下川入しもかわいり

神社の紹介

  「多度名神社」の由緒については、三重県に天津彦根命を祀る「多度神社」があり、その神社の御子を摂社として祀った「一目連神社」があった。一目連社は雨乞の神とも水難除の神ともいわれている。天平年間(729〜748年)には一目連神社の祭神を「多度大菩薩」と称し、更に国幣大社になった祭に両者を含めて「多度神社」と改めた。一目連とは一本雲のことで、即ち多度山の木の霊で、多度山信仰の最も古い形として残されたものである。
  下川入の地は部落の底地にあり、中津川の氾濫による災害が年々歳々起こり、時には氾濫を鎮める為に部落の人々が協議して幾度となく人柱を立て、水神にお祈りして水難を免れたといわれている。そのような村人達の想いが余り、江戸期の文政年間(1818〜1829年)に部落の代表者が三重県に出向いて本社の分霊を勧請し、この地に「多度名神社」を創建したといわれている。
  現在の社殿は昭和2年(1927年)9月に旧社殿を再建したもので、更に昭和42年(1967年)6月には建物の一部を改修するとともに、新しい玉垣を建設した。再建に際し、従来からこの地に所在した「稲荷社」と「天神社」を相殿に合祀しした。現社殿は木造亜鉛葺の覆殿(間口1間、奥行9尺)の内に、内殿(間口5尺、奥行3尺)がある。石造神明型鳥居は当所「諏訪神社」に安永6年(1777)12月に奉納されたものを、昭和14年(1939年)に当社へ還座されたものである。なお、社前には洗心と刻まれた大石(自然石)があり、これは昭和28年(1953年)6月に氏子総代である織戸組の人々により運ばれ、撫石として奉納されたものである。

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多度名神社鳥居
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社殿境内
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下川入第二自治会館


例大祭

  最近は桜祭りと合同で実施するので、余興は桜祭り実行委員会が主催する。
  準備は前日に老人会が提灯の枠組みをして立てたり、紅白幕を張ったりする。昔は若い者が幟立てをしたが、今は勤めがあるので行っていない。式典は村役など30名ほどが参列し、神官(千葉氏)の神事により行う。余興はカラオケや踊りなどを催す。昭和20年(1945年)代末までは競馬があったので、近隣からも相当の人手があった。また、神楽をやったこともあり、神前に供えた酒を神楽師に振舞った。

太鼓

  

神輿

  


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