横野
加羅古神社
「加羅古(からこ)神社」の祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、境内社には古峯社と天神社がある。『新編相模国風土記稿』には、唐土から飛来した神をもって「唐土神社」として例祭6月22日、山中の拘留尊仏が唐子明神の垂跡であることを記している。現在は加羅古神社と記し、横野の宮上と宮下を含めた鎮守となっている。
寿永二年(1183年)安徳天皇御代の創建で、霊験顕著にして難病を救い信仰を集めた。また、言い伝えによると、先祖が16世紀前半ごろグンナイ(山梨県)を歩いてきてジョーカンヤシキ付近を通って横野に移り来たとき、自分達の背中に担いで持って来たのが「カラコ」と称する女性の神で、それを祀ったのが加羅古神社であるという。天正19年(1591年)辛卯11月17日に相州中原へ鷹狩の際、徳川将軍「神足」利広を召し由来を聴き、朱印地一石を寄進される。大正7年()3月に神饌幣帛料指定村社となる。
鳥居 | |
手水舎 | 参道 |
燈籠 | 狛犬 |
拝殿 | 本殿・幣殿 |
境内 | |
例大祭
「加羅古さんのお祭り」と称している大祭は、現在4月3日付近の日曜日で、明治時代は5月15日に行われていた。
太鼓
神輿
加羅古神社は女性の神だから神輿はいらないとされてきたが、戦後各地の神輿行事に習って子供達を中心に担がれるようになり、宮上から宮下へと神輿渡御が行われている。
横野の歴史
『風土記稿』の小名は「宮上」・「宮下」であり、天保5年(1834年)の戸数は64であった。
戻る(秦野市の祭礼)