上大槻かみおおつき

菅原神社

  菅原神社の祭神は「菅原道真公」である。創立年代は不詳であるが、応永27年の古文書に村内天神社境内に槻の大樹2株ありしより大槻と称うとある。当社は鎌倉の初期より鎮座され、風土記稿によると「天満宮」として村の鎮守であった。神体天神木像の外、飛天神一?ある。明応3年(1494年)と慶長16年(1611年)の両度に社頭造営の棟札ありしが、安永7年(1778年)、祝融に罹りし由、明和8年(1771年)の棟札に記されこの年社殿を再建した。天正19年(1591年)11月に御朱印二石五斗を賜る。例祭日は当時より1月25日に行われ、拝殿神楽殿も建立されていた。享保15年(1730年)7月に鎌倉雪之下法印大順慈観より菅公御自筆画像長さ二尺五分、巾一尺二寸の寄付があり、社宝として伝わっている。明治6年に菅原神社と改称する。大正12年の関東大震災には建物半潰以上となり、工作物は全潰し社殿の裏崩れたるにより、2回に渡り社殿の復旧をなす。昭和18年より宗教法人となった。

菅原神社燈籠
鳥居鳥居
鳥居手水舎
絵馬奉納所境内
拝殿本殿・幣殿
石碑
石碑境内

太鼓

  



神輿

  



上大槻の歴史

  明治22年(1889年)の町村制施行の時に下大槻村は他の四村と合併して大根村となたが、上大槻村は曽屋村と合併して秦野町となった。『風土記稿』にある小名は「中里」・「上」であり、天保5年(1834年)の戸数は46であった。


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