
祭礼は同じ東田原地区の朝日神社と合同で、昭和12,3(1937,38年)年までは西田原の八幡神社も加わっていた。三社合同の時代は谷戸付近よりそれまで着ていた法被を白丁に、また頭には烏帽子を冠し、各神輿には舁輿丁(かよちょう)16名で三社揃いの神事があり、昼頃に東田原神社境内の祭典場へ向かったという。また、東田原神社裏手に馬場があり馬駆けがあったという。東田原と西田原の密接なる関係は現在でも共有地や共有地などでもわかり、合同祭礼が行われていたと思われる。