渋沢しぶさわ

須賀神社

  「須賀(すが)神社」は古来「天王社」として崇敬されており、御神体は牛頭天皇(木像)で、祇園精舎の守護神、除疫神である。当社の古い記録として棟札は天明4年(1784年)、文政3年(1820年)、慶応2年(1866年)の3枚があり、他には「建立金覚」、「再建諸掛覚帳」など文書が四通ある。
  「新編相模風土記稿」によれば、天王社は村の鎮守で、千村の内に当社に産神うぶすながみとするところあり、例祭日は6月7日で吉祥寺持ちとある。吉祥寺は渋沢にあり、京都、醍醐三宝院の末寺で皇牛山と号し、当派山脈修験で近郷17箇寺を支配し開村は般若で、明治6年に廃寺した。
  平成14年発行「秦野の寺社建築」(教育委員会刊)によれば、本殿の建築様式は仏堂であり規模からすると厨子で極めて珍しいと報告されている。神社は以前当地より東南の水田の奥にあったと伝えられている。現在地に鎮座された時期と吉祥寺の廃寺時期が近いため、吉祥寺の厨子が本殿になったとも考えられるが確証はない。
  須賀神社の祭神は「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」で、例祭日は5月4日or5日?である。明治5年に上地無格社となった。

神社由緒
鳥居・拝殿本殿
 境内

  

太鼓

  

神輿

  


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