長沼ながぬま

諏訪神社

  「諏訪神社」の創建年代は不詳だが、天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』では長沼村の鎮守を村民持ちの「諏訪社」とし、末社に疱瘡新・不動があった。祭神は「建御名方命」、御神体を甲冑を着た像(長さ七寸)としている。享保10年(1725年)の棟札が残されている。長沼村には諏訪社の他に村持ちの「稲葉明神社」が記載されており、末社に「八幡社」・「山王社」・「天神社」・「弁天社」・「稲荷社」があった。
  現在の社殿は昭和39年(1964年)に建てられた赤いトタン屋根の建物で、内部にある木造流造の本殿には彩色の木造神像が納められている。諏訪神社の北東にはかつて「清水寺(天台宗)」があったが、明治時代初期に廃寺となり、現在は境内の裏手にこの清水寺に関係する墓石や宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。社殿左右には大小の石祠や石造物があり、「イナバサン」と呼ばれる石祠には寛文9年(1669年)の銘がある。また、鳥居近くには水田整備に関係する記念碑が建てられている。

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諏訪神社社号柱
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狛犬狛犬
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鳥居
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手水舎燈籠
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拝殿覆殿
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神楽殿
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 境内
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公園

囃子

  



神輿

  



例大祭

  『風土記稿』によると例祭日は旧暦の7月27日であったが、その後は4月17日になった。



長沼の歴史

  旧長沼村は厚木市域の最南部に位置し、村域は平坦な相模平野にある。西境にはかつて玉川が南流していた。村域の北部を大山道(柏尾通大山道)が東西に貫いている。周辺は、東境は旧大住郡大神村(現平塚市)、南側は同吉際村(現平塚市)、西側は同小稲葉村(現伊勢原市)、北側は下津古久村・上落合村に接している。
  中世の頃の長沼はいくつかの文書によってその存在が知られている。永和4年(1378年)の「日奉広重寄進状」と明徳5年(1394年)の「玄珍寄進状」には「相模国中沼郷」がみえ、この中沼郷が長沼と考えられている。その後の文書では応永27年(1420年)と享徳2年(1453年)の「関東公方足利持氏御教書」に「四宮庄内長沼」がみえ、四宮庄は大住郡内にあった庄であり、長沼は四宮庄に含まれる地域であったようである。永禄2(1559年)の『所領役帳』には「中郡四宮・長沼共ニ」と記載されている。
  旧集落は村域の西側、旧玉川沿いの自然堤防上にあり、村域の東側が耕地であり、そのほとんどが水田であった。近世の支配は幕府・旗本領等の4〜5給で、『風土記稿』によると幕末の戸数は17戸であった。明治22年(1889年)に上落合村・下津古久村・戸田村・岡田村・酒井村と合併して相川村大字長沼となり、その後は中郡相川村大字長沼となる。昭和30年(1955年)の町村合併後は厚木市大字長沼となる。


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